お通夜で感じた違和感の元は
葬儀社の方のネクタイが
ブラックではなかったことだ
モネの睡蓮みたいな柄のネクタイだった

 

参列者の中には
家に帰って着替える時間がなく
平服で見える人もあるが

葬儀社は受け入れる側であり
ましてやビジネスだ

 

とも思ったが
人のことが言える立場か?
形式に対して抵抗しているのは
自分自身だ

 

非仏教徒宣言のもと
10年以上前に
祖父の形見の数珠を
おじに譲ってから
数珠は持っていない

 

高校の親友の葬儀は
真夏だったので
黒のポロシャツで参列した
そのせいか
車の助手席の電動背もたれが壊れ
倒れたままで親子3人帰った

 

数年前の町内の方の葬儀では
真冬で路上のお見送りだったので
喪服の下は黒のハイネックセーターを着た

 

去年の夏参列した葬儀は
半袖白シャツにブラックタイ
上着なしで行った
参列者100人程で上着なしは
僕のほかに一人だった

 

今回もボトムは
ブラックリーヴァイスで行った
帰ったらカミさんに
「ジーンズで行ったの?」
 とあきれられた

 

あっ もしかしたら葬儀社の方も
レジスタンスの一員かもしれない

 

2011/2/26(土) 午後 1:10

 

知人のお通夜に行く
場所はウチから150km程離れた
N県I市

会場は10畳程の故人宅の居間
棺の周りに車座に座る
お通夜は普通に始まった

15分くらいで最初のお経が終わり
座布団が片付けられ
お棺が座敷の中央に据えられた

参列者全員に長さ1.5mくらいの
半分が黒、残りが白の水引が配られた
端を結び、首に掛け、右手側を抜き
左肩からたすき掛けにするように指示される

親族が棺の周りに集まり
それぞれ何かを象徴していそうな形の
和紙らしきものを遺骸のひざ下、大腿部
腹部、胸部等へ置かれ
白木のT定規みたいな杖
三途の川を渡る際に必要な(だそうだ)
六文銭代わりの何か(よく見えなかった)が
入れられた後

参列者一人一人がお花を足元から棺に入れ
頭部周りは親族が花を入れる
次に参列者には塩煎餅が7,8枚程入ったくらいの
駄菓子屋で売ってそうな紙袋が配られ
足元から順に棺を埋めた
故人があの世へ行くときのお土産や
自身の間食のためらしい

その上に故人にゆかりのものや
一緒に火葬してもらいたいものが入れられた

次に肩に掛けていた水引を引きちぎり
遺骸の足元に入れるよう指示があった
一旦棺は閉じられ部屋の片隅へ安置された

参列者は家の外で手の甲に塩を乗せ
ぬるま湯で流し穢れを落とした

再び座布団が敷かれ
お経の後半が始まった
お坊さんはお色直しなのか
衣装が変わっていた
途中で焼香のための
香炉が手に手に回された

その後「お振る舞い」という
食事会が始まった
喪主は粗宴ですがと言ったが
粗宴には程遠い豪華な内容だった

子供の頃葬儀に出た後
家に入る前に穢れを落とすため
塩をかけられ
節分の鬼の気持ちが
分かったような気がした

久しく感じなかった
死=穢れという前提の儀式だった
会葬者に渡されたものの中には
お清めの塩があった
最近は葬儀場の出口に
置いてあるのは見かけるが
会葬御礼に入っているのは久しぶり

穢れが前提の葬儀は違和感があった

違和感は他にもあった

 

まるきそば岐阜店で蕎麦を食す

 

ここは丸亀製麺店舗を展開する
株式会社トリドールの新業態店舗
セルフうどん店が偏在し出したためか
日本蕎麦で外食マーケットへ登場

 

店内は丸亀製麺と同じように
釜のあたりで麺を注文し、
カウンター沿いに
てんぷら、ご飯類が並び
レジで精算

 

当然のように
手打ち蕎麦ではなく
機械打ち蕎麦
覗いてみると
丸亀製麺においてある製麺機と
同じような製麺機

 

味は手打ち蕎麦に遜色ない
並べられてもどちらがどちらか
分からないかもしれない
出汁も丸亀と同じように
鰹、昆布からの深い味わいの出汁
プライスも丸亀並み

 

東京新宿店とここの2店だけで
株式会社トリドールのHPにも載っていない

 

なぜこの場所?と思ったが
岐阜店に関しては
出店担当デザイナーが山に囲まれた
このロケーションにこだわったらしい

 

昨日は2時近くでも満席状態で
入り口までの長い列が出来ていた
土日祝日は行列覚悟

 

セルフうどん他社が追随できるか?

 

今まで蕎麦打ち職人と呼ばれていた人は
アルバイトが機械で打つ蕎麦に
負ける訳にはいかないでしょう

 

ミクロン単位では職人の手に
機械は敵いません
職人は更なる上の
ディメンションを目指しての
精進が必要になったようです

 

グーグルマップではココ(まだ撤退したドラッグストアの表記のままです)

 

2011/2/21(月) 午後 6:41