セネガルホリックな今の気持ちを噛み締めて。
アフリカは、セネガルに来られて良かったと今日も思った。
ダイナミックでエネルギッシュな人たち。サイサイ(変な人というような意味)トークばかりしていて、下ネタ大好きな人たち。(男も女も。本当です。)
見た目のごつさとは裏腹な、チャーミングさ。日本は、黒人の人自体が少なくて珍しい、と言っていいぐらいだと思うから、平均的に背が高くてマッチョ、手足が長くて、女性は胸とお尻が大きくきゅっとしている、そんなセネガルの人がいたら、どこに行っても目立ってしょうがないと思うけれど、そんな見た目で日本人の人たちがちょっと怖がったりしたとしても、喋ったらすぐに怖さなんて消えると私は思う。
沈んでいく夕日、砂の風、カフェトゥーバというスパイス入りの、砂糖たっぷりすぎて甘すぎるコーヒー。どれもいつか懐かしくなるのだろうか。
セネガルにはまた来たいけれど、
他の国ももっと旅してみたい、という気持ちも正直ある。特に他の所謂ブラックアフリカと、北アフリカと、中東も、そしてもともと行きたかった中南米も、行ってみたいんだなあ・・・。私は、ときどき自分がちょっと病的だと思うことがあるのだけれど。。。
フランス語の勉強をすることが目下私のやることのひとつなので、Twitterでもフランス語系のメディアをフォローしたりしているのだけれど、Le mondeのアカウントで、たまたま日本の奈良の記事を見つけて、記事は勿論(新聞記事なので難易度の高い)フランス語なので未だ読めていないのですが、何よりそこにあった鹿の写真に惹かれて、見ると日本人の女性写真家が撮影したものだったらしい。
「À Nara, les cerfs sont rois」(日本語では、「奈良では、鹿たちは王様。」といった感じでしょうか…)↑Le monde.frの記事のリンク
写真の持つ空気が素敵で、私もこんな写真を撮れるようにいつかなりたいなあ・・・と思い、色々なところを巡ってみたい思いもわいてきた。
毎日の時間はどんどん過ぎて行くけれど、
本当に、この貴重な「今」という時間を、大事に噛み締めて、集中して、感じ取っていきたいな、と改めて思う。
Today, I thought I was very happy to be here in Africa, Senegal. People are very dynamic and energetic. Although their appearance are tough and cool, their character are charming and warm, I think.
Aujourd'hui, j'ai pensé que j'étais très heureuse d'être ici en Afrique, au Sénégal. Les gens sont très dynamiques et énergiques. Bien que leurs apparences sont tobustes et géniaux, leurs caractères sont charmants et chaleureux, je crois.
楽しさと残酷さ。
日付が変わってしまう・・・
今日は正直なところ、女性の月のものが重く、とにかく睡魔が襲ってくるのと頭がぼうっとして集中できず、あまりふるわない1日でした。仕方がない。
そんな中でも思ったことは、重く難しく物事を捉えるのではなく軽やかに生きていくことって大切だな、ということ。結局のところ、軽やかな方が良いのだと思います。ふわっと。
私が楽しい状態、というのは、もしかしたら誰かは楽しくなくなってしまう状態なのかもしれない。私が元気でいることは、誰かの元気を奪ってしまうことなのかもしれない。そういう、生きる上での難しい問題は、どうしてもあるのだけれど、それでも、生きていく、ということに、意味を見いだしたいのであるならば。
誰かに救いを求めるのではなく、
結局、自分で自分を救うべく、楽しく生きていく、ということしかないのかもしれない。
ちょっとうまく言えないけれど、そういう定めにあるのがこの私という人間なのかもしれない。
楽しさや笑いとかっていうことは、残酷さと実は切っても切り離せないものなのではないかと思う。
生きるということはそういう意味で難しいし、冷たいし、哀しい。
でも、楽しい。表裏一体。
そんな風に思った。
思い出させてもらったこと。
今日は村の学校へ。
久しぶりに訪問出来て良かった。
帰りに、車道脇で立って車を捕まえようとしていたのだけれど、なかなか捕まらず、これは時間がかかるかな、、と思っていたら、一台の車が停まってくれた。
首都へ向かう車で、私の町を通過するため御礼を言って乗せてもらい、隣に乗っていた人にウォロフ語で話しかけたら、フランス語でウォロフ語はあまり分からない、ということを言われた。セネガルでウォロフ語が分からないという人は、よほど遠隔の村のプラール族やセレール族の人か、外国人か、であると思う。(そのくらい、本当に多くの人がウォロフ語を話す。)私は、セネガルの人ではないんですか?と聞いたら、その人はコンゴの人だった。やはり、と思った。
外国人観光客も多い、北のサンルイという世界遺産のある旧植民地の遺産の町から来ていて、そこで医者をしていると言っていた。
その人と話しているときにふと、私は何故か、自分がアフリカにいることや、片言であるけれども、こうして外国の人と話をしていることに対して、変に聞こえるかもしれないが、ああ、こういうことって、自分がしたかったことだ、と思った。
最近、セネガルの人とウォロフ語で話す日常が、ちょっと自然になりすぎていて(勿論、すごい早さでセネガルの人どうしがウォロフ語で会話している内容はまだ全然理解に及びませんが、)自分が外国にいて外国人で、という感覚が、薄れつつあったのかもしれない。笑。
そういう中で久しぶりにセネガルの人ではないアフリカの人と話して、私はアフリカにいるんだよな、という感覚がふと、鮮明に息を吹き返した感じがした。
私は色々なバックグラウンドを持った、色々な国の出身であったり、色々な言葉を母語に持つ人であったり、そういう人たちと触れ合いたいし、仕事がしたい、と思っていた。その感覚をふと我に返って思い出した感じがした。
そして、潜在意識の中では、ウォロフ語シャワーの中で圧倒的にマイノリティ感を味わう自分の存在との親近感を、勝手に彼に感じたというのも、ちょっとあるかもしれない。笑。
今自分がやりたかったことに限りなく近い環境にいるのだ、ということをより強く意識させてくれたその人に、感謝したいと思う。
この日常は、とても有り難いものなんだ。
Today, I went to a village. After I left the village, I tried to stop a car, standing aside the route to go to my town, and a car which was going to the capital city stopped. They picked me up, and I talked with the person who were sitting biside me in the car. He couldn't understand the wolof. He was a foreigner. He reminded me of what I was doing at the moment was what I had wanted to do. I would like to thank him for making me remind that. Also, I'd like to thank the days in Senegal.
Aujourd'hui, je suis allée au village. Après quitter le village, j'ai essayé d'arrêter une voiture en s'écartant de la route, et une voiture qui allait à la capitale a arrêté. Ils m'ont pris, et j'ai parlé avec la personne qui s'asseyait à coté de moi dans la voiture. Il n'a pas pu comprendre le wolof. Il était un étranger. Il m'a rapplé ce que je faisais à ce moment là était ce que j'avais voulu faire. Je voudrais lui remercier de me faire rappler cela. Aussi, je voudrais remercier les jours au Sénégal.