Un poisson rouge -83ページ目

内輪ネタでは意味が無い。

私は、内輪ネタというものは冷静に見なければいけないものではないかと思っている。

あるコミュニティ内のみで通じるネタは、本人たちは楽しいかもしれないが、
物事の持つ「パブリックに認められることにこそ意味がある」という側面は常に必ず、念頭に置いておかなければならないことであると思う。
物事が良くなっていくためには必ずそういう視点が必要だと思う。

自戒を込めて。

カタコトの美

頭の中が朝から、というか昨晩から、というか結構いつも(?)カオスで、
さっきまで、フランス語圏の音楽やアフリカの音楽や、誘っていただいたOxfam主催のインドで起きた洪水支援のチャリティーパーティのこと(→詳しくはこちらの中)を考えていたのですが、

ふと、思い出して、

カタコトについて、記しておきたいと思いました。

家のお隣さんが、中国のかたで、
ときどきご挨拶したり色々話したりするのですが、
その、カタコト、というか、いわゆるネイティブではない人の話す日本語、が、
すごく、可愛いなあ、と最近思ったのです。

どう言い表したらいいかわかりませんが、とてもチャーミングなのです。

ミックスて、素敵、と思ったのです☆

わたしは、言語の多様性ってすごく面白いことだと思うし、
自分が話せない言葉の響きにすごく興味や美しさを感じるのですが、
カタコト、というのもまたとても面白いものだと思います。

母語の響きを残した、外国語の響き。
Wonderfulですっ

で、
じゃあ、自分の英語も、フランス語も、きっと可愛く聞こえるだろう、という超、どポジティブ解釈。(えっへん)

失礼しました。


じゃ、フランス語行ってきます。

A bientôt :-) !

時間というものが、時々、断絶されているように感じる。

過去も無ければ、未来も無い。

今すら、無い。

私には、時間が、無いのかもしれない。

そういう感覚に襲われることがある。


時間なんて、本当は、嘘なんじゃないか。

私には、歴史も無ければ、
未来も、無いし、
今も、無いんじゃないか。



時間だけではない。

自分だけが、
薄い膜のようなものに覆われていて、
周りに、沢山の人がいても、
私は、その膜の中から、映画を見ているようで、
その世界に生きていない、全く別の世界にいるような、
奇異な感覚に襲われることがある。





膜に覆われた、人。

生きているって、何だ。