女性パワー
今日、学校の女性の校長先生が電話をしてきてくれて、学校で今日給食に関するミーティングがあるよ、と教えてくれた。以前、生徒の親たちの集うミーティングがあるときには連絡する、と言ってくれていたので、本当に連絡をくれたのが有り難かった。
ミーティングは当然ながらほぼウォロフ語で行われたので、細かいことが分からないので、度々先生にフランス語で簡単に説明をしてもらったりした。いつもながらセネガル女性たちのパワーはすごいものがある。ウォロフ語のマシンガントークにいつも圧倒される。他のアフリカの国でも女性たちは強いのだろうか。日本人的なシャイさを理由にたじろいでいる隙は、ここにはない、と感じる(?)。てくてく通りを歩いていて一度でも話したことのある近所の人にうっかり挨拶しないで通りすぎそうになると、「なんで挨拶しないの!?」「こっち来な」(喧嘩売ってるみたいですが、喧嘩は売ってないですが、愛情を含んでいて、でも声は太くて大きい場合が多いです笑)とすごい勢いで言われるし(でも、向こうは外国人の私を一目見れば絶対忘れないだろうけれど、私は沢山の人のいるこのセネガルで、申し訳ないけれど全員を覚えているというのは大変難しいんです・・・)、そして挨拶すると「わたしの売っている○○(卵だったり、クレム(crème)という小さなアイスのお菓子)を買っていきなよ」と言われたりする。そのパワーは本当に、すごいものがあります。
夜、活動の写真を整理していたら、あっという間に時間が経ってしまった。
ある程度時間がかかることが分かっていたし、しかも、Lightroomという写真編集ソフトで編集をしないといけないrawデータファイルがあり、やり出すと果てしなくやってしまう危険性(?)を承知の上、作業に取りかかったら、案の定時間はかかったけれど、途中からちょっとハイに(?)なってきたので、音楽をかけていた。
その昔、兄の部屋にあった音楽雑誌で、確か「BUZZ」というやつか「Rock'in on」かじゃなかったかな、マドンナの80年代くらいの写真が載っていて、その写真がすごく可愛くて素敵だったのが印象的だった。
マドンナはかっこいい。まず歳を重ねても鍛え上げられた肉体と美容面から年齢不詳すぎる。笑。すごい女性です。
というわけで、マドンナの80年代ファッションがとてもキュートなMVを発見したので貼付けます。可愛い〜。ベスト盤で聞いていたこの曲も好きです。
何だか話しがあっちこっちに飛んでしっちゃかめっちゃかしましたが、
女性パワーという一貫性で、無理矢理まとめます。笑。
À demain!(また明日!)
Madonna 「Into The Groove」
行きつ戻りつ。
思ったので再び書くけれど、
世界も、自分自身も、
行きつ戻りつしながら、前進と後退を繰り返しながら、少しずつ次の段階へと進んで行くのかな、と思う。
そして、素晴らしい何かというのは、
いつも自分の意思だけでなされるものではないのではないかと思う。
それは自分自身の意思とは無関係な、何かに引っ張られて、
成し遂げられるものなのかもしれない、と思う。
信じるか信じないか。
そういう次元を別として、私は運命というものを、感じるときがある。
運命というものは、自分の思い込みと、
それを上手に使わせてもらうということで、
それがはらむ可能性を、生かすことが出来るのではないか、などと思う。
抽象的な話ですみません。
今日、友人のセネガル人女性に、
「恋人はどう?」と聞いたら、彼女は先日首都ダカールに行っていて、その上京の際に、恋人に会っていたらしい。
知的で割といつもクールに物事を見ている彼女。
可愛いな、と、思った。
気づいていく。
気づいていくということは、大事だと思う。
何故、と問い続けること。
自分の中にある、衝動的なものや、狂気的なものに気づくということ。
人は誰しも、正しさとは一見相反するような、衝動性や狂気性を抱えて生きているのではないか。(そうでない人もいるのかもしれないけれど。)
私はそんなことを考える。
それを自覚した上で、どうそれらと付き合って行くか、ということが大事ではないか。
Saint-Louisという、フランスの植民地政策の拠点となったセネガル北部の町にある、本屋で購入した昔のポスターをモチーフにした絵はがき、そしてフランスのアルルという町の写真ギャラリーの展示の案内のパンフレットと、現代美術館のチラシを部屋の壁に貼っている。それらが私を見下ろしている。
乾燥と砂塵から、セネガルの人も喉を悪くしている人がいるが、私も少し喉が痛む。
もっと深くまで掘り下げるべきなのだ、と思う。
まだまだ、全く足りない。
もっと、本質的なものを見つめなければいけないと思う。
人生は問い続ける。