Un poisson rouge -67ページ目

好きなことを、追いかけよう。

好きなことを追いかけて生きていきたい。

好きなこと、には矛盾を感じない。

自分がそれを愛している、という確信、そして何より、鳴り止まない(!?)胸のドキドキわくわくが、そこにはあるからだ。

好きなことを追いかけているとき、文字通り時間を忘れている。我も忘れている。
これは、もしかしたら凄い境地なのではないだろうか。没我、である。
(※最近、苦悩した時に、Kindleで禅の本を読んだ影響もあるかもしれません。)

私は、好きなことが世の中に多すぎるのは、何て大変なことなんだ、と頓に思う。
それを追っているだけでも時間が足りない。そして、ときに没入すると、社会からはどんどん離れていくような感覚にさえ陥る。(魅力的であるものというのは、必ずしも社会的であるとは限らない、という側面もあったりすると思う。それは一種の危うさ、毒のようなものを、含んでいる場合も多いからだ。)

それでも、やはり好きなものを追いかけて、そして何より自分が実行して、クリエイトして、生きていくことが理想だ、と思い至る。

私の場合は、どうしても、表現することが好きなのだ、と思う。
表現の欲求、それが自然発生的に出てくる。

鳴り止まない胸の奥の音に、耳をそばだてていよう。

好きなことを追いかけて良い、とそれを自分にゆるそう。

わくわくとする感情は、愛は、わくわくの感情と愛を、引き寄せるはず。




                     家の屋上から。

夢の効能。

夢というものは、叶うか叶わないかが問題なのではないと思う。


夢を叶えたいという気持ちが人を動かす原動力となること、そこにこそ夢の持つ意味があるのではないかと思う。


夢は、人を支える。夢は、元気を与える。

人生がたとえあっという間であっても、夢見ることは素敵なことに違いない。


夢の大きさは問題ではない。


夢見る行為、その時間、
それこそがきらきらと、輝きを放っているのだ、と思う。




さとり的なQuelque chose

悶々としている中で今日ふと、ぱっと、光が射した。

常に自分のアイデンティティの歪みに対しての不安や悩みに苛まれているそこのアナタ(わたしである)、大丈夫である。

"人生なんてギャグみたいなもんなんだから、好きなように爆発して生きればいい。"

今日のさとり的なQuelque chose.(フランス語で「something」=「何か」の意味。)

人生は、ギャグに見立てれば楽しくなる。

私は、うまく言えないけれど、偏見を打ち破って生きていきたい。

生きていることに意味なんてない、と思った日もあったけれど、
もっと自分の中にあるマグマを探って、
もっともっともっともっと自由になって、それを生かせるように磨いて、
もっともっとエッジィで突き抜けた”変態”になったら、私は自由になれるのかもしれない。
そしてそれは同時に、同じように苦しんでいる人に、その苦しみから抜け出すヒントのような何かを、差し出すことが出来るかもしれない。



                      牛たち。