殆どの人が自分を周囲の世界から遠ざける事で自分を守ろうとしている。

この自己疎外という防衛術はいったん身に付けると、知らない内に増殖して人生のあらゆる分野であなたを感じるという体験から遠ざける。

気が付いた時にはあなたは

「多分世界とはこういうものだろう」「世界とはこうあるべきだろう」

「世界とはこうかもしれないしああかも知れない」

「どこかに私にこう感じるべきだと教えてくれる人がいるはずだ」

「どこかに上手くやっている人達がいるみたいだが私はその仲間ではないようだ」

などの考えの中で生きている。

そして常に自分の人生はどこか虚しいと感じている。


その「虚しさを感じる」ことを認めてそれを出発点にすれば自分のやっている事に気づく事ができる。


虚しい人は虚しい呼吸をする。

虚しい人は虚しい目付きをする。


意図的に虚しい呼吸をして、虚しい目付き、虚しい姿勢を取ってみる事は出来るだろうか?何を感じるだろう?

虚しい呼吸をしようとするだけで自分が脅かされる感じがするのは何故だろう。

何が明らかになってしまいそうなのだろう?


自分という存在の底、(底辺あるいは床)を見ようとして目を動かしてみる。目はどのように動くのか感じて見る。

底辺を見るには喉と舌に力を入れて目線を下げる必要がある。

今の自分は底辺からは少し、またはかなり上に浮いている感じがするだろう。


次に自分という存在の天井を見ようとしてみる。天井に目を這わしてみる。

今の自分は天井のかなり下にいるのが分かるだろう。


最後に底辺を見る時のように喉に力を入れながら、目だけは天井を見ようとしてみる。底辺と天井の間で引っ張り合いをしている感じになる。


そのまま息を吸って吐くと同時に目と喉をリラックスさせる。


すると何も考えずにただ目の前を見ている自分を感じる事が出来る。

子供の頃、世の中をどういう物として飲み込んできたのだろうか?


子供は咀嚼することもできずに大人の考えをそのまま呑み込まされる事が多い。人の価値観を呑み込まされた人は、常に自分の外側の何かに追われる感じを持つ人になる。


何かに追われるのは苦しくて仕方無くて解放されたいが、解放されると何も感じない空虚な自分に向き合わないといけなくなる。追われている時しか自分の価値を感じられない。


もともと外から呑み込まされた価値観なのでいくら自分が頑張っても満足を感じる事は無い。しばらく空虚な時間を感じた後でまたもとの追われる暮らしに戻っていく。


個人の成長のスピードは出会いと興奮によって飛躍的に高まります。

サッカー日本代表のある選手はドイツ、フランスなどの強豪との試合のあと「一試合で国内試合の5年分成長した」と述べていました。 


私達の成長が遅い時、出会いとそれに伴う興奮が不足しています。

出会いとはコンタクト、誰か、何かに心が直に触れることです。


私達は出会いを求めながら出会いを恐れ、出会わないで済むような策略をたくさん編み出して日常的に使っています。


出会いは私達に大きな変革をもたらします。私達は変革する自分に憧れながら変革が恐いのです。


出会いを避ける最も有効な方法は相手を見ないことです。

あからさまに無視すると目立つので、ぼ見てるふりをしながらしっかりと焦点を合わせず、ぼやかすのが有効なやり方です。

鬱の人や引きこもりの人、コミュニケーションが下手な人の殆どは相手をちゃんと見ていません。


ちゃんと見ないから対処が出来ないんです。おそらく問題が起こる前からそういう傾向かあったと思います。


ちゃんと見ないから脳に刺激が行かず、興奮が起こらないので学びと成長が起こらないのです。


自分の問題をイメージする時、自分の目がどう動いているのかチェックして見ましょう。目の動かし方と位置を変えることは出来るでしょうか、その時自分の身体の中に起きる解放感と違和感を感じで見ましょう。






問題は「私は〜すべき、だけど出来ないんです」の形で表わされる。


しかし、「〜すべき」は自分の外側にある価値観を呑み込まされた人がする表現で、既に自分の選択ではないし、成功したとしても自分の成功ではないから喜びは無い。 

あるのはプレッシャーから解放された安堵感だけ。


「〜すべき」と言った瞬間にあなたは自分を譲り渡してしまっている。そしてこめかみと喉に力を入れて自分を締め上げている。

あなたは既に死んでいるのだ。