Un poisson rouge -65ページ目

ふたつの。

母が病気をし、手術をし、療養中である。
その見舞いのために、私は帰国している。


久々に、バスに乗る。

「発車します。おつかまり下さい。」

車内には、機械の音声が流れる。無料wifiサービスの張り紙。
ベビーカーを携えた親子。スマートフォンと財布だけを持つ大学生くらいの年齢の男性。パステルカラーのショールを巻き、帽子をかぶった中年の女性。

セネガルの、私が住んでいた町に走っていたバスの車内を思い出す。

「外国人、そこに座りなよ。」

乗車賃を払い終え、車内を見渡していると、空いている席を指差され、そう言われた。
極彩色の模様の入ったアフリカ布の服に身を包んだ女性。市場で購入してきた食材の入ったプラスチックの籠が足元に置かれている。編み込んだ付け毛を頭の高い位置で結い、大きなサングラスをかけた若い女性。お尻のポケットにラインストーンの入ったスキニーパンツは、真っ直ぐに伸びた長い足が強調される。


11ヶ月前、私は日本にいた。
日本の、もっと細かく言えば、東京での日常を心身が思い出すことは、そこまで時間を要することではないのだ、ということを私は知った。

でも、
11ヶ月前の私と、今の私は、当然ながら同じ私ではない。

私の中には、別の空気がある。

日本では蓋をされているけれど、確かに今私はその別の空気のことを知っている。
すっかり溶け込んでいるように見える私という人間の中には、遠く離れた別の地の日常が、肌色の違う外国人の私の日常が顔を覗かせている。

ある日、iPhoneで気温を調べた。
その日はとても暑かった。私の住む土地の気温は、40℃であった。
扇風機からの風は、熱を含んでおり、頭から水をかぶってから風に当たらなければ、涼を得ることが出来ないような気がした。
蛇口をひねって出た水は、外の熱気で温められて、お湯のようになっていた。

今、日本のこの気候は、眠るには丁度良いように感じる。
色々と考え事をし始めると、気候のことは忘れてしまうけれど。

セネガルに帰ったら、眠れるだろうか。
それとも明け方に、汗をかきながら暑さで目を覚ますだろうか。
それともやはり、色々と考え事をして、気候のことを忘れて夜を明かすだろうか。





意識と実践。

また、雨季が近づいてきたのか、今日はむし暑い。夜になっても、あまり涼しい風が入ってこない。昼の暑さは灼熱とも言えるようなそれであった。沙漠の環境というのは、何かと過激な感じがする。砂が舞えば空気は黄色く染まるし、昼と夜の、木陰と日なたの体感温度は驚くくらい違ったりする。

時は移ろう。
その中で一体何をとらえ、表現していくのか、同じときは二度として訪れないのだから、いつもきちんと、「とらえて」いきたいと願う。

それには努力が必要だ、と思う。ただ漫然と日々を過ごすのではなく、アウトプットを念頭に置いておくということは大事だと思う。しかしながら、自分の理性、意識を超えたところでの「偶然」がもたらすものも、同時にとても大切なのではないか、とも思う。
しかし、翻って、やはりそういった「偶然」として現れる「棚からぼたもち」的な何かを、きちんと認識できるということは、日頃の意識の積み重ねがあってこそ、という面もあるのではないかと思うのだ。

嗅覚を働かせよ。
感覚を磨こう。

というわけで、毎日があっという間に終わってしまうけれど、その中で最大限、学びとりましょう。出来ることをやりつくしましょう。楽しんで。自分の好奇心と探究心を指針としながら。

とても眠い頭ですが、そんな風に思い、
まずはもっと表現していこう、作っていこう、と思ったので、
書くことももっともっと頑張りたいなと思っています。
書きたいことは、沢山沢山あります。(宣言。)

実践あるのみっ。

The sound of sand.

私の中の時間の流れは、何か少し、遅いのか早いのか、変わっているのかもしれない。

でも、だからこそほかの人に見えない視点からものを見ることができる、と思ったりする。




夜は涼しいこの沙漠の風よ。

私は地球に生きているんだって、感じる。

砂よ、木よ、太陽よ、風よ。

月明かりよ。

鳥の声よ。

馬車の鈴の鳴る音よ。

雑踏よ。

暗がりを照らしておくれ。

そして私をたゆたわせて、ね。