Un poisson rouge -85ページ目

おかしみをエネルギーに。

前から薄々感じていたことではあるのだけれど、
わたしのアイデンティティは、どこか、おかしい気がする。

人間誰しも、アイデンティティについて悩みを抱えることくらい、
あるのだろうと思う。

しかしながら、割と小さいときから、小学校くらいのときから、
どうしてだか少々アイデンティティクライシスに、既に陥っていた気がする。

学校なんかで、一所懸命生きていたけれど、
どこか、居心地も良くないような・・・

きっと、これからも、はてな?と思うことはあるのかもしれない。
が、しかし、もう良い。もう、それで良い。
子どもだった私は、沢山悩んでいたけれど、
大人になった今、アイデンティティのおかしさ、違和感は、
それをプラスに転換することができるのだから。

よっしゃあ、である。

たぶんわたしはこれからも、日本を出たり入ったりするような気がする。

そしてそんなとき、割と気持ちよかったり、発見だったり、驚きが訪れるような気がする。

良い、悪い、を越えて、そういうことで、自分という人間に血が通っていくような気が、する。

これは運命のようなもの、だと思う。

きっとアイデンティティについて、何らおかしさを感じずに、生きる人もいるのだろう。
しかし、何故かわたしはそうではなかったらしい。

これからも、異文化というものに関心を持ち続けるだろう。
どうにもこうにも、強烈に、「ああ、自分は日本人だ」ということを意識せずにいられないながらも、はて「日本人的」とは一体何を意味するのやら、などと、
小難しいトピックを考え続けるのかもしれない。

東京という地に生まれ育ったことも何か関係があるのかもしれない。
良くも悪くも、様々なものが集まり、ひしめき合う場所、であるのだから。

アイデンティティのおかしさを、その違和感を、そのコンプレックスを、
何か良いエネルギーに転換できるように、生きて行くのがきっと自分のすべきことだと思う。

同じような思いを抱えて悩んだであろう先達の、表現したものや生き方に、わたしは勇気づけられ、感動するから。


有難う御座います。
合掌。

今日、受け取った、問い。

今できることを、全てやっているか。

自分が与えられた使命に、真摯に向き合っているか。




与えられた人生を、
懸命に、生きているか。

そんなときには。

人は、基本的に孤独だと思う。

いくら、近くにいる人も、家族でさえ、
一緒にいたとしても、
人が孤独である、ということは、
ある意味、宿命のような気が、している。



わたしは、そんな孤独がどうしようもなく襲ってきたときには、
勉強する。

勉強というのは、広い意味での学びのこと。

本を読んだり、語学を勉強したり。

そんな時間を持てることに感謝しつつ。


秋の虫が、鳴いているなあ。