Un poisson rouge -35ページ目

モヤモヤの正体。そしてそれから脱したくて思うこと。

お湯浴びをしながら、今日、自分が感じていた思考のモヤモヤ、違和感について考えていた。

 

そして、お湯浴びを終えてちょっとネットを見て、冷凍庫に入れていたアイスをちょっと食べて、思った。

 

日本人は、謙遜して、控えめで、他者の目を気にして、配慮して、そうあるべきという価値観がいつの間にかいつの時代からか形成されてきたように思う。

 

そういったものが日本人のイメージであり大まかな特徴なのだとしたら、私は自分の中にそういったものがあることを認める。そして、それは日本人の良いところでもあると思うけれど、良くないところでもあると思う。たとえば、そういった特質によって、他者に配慮するけれども、自分を犠牲にしてまで働いてしまう、といったことにつながると思うからだ。

 

そして私は、そういった日本人的なものを脱することを欲している、ということに、気づいた。自信がなくて自分に対する自己肯定感もないまま他者の目ばかり気にして生きるのではなく、なるべく自分という人間にきちんと責任を持ちつつ自己を肯定して生きる生き方をしたい、と。

 

たとえばセネガルの人たちを見ていると、

Facebookに自分のセルフィーを沢山撮ってのせている。私の周りのセネガルの多くの人たちは、セルフィーがとても好きである。友だちと一緒にセルフィーをするのも好きで、あの自撮り棒を持っていたりする。ポーズをちゃんとキメキメで撮影する。

だけれどセネガルの人たちが他者に配慮をしないかというと、それは全く違う。逆にとても人なつこいし、人に対する疑いがびっくりする程無く、主張はするけれど主張を受け入れてもくれる。

 

日本人には、そういう感覚ってあまり無いと思う。だからすごく違って面白いなと思う。

 

日本人は自己肯定感が概して低いのではないかと思う。それでいて他者をひそひそ攻撃したりする風潮があったりする。そういう風潮は、もう古いのではないかと私は思う。

そんな風だから、女性の活躍などと言いつついつまでも女性が本当の意味で活躍できるような社会にならないのではないかと思う。セネガルだって概して男尊女卑的な部分はあるけれど(今のところ世界の多くはそうだと思う)、セネガル女性たちは強いしちゃんと主張もする。ときどき日本の社会のほうが酷いくらいではないかと思うこともあるくらいで。

 

ということで、私の主観が満載の文章になってしまいましたが、

これからは自分に責任を持ちつつ自己肯定感も持ちつつ生きていきたいな、と思います。

 

 

 

思考の沼地。

正直な心境を言うと、

今、ちょっと色々なことが、分からない、という感覚がある。

 

自分の価値観で、「良い」と思ったことも、他の人にとっては、そうでないこともある。当たり前だけれど。

それを突き詰めてしまうとどうしたら良いか分からなくなることがある。

 

自分の価値観の軸が定まっていないというべきなのだろうか。

よかれと思ってしたことも、他者にとって、究極的に言えば迷惑な場合もあると思う。そんなことを考え過ぎると、動けなくなってしまいそうになる。

自分の発した言葉、行動が、人や世界に与える影響、など。

でも、生きて人と関わっていく上で、色んな摩擦はきっと必然、なんだ。

 

私はものを必要以上に難しく考えているのだろうか。

 

でも、生活は続いて行くから、そこに身を任せるべきなんだろうけれど、

自分の中に、「その問題にもう少し踏みとどまって考えてみたい。」という欲求のようなものも感じる。

 

うまく言えないけれど、私は、平穏に、平和に生きていきたいと思っているのだけれど、それすら自己都合なのだろうか、など。。。

平穏に生きるってどういうことなのだろう。

気づいたら意識を持って生きていたこの私。。

 

ちょっと思考の沼にはまっているのかもしれない・・・。。。

 

 

 

 

また来たい。

また日付をまたいでしまった・・・

 

やっと村落会という分科会の会報誌の編集が終わり、皆に送信したら、

つづりの間違いに気づいたところがあって、自分の詰めの甘さを反省・・・。

 

馬車に乗って移動していると、「シノワ(フランス語でchinois=中国人のこと)が馬車に乗ってるぞー!」という感じで野次馬の見物の対象になったり子どもたちが興味津々だったり「トゥバーブ!(肌の色の違う人=セネガル人ではない白人や黄色人種の外国人を指す言葉)」と叫ばれたりする。外国人の滅多にいない町なので当然のごとくで、もう慣れたけれど、やっぱり私は外国人だよなあ、と、改めて妙に実感する。

 

学校菜園の野菜は、今日収穫するつもりだったけれど、諸事情あって、来週に改めて、学校給食を調理してくれている女性たちと話して、量的にはほんの少しだけれど、給食に使ってもらうようにお願いした。大根とオクラが、もう良い感じに大きく育っている。

 

日々が過ぎて行くのがあっという間なので、

毎日見る、もう見慣れた町の風景も、砂地も、バオバブの木も、元気な子どもたちも、明るい人たちも、威勢の良いおばちゃんも、ウォロフ語も、日本に帰国したら全て懐かしく感じるのだろうな、、と思うと毎日が愛しく思える。そして、もっと色々学びたいと思う。

 

とは言え、私はいつかまた戻って来るんだろうなあ、と、どこかで思っても、いて。

 

何だろうな・・・

蚊とか、変な虫に刺されるし、ばい菌が指に入るし、掃除してもすぐ家に砂が入るし、暑いし、ハエがいっぱいいるし、牛とか豚とかヤギとか馬がいるからフンも落ちているし、バイクと馬車と荷物が山と積まれた過積載のトラックと人間が山と乗っている車とボロボロのタクシーがルールもほぼ無く道路走ってて危険だし、しょっちゅう車故障するし、停電あるし断水あるし、求婚されまくるし、

人びとはやっぱり病気のリスクとか、日本に比べたら高い中で生きているけれど、

でも、人びとは明るくてダイナミックでやさしい。

 

セネガルはやっぱり良いところだなって思うし、

アフリカの他の国にも行ってみたいって思う。

 

アフリカにまた来たいって、思うんだ。