Un poisson rouge -24ページ目

可能性はいつもある。

人はいかようにだって生きていくことができるし、ものの見え方は自分自身の内面の反映なのだと思う。

 

どんな状況下であっても、ポジティブに生きることは可能だし、光を見つけることは出来るのだと思う。

 

I think one can live in any way, and how we see the things is the reflection of the inner side of ourselves.

 

We can live in a positive attitude, and we can find the light under whatever circumstances.

 

Je pense qu'on peut vivre par n'importe quel moyen, et comment on voit les choses est le reflet du côté intérieur de nous-même.

 

On peut vivre par une attitude poditive, et on peut trouver la lumière en toutes circonstances. 

 

 

今日もありがたい。

今日は昨日と別の村の学校で石けんの手洗い講習をした。校長先生が全校生徒を、給食を食べるための場所として支援によって建てられた建物の中に呼び寄せてくれて、そこに説明を書いていった模造紙を貼ってくれて、皆の前で説明と、デモンストレーションをした。何故か最後に、日本の歌を歌って、と言われ、少し焦りながら、咄嗟に思いついた童謡「チューリップ」を歌った。子どもたちは元気に真似して歌ってくれていた。

 

そこの学校の先生が、熱心にセネガルやアフリカの政治について話してくれて、その話しが興味深く面白かったのですが、その話しだけでもすごく長くなりそうなので、ちょっとまた別の機会に書けたらな、、などと思います。インシャーラー(神のみぞ知る)。

 

でききれていないことが沢山あるのだけれど、頭の中をもう少し整理したいし、もう少し時間をうまくやりくりしたい。

 

しかしながら、今日も感謝して眠ります。おやすみなさい。

 

Je voudrais organiser mon idée et le temps plus.

 

Merci beaucoup, quand même. Bonne nuit à tous.

 

 

大地のギフト

最近ちょっとばたばたしていてなかなかきちんとブログを書く時間をとれていない・・・。けれど、ここは、心の整理のような場所でもあるので、心静かに書きたいと思っています。

 

今日は少し遠方の村の学校へ。

校長先生の住む近隣の村に寄らせてもらってから、車に乗って、自分の住む町へ。

 

乗った車の後部の、屋根付きの荷台のような所から、外を眺めて、ずっと真っ直ぐ伸びている道路と、砂と木々が平坦な土地に見渡す限り続いている景色を見つめていた。

 

途中、その車の屋根の所から、水がぽたぽたと落ちてきて、そこに座っていた人がありゃ、という感じでよけた。何と、その屋根の上に羊が(荷物として)乗せられていたらしく(セネガルでは結構よく見る光景)、一緒に乗っていた人が「羊のおしっこだよ」と言っていた。羊のおしっこの雨漏り、というわけだった・・・。噂には聞いていたけれど、こういうことだったのか・・・!と、思わぬ初体験をした。笑。

 

町に着いた後、市内を走るバスに乗り換えて帰路につく。

乾いた大地の向こう側に、ほんのりと赤く染まる空。落ちていく日と、木々の影が、印象的で美しかった。

 

村に行くといつも、

乾いた広大な大地に、木々が生えている様子が、ずっと遠くまで見える。

その景色が好きだ。

村は所々に点在しているけれど、人の気配があまりない、ずっと遠くの砂の荒野。

 

それを見ていると胸が晴れ渡るような思いがする。

自分の些細な考えや悩み事が、不思議と、どうでもいいように思えてくるのだ。

 

太陽を沢山浴びたアフリカの大地が、私に教えてくれることは、

言葉には表し難い、この世界や心の中に、隠されたギフトのような気がした。