セネガルの言語や教育のことで感じることなど・・・
今日は各学校で実施することにした給食に関するアンケートを配布するために、村の学校に行った。その学校に行くのはとても久しぶりだったのだけれど、市内から出る車に割とぎゅうぎゅう詰めになって乗り込み、途中で砂と砂利の道に変わってガタガタになる道を村まで行き、その村から更に15分くらい、見渡す限り砂と乾いた沙漠の木の荒野を歩いて行かなければ辿り着けない、ちょっと遠隔な場所にある。
荒野とよく晴れ渡った(毎日ですが…!)空を見渡しつつ、私の住む町で買い出しを終えて帰る村の女性とともに村へ向かった。彼女たちはウォロフ語ではなく、もともとは遊牧の民であるプラール族で(町でも羊を引き連れて歩いている人に会うのだが、そういう人はプラールの人が多い。)プラール語を話すので、プラール語は挨拶くらいしかできない私は、全く話の内容は分からない。プラール語はウォロフ語とは全く異なり、聞いていると発音の仕方も全然違う感じで、興味深い。どことなく優しい雰囲気が漂う言葉に聞こえる。(普段聞いているウォロフ語が、大抵ものすごく威勢が良く元気なので笑、余計にそう思うのかもしれませんが。)しかし、彼女たちはウォロフ語も解する。町でも割とプラールの人には会うのだけれど、大抵最低限のウォロフ語は分かるみたいで、ウォロフ語は実質的に、セネガルの共通語と言える位置にあるのだと思われる。それにしても、全く違う言語なのに、それを両方解するというのはすごいことだと思う。それに加えてこの国の公用語はフランス語である。またウォロフ語は圧倒的多数の人が話す言葉であるが、プラールの他にも少数言語は無論ある。2つ、3つの言語が分かるという人が、そんなに珍しくないのは、日本から来た私からはすごいことだなと思う。
学校に辿りつくと、先生にアンケートの話しをして、その後授業を見ていた。
この国の教育システムは基本的に旧宗主国であるフランスのものを踏襲している。教える内容は、セネガルの文化や風習に沿ったものになっているのだが(たとえばフランス語の文法の授業だったら、例文がセネガルの祭りのことであったりする。)、フランス語で教えるし、やはり何と言うか、当たり前なのだけれど「西洋式」であって、セネガルの人たちが自分たちで創り上げたものではない、ということが、率直に言って、見ていてとても分かる。今日は歴史の授業もやっていて、大航海時代からアフリカ大陸にまずポルトガルやスペインなどのヨーロッパから植民者がやって来て、その後フランスによってセネガルには首都ダカールやサンルイやゴレ島といった海岸沿いに商館が建てられ、奴隷などの取引が行われた、という説明を先生がしていた。無論それはセネガルの人にとっては自分たちに関係のある歴史であって、大切なことなのだが、良い悪いは別として、小学6年生くらいの子たちが、ものすごく元気よく「ムッシュームッシュームッシュー!(男性だったらムッシュー、女性だったらマダム、と、先生を呼ぶ)」と手を挙げまくって教科書に書いてある植民者がどこの人か、などの「答え」を言う。彼らは、先生がどんなに怖い雰囲気を醸し出していても(セネガルの小学校では生徒は授業中うるさくしたりすると棒やムチなどで机をものすごい勢いで叩かれ、場合によっては本人が叩かれ、秩序を乱すことができないように先生が権力を持っている、というのが大抵の状態であるという実態がある…。)それに対して全くと言って良い程動じていない様子で、とにかく元気が良く明るい。しかし、その元気で答える内容について、一体どこまで本当の意味で理解しているのかしら、、、と思ってしまった。恐らく、先生自身も、言い方があまり良く無いかもしれないけれど、それを教えるというシステムだから教えている、ということなのではないか、と、思わざるを得ないのである。。。それを言ったらセネガルに限らず、公教育を教える学校という場所では、多かれ少なかれそういった状況なのかもしれないけれど…。そんな様子を見ていて教育ということについて考えることは色々あるのですが、とても長くなりそうなので、ひとまず割愛させていただきます・・・。
しかしながら、訓練所でフランス語を教えてもらったマダガスカル人の先生のことを思い出して、何故あんなに怖かったのか、その理由が分かったような気がした。とにかく発音で同じ間違えなどをたとえばしようものなら、耳をつんざくような大声で怒鳴られるのだ。(先生は怖かったけれど、私はとても尊敬している。)フランスでも学校の先生がすごく怖いのかどうかは分からないけれど、あの駒ヶ根の先生の授業と、セネガルの学校の授業の雰囲気は、ちょっとつながるものを感じる。(先生によってもその程度は異なりますが。)先生も、そうでなければいけないからそうしている、というシステムの中の義務感でやっている部分があるんだろうなあ、と、私は思う。勿論、ずっと鬼のように怖いわけではなくて、子どもたちに笑顔を見せることもあるのだけれど。
それにしても明るくおもてなし精神たっぷりのセネガルの人たちを見ていて、あまり悲観的なことは、思わないのですが。
ちょっとまとまらなくなってきましたが、
来週、アンケートを回収しにまた村に行く約束をして、また荒野を歩いて、車が出る村まで行くと、車が出るまでまだ時間があるからうちでお昼を食べていきなよ、と村人の女性に誘ってもらったので、車を待つ間にお昼を頂いて、町まで車に乗って帰ってきた。
毎日色々と思うことがあるけれど、まとまらない・・・。
Today, I went to the school which is in a little remote village. I observed the classes, and they seemed a little controversial for me, because they looked kind of obligatory...
But I am not so pessimistic, because of the cheerfulness and the hospitality which the senegalese people have.
Aujourd'hui, je suis allée à l'école qui est dans le village un peu lointain. J'ai observé les classes, et elles semblent un peu controbersées pour moi, parce qu'elles paraissent plutôt obligatoires...
Mais je ne suis pas tellement pessimiste, grâce à la gaieté et l'hospitalité que les gens sénégalais ont.
人生に秘訣なし!だけれども・・・?
私はこの町に住む数少ない外国人。
私が捨てるゴミは、お金になるものが入っていると思われ、ときどき、あさられることがあるのは、事実。
それ自体が良い悪いということではないのだけれど、捨てたゴミが開けられ、中身が散乱していることがあったので、最近は、あまり目立たないように暗くなってからゴミを捨てるようにしている。(最初の頃、ゴミ捨て用の土管が家の下にあることを知らなかったときは、大きなゴミ捨て場まで、同任地の隊員と一緒に夜捨てに行ったり、同任地隊員の警備員にお願いして捨ててもらったりしていた。)
暗くなってから、下にゴミを捨てに行ったら、見上げた空に、沢山の星がきらめいていた。
セネガルにも「冬」があるとしたら、朝晩冷え込んで空気の乾燥する、この季節は、冬に当たる、と言って良いと思う。日本でも、冬の空は夏の空より、より空気が澄んでくっきりと星が見えることを思い出した。
でも、この間村で見た星空のほうが、沢山の星が見えた。流れ星も。
フランス人青年が、おもむろに自分のリュックから、星空のマップを取り出して見ていたことを思い出した。(彼の仕事は地図作り。村を歩きながらもスマホのアプリでGPSを使ってここには○○があることになっている、などと言いながら、歩いていた。そう言えば私たちは、誰が一番フランスの国土の形をうまく描くことが出来るかというゲームもしたのだった。彼の頭の中はきっと地図だらけなのであろう。さすがはプロというものである。)
何だか話が逸れてしまったような気もするが、今日、この間女性団体の人と一緒にレモンジャム作りをした際に、私がシリアルバーの入っていた箱にナイフを入れていたのを見た女性が、「こういうのが作りたい」と、そのシリアルバーのパッケージの絵を指差した。それが頭にあったので、先日、こちらで沢山栽培・販売されている落花生(落花生は植民地時代にフランスが栽培を普及・促進したものだそうだ)を使って、シリアルバーのようなものが出来ないだろうか、と考え、作り方を検索してみた。こちらでも、小学校の休み時間などに校庭で女性が売っているちょっとしたお菓子や食べ物の中に、たまにピーナッツバーのような、「おこし」のようなものは、あるのは知っていた。
そして、今日、落花生を購入、試作品を作ってみたのだが、あえなく失敗。失敗要因は、砂糖と油を火にかけてキャラメル状にするのだが、恐らくそこで混ぜてしまったことではないかと思われる。砂糖がザラメのように固まってしまい、キャラメルにはほど遠いものとなってしまった。しかし、半ば無理やり、炒った落花生とまぜて固めてみたら、まあ味は美味しくできた。素材自体は間違いないはずなので、それはそうだろう、と、思う。ということで、リベンジ決定!!です。
で、長々色々書いたけれど、私が今日思ったことは、
人生に秘訣なし。ということです。
残念ながら、これさえあれば、的な、秘訣のようなものは、今のところ見つかっていない。もしかしたら、そういうものを知って生まれてくる人、強運の持ち主、そして飛び抜けた才能を持つような人などなど、には、そういうものが必要すらないのかもしれないけれど。(でもその分、大変なことも、あるのかもしれませんが。)
でも、そういうものを持っていない気がする私にも、言えることがひとつあるとしたら、
信じてやり続けること。これに尽きると思う。
信じてやり続けること。それは裏切らない。時間がかかったとしても、ただただ、信じること。そして、やること。
それしかないような気が、今のわたしにはしています。
大量に出来てしまった失敗作のピーナッツを消費しつつ(笑)、明日も頑張るぞ。
信じてやり続けるのみ。
Now, I think that there is no secret in the life.
But, even as the person who seems not to know that, nor have the strong luck nor have the astonishing talent, I can say only one thing.
That is, to believe, and to continue to do.
Maintenant, je pense qu'il n'y a pas de secret dans la vie.
Mais, même comme la personne qui ne semble pas le connaître, ni avoir la chance forte, ni avoir le talent étonnant, je peux dire seulement une chose.
Celui-là est, croire, et continuer de faire.
今日のいろいろ(の一部分。)
ちょっと予定を詰め込んだ日になったため、疲労困憊で倒れていました。笑。
色々なことがあった1日でしたが、今日思ったことは、
夢を見ながら生きていきたいな、ということ。
いつも同じようなことを思っておりますが。笑。
夢を見ないと生きていけない人間なのではないか、と改めて思いました。笑。
今日は菜園をしている学校のあるクラスで、カナダのケベック州にある学校(フランス語圏)と文通のようなことをしているらしく、カナダの子どもたちから来た手紙に返事をするために子どもたちの写真を撮ってくれないか、と先生に頼まれました。急なことだったので少しびっくりしましたが、二つ返事で了承して、菜園のところで子どもたちの写真を撮りました。カナダの子どもたちからは、カナダの冬はとても寒いということや(中にはスケートをしている写真を一緒に送ってきている子どものものもありました)、どんなスポーツやご飯が好きか、セネガルにはいくつの季節があるのか、等の質問が書いてあったりしました。子どもたちはフランス語で返事を書くわけですが、先生が矢のような早さで書き方の説明をしていて、皆ちゃんと書けるのだろうか・・・と少し心配気味に見ておりましたが、どうやらまた別の日に続きをするとのことでした。
菜園の大根は給食に使ってもらい、セネガル料理として供されました。私も少し頂きましたが美味しかったです。
ということで、いつも思うことは沢山あって、書ききれないくらいなのですが、
今日は眠ります。笑。お休みなさい。
I'd like to live with dreaming. I think that I cannot live without the dream.
Je voudrais vivre en rêvant. Je crois que je ne peux pas vivre sans rêve.
Good night for all.
Bonne nuit à tous.