岡山城天守の製作と垂木の話 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

岡山城の天守です。
二重目の大入母屋までできました。
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西側の斜めに振れている面です。瓦が放射状に納まります。実測図はちょっと不自然だったので、独自の解釈で瓦を納めました。
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垂木もちまちまと進めています。
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ついでに垂木の話をちょっと。

日本建築における垂木はとても重要です。
垂木と垂木の間隔を合わせた長さを一枝という単位で表します。
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そしてとくに格式の高い寺社建築では、この一枝が建物全体のバランスを決める基本単位となっているのです。

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一枝をどのように割り付けるかもいくつかの基本的な型があり、本繁割、半繁割、疎ら割などがあります。
本繁割にはさらに本間返しと背返しがあり…
私もきちんと理解できていませんので、詳しくお知りになりたい方は「垂木 枝割り」などで検索してみてください。

以前、法隆寺五重塔をつくったときにこのことにはチラッとふれました。
法隆寺五重塔の段階ですでに、塔がだんだん細くなっていく過程や軒の出に一枝を基本にした緻密な計算がされていることが分かります。
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(法隆寺五重塔の模式図。数字の単位は枝)

ですので、例えば、古代の建物跡が発掘されて、もしそこで垂木の先端に取り付ける金具が出土すれば、垂木の大きさが分かりますので、建物全体の復元が可能です。
例えば平安京の豊楽殿も、発掘調査で垂木の金具が出土したおかげで、建物全体の寸法が分かったという話を聞きました。
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(豊楽殿復元模型 京都市平安京創生館)

大雑把な理解ですみませんが、室町時代で日本建築は感覚的に最も繊細、洗練の極みをむかえたと言われます。その後、匠明が書かれた安土桃山時代あたりに建物の木割りが大成し、江戸に下るにつれて形骸化していきます。匠明では柱の間隔や軒の出など、建物の基本的な比率に一枝という単位が重要な位置を占めています。
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城郭建築では、このような寺社建築ほど枝割に基づいた厳格な設計はされていませんが、やはり見上げた時の垂木は美しいものです。
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宇土櫓を1/100で作った時は、垂木は1.5mm×1.0mmのプラ材が近似値でしたので、三寸×五寸くらいの大きさだと推定できました。

今回の岡山城は大変小さいので、垂木を作るかどうか迷いましたが、やはり垂木は日本建築にとっては美しさの根本要素ですので、頑張ってつくります。
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