Un poisson rouge -23ページ目

語学試験と、古い写真のこと。

最近ちょっと毎日ブログを更新できていない・・・。

自分のペースが少し崩れてきている気がすることは、反省。

またペースを取り戻していきたいと思う。

 

実はリベンジのフランス語試験を受けてきた。

やはり今回も難しかった。後は結果を待つのみ。

だけれど、変に焦ったりはしない。何故なら、語学は私にとって趣味のようなものだし、これからも自分のペースで勉強を続けていくつもりだからだ。資格はひとつの指標にはなり得るのかもしれないし、モチベーションの向上にはつながるかもしれないけれど、それを到達点として目指すわけではない。知識を増やし、その世界を知っていくということが、何よりも自分にとって面白いことなので、あくまでそこを追求していきたい、と思う。

 

そして試験を受けた隣の町で、

帰り際、その町で活動する韓国ボランティアの子が、私がトイレに行きたいといったときに、あるホテルに案内してくれた。

その町は海に面した、島の形に突き出た場所なので、そのホテルにも海の見えるレストランがあって、可愛い雰囲気だった。

そのホテルのトイレの扉に古い写真のポスターが貼ってあった。1909年当時の植民地時代のセネガルの、その町で撮られた人物の写真だった。

とても興味深かったのは、その人物の着ている服が、今現在セネガルの人たちの着ている服と、あまり変わらないように見えたことだった。

日本だったら、100年以上前に撮られた人物の着ているものと、今生きている人が着ている服は、明らかに違う雰囲気ではないかと思う。もしかしたら、例外はあるかもしれないけれど、町に歩いている人などは、たとえば着物を着ている人なんかは滅多に見ない。
時が経っているのに、止まったように見えるそのモノクロ写真に、何だかすっと引き込まれた。

写真の持つ面白さ、興味深さは、その時代を生きていた人の息吹が聞こえてくるような気がすること、そして、今現在との時の連続性のようなものを感じられることだと思う。

 

時を越えて、写真が話しかけてくるかのようだった。

 

 

大切なこと。

昨日は私の任地に新しく来た新隊員の歓迎会ということで、クリスチャンのセネガル人の友人(同任地隊員の家の警備員)に豚をさばいてもらい(豚を飼育・販売しているため)、自分たちで料理をした。日本では、屠畜というものはなかなか間近で見られるものでは現在はないが、命をいただく、ということの本来の意味を考える機会が、セネガルには身近にある。私たちはまさに命をいただくまでの全行程を体験し、有り難く調理して美味しくいただいた。豚は私たちの血となり肉となり、この体をつくってくれたのだ。有り難いという言葉は月並みかもしれない。言葉として言い表すのは難しいけれど、お肉を食べて生きるということは、生々しい命をいただいているということなのだ。。。

 

 

 

生きていくことは、忙しく続いて行く営みだけれど、

その中でも大切なことを考える時間というものを、きちんととっていきたいと思うし、その時間の濃度を強く、そして長く、精緻にしていきたい、と思う。

可愛さのこと

愛が必要。

 

自分の荒っぽい部分をちょっと自戒して、もう少し愛を込めてオブラートをいつでも出せるようにしておかないとなあ、と、何となく、思う。

ちょっと戦闘モード気味だったかもしれないな、と思う。

まあ、そういうときも多分必要なのだと思うけれど。

 

そして、

セネガルの人たちは、テンションが高い人が多いので、

私もそれに引っ張られて、テンションが高くなる、が、

後で結構ヘトヘトになっているときも、正直ある。笑。

 

写真を印刷するラボの、女性の店員さんが可愛い。

声が高くて、真面目に仕事してて、ちょっかいを出してる男性たちを、そつなくあしらっている。今日もそこに行ったのだけれど、カラフルなセネガル服に身を包んで、編み込みの長い付け毛をしていて、赤い口紅をしてお洒落していて、てきぱきと仕事していて、可愛かった♪

 

可愛さって、大事なことだなーって、思う。

 

The loveliness is very important!

 

Le joli est très important!