その当時の本堂はなんと18間の規模を誇ったそうですが、明治の柿崎大火で類焼。その本堂の姿を伝えるのは、わずかに1枚の図面と2枚の絵図のみ。
予めコピーをお送りくださっていたので、復元図面を用意して伺いました。
柱間から縮尺を割り出し
6尺5寸の京間と6尺の江戸間の複合になっていることが分かります。
真宗寺院の様式から復元平面図を作成。
最大幅14間、本堂の正面11間で復元したのですが、これは私の思い違いで、今日お話を伺うと18間だったそうで…本堂の正面は奇数間になるはずなので、おそらく正面15間幅、左右の廊の1間半×2を足して18間ということでしょう。もしくは正面17間、半間幅の縁を足して18間ということか…
しかしながら、明治天皇が滞在されているので、宮内庁には図面が残っているかもしれないとのこと。これが出てくれば全体像がはっきりしますね。
あと10年で築100年を迎える現在の本堂の方は建築図面がきちんと残っていて、そちらも見せてもらいました。全体はお見せできませんが…