Un poisson rouge -42ページ目

セネガルで感じる人との身体の距離感のことなど。

ことあるごとに、しょっちゅう、私は文章を書きたくなる。

 

文章を書くことがストレス解消のような効果を自分にもたらしてくれている気もする。

自分の文章も、気分やコンディションで大分テイストが変わるような気がする。気持ちが焦っているときはそんな文章になるし、感傷的なとき、落ち着いているとき、論理性を発揮しているとき、などは、それぞれそんな感じの文章になると思う。それを自分できちんとコントロールして、使い分けられるようになった上で書けるのが一番良いのかもしれないけれど。勢いだけではなくて。そのためにはコツコツと修行を積む必要がある。今日、先月受けた仏語の検定試験の結果が不合格だったことが分かり、確かに今の自分のレベルでは難しいレベルを受けてしまったと自覚はしていたのだけれど、勉強し直しであるということを突きつけられて、情けない思いをしたので、余計にそう思う。コツコツ積み上げるしかない。何事も。

 

今日は、砂の混じった激しい風が吹いていて、アスファルトの部分の道にも砂が散乱し、帰ってきた自分の顔などにも砂粒がついていた。セネガルの人たちもマスクをしている人、スカーフを顔にぐるぐる巻きにしている人などを見た。

 

そして、「ナカ ンゲロウリ?(風はどう?というような意味)」という風に聞くと、「ネフナ デ(良いよ、というような意味)」という回答が返ってきたりして、そんなマスクしているしこんなに激しく砂が吹き付けているのに、良いの!?と思ってしまった。ときどき、拍子抜けするほどあっけらかんとしているセネガルの人たちのポジティブさに呆気にとられそうになってしまうときがある。家の下で、タクシーの運転手の男性たちは、タクシーを停めて客待ちをしているのだけれど、よくじゃれ合っている様子を目にする。とても微笑ましくて、何と言うか、人間らしいなあ、と思う。そして、そりゃあ、人間だもの、じゃれ合うよね、と、思う。開けっぴろげにじゃれ合っている姿は、可愛い。そして、ちょっと羨ましい。私は、そういう誰もが持っていそうな、人恋しい瞬間のあの感じだったり、男であれ女であれ、人間を愛おしいと思って愛でて、ふざけ合ったりじゃれ合ったりしたくなるあの感じを、割と押さえつけてきたのかもしれない、とふと自分を顧みる。日本人だからかもしれない。人と人の体が触れ合う距離感が、日本人は割と遠い気がする。この前、私の任地で韓国のボランティアの子たちと一緒に飲んだとき、韓国のボランティアの子たちの人に対する距離感は、日本人のそれより近い感じがした。彼女たちの性格も多分にあると思うし、お酒が入っていたのもあるかもしれないけれど(笑)、韓国人ボランティアの女の子に、私が自分の家に帰ろうとしたときに、「帰るの??」って目をぱちぱちさせながらぎゅっと抱きつかれて、ちょっとどきどきしてしまった。笑。

 

挨拶するときも、セネガルでは握手をする。ハグするときもある。あと、バイファールという宗教の一派があって、その人たちはまた独自の挨拶をしていたりする。あと、女性は目上の人に基本的には、膝をちょこんと曲げて挨拶する。また違う一派の人たちは、女性とは握手をしない場合もあるのですが。

 

でも、何だか話すときなど、やっぱり日本人より距離が近い感じがある。顔をぐいっと近づけて話す人もいるし、距離感というものをそこまで気に留めていなさそうな感じもする。各文化圏での人と人との身体の距離感を比較した、そういう研究があったような気がするけれど、興味深いことですね。

 

セネガルにいるのはあと半年程になったけれど、

日本に帰ったら人との距離感について、感じるものがあるのだろうか、等と思う。

 

 

ものをつくることについて。

大事なことや、素敵なことは、

いつも、そこここに落ちていて、

 

心を静かにしていれば、

それに気づくことが出来るはずなのだ、と思う。

 

そういう素敵なものたちを、

見逃さないでいられる自分でありたい。

 

そう、思う。

 

最近楽しかったこと。

それはやっぱり、女性たちとジャムを作ったことだ。

 

連載してもらっている、「アースガーデン」Webというウェブマガジンにも、ジャム作りの話しを書かせてもらっりしたて、

とてもカッコいい「女性のエンパワーメント」なんてタイトルがついているし、私自身も何を思ったかそういう風に文中で書いてしまったけれど、

そんな大それたことじゃなくて、

ただただ、一緒にものを作る過程が、楽しかったのだった。

エンパワーメントなんて大それたこと、私は出来ているなんて思ってない。

エンパワーしてもらっているのはむしろ、私のほうだと思う。

セネガルの女性たちは、とっても強いから。

 

ものを作っているとき、良いものが出来ること、ただそのことに集中して、そのことだけを願って作っている。

そんな瞬間が好き。

 

文章を書いているときも、同じ感じがある。

自分の感じていることを、より忠実に、より実感に近いかたちで表現できるように。ただ、それだけを願って。

 

だから、そんな風に、ものづくりが出来る環境に感謝して、

これからも、手を動かして、ものを作ったり、文章を書いたりしていきたいな、と、思う。

 

 

つよく。

人間は、きっと打たれれば強くなっていくんだ。

 

そう信じないと、自分の恥ずかしい失敗や駄目なところを、超えられないと思う。

 

自分の甘さは自分が一番よく分かっている。

 

打たれろ。そして強くなるんだ。

 

強くなる以外に、道はない。きっと。

 

だから、強くなろう。

 

はあ、辛い。。辛いけれど、強くなるしかない。

 

強くなろう。

 

大丈夫。

 

強くなるんだ。

 

落ちるところまで落ちたら、あとはのぼっていくだけ。