Un poisson rouge -14ページ目

運命の奏でる音。

運命みたいなものがあるとしたら。

 

同期隊員がふと、

「自分の未来が早く知りたい」と言った。

 

面白い言い回しをするな、と思った。

 

何故なら、それは言ってみたら、受動的な言い方なのだ。

誰かが未来を決めていて、それを覗き込む自分、というような構図。

 

彼女は努力家だから、無論努力をしないで生きている、というわけじゃない。

それに、努力をしていない人なんているのだろうか。

誰しも、何が起きるか分からない人生という海を、ときには怖がったり困難に襲われたり溺れそうになったりしながらも、ときには波の心地良さを全身で感じたり、泳ぐこと自体に夢中になったり、一緒に泳いでくれる人を見つけて喜びを見出したりしながら、懸命に泳いでいるのではないか。

 

生きているということは、不可知なことが多い、と思う。

 

ただただ泳ぐ中で、それでも、これは運命の波だ、と思う波を発見し、そこに乗らないという選択肢はない、という瞬間があったりする。

それは、とても面白いことだと思う。

 

何となくでも良い。曖昧でも良い。自分に与えられる運命という波がやって来たときに、

それを迎えられる自分であるように。

 

運命の奏でる音を聞こう。

 

そのメロディーはきっと素晴らしい。

 

もしかしたらメロディーにすらなっていないものなのかもしれないけれど。

 

その運命の奏でる音を集めて、

自分だけの音楽をつくること。

 

それは素敵なことに違いない。

 

 

 

 

その先へ。

帰国する日が、カウントダウンできるくらいになってきた。

 

ここに来る前に、何を思っていたか、今一度、あのときのことを思い出そうとしてみる。

 

私は遠くに行きたかった。

 

そして、それは叶えられた。

 

全く知らなかった言語を、ふたつも同時にやっていくことになった。

 

いつか、馬車に乗ってセネガルの村に行くまでの風景も、日常的なウォロフ語の挨拶も、ぎらぎらと照りつける太陽光も、砂に足をとられながら進む道も、その全てが人生の、ひとつの「記憶」として、思い出される日が来るんだ、と思う。

 

人生の時間というのは、いつもそういうもの。

今はもう二度とやって来なくて、

愛おしくて切なくて、そんなことを考えただけでも涙が出そうになる。

 

傷ついたり、苦しかったり、怒ったり、愛おしかったり。

沢山の感情と、失敗も経験して、私は少しだけでも、成長しただろうか。

 

少なくとも、学んだことは沢山ある。

 

私はたぶん元々臆病で、人見知りだけれど、

セネガルの人たちの陽気で明るい空気の中では、

そんな日本での自分を忘れられることも多かったと思う。

 

自分の追求すべき道と、自分の家族のことの間で、

私は揺れ動くけれど、

これからも、進むべき道を進んで行くべきなんだと思っている。

 

だから、志しを見失ってはいけないんだ。

 

アフリカに来たことに、きっと意味がある。

私はここで学びとって、次に繋いでいくべきことがあるんだと、

神様がきっと示してくれた道なのだろうと思う。

 

だから、もっともっと勉強して、もっともっと賢くなって、

私は多様性のある世界を築くことに、コミットしていきたいと思う。

 

頑張ろう。

 

 

奇跡的な場所。

アフリカの地方都市である、私の任地は、人びとが人間らしくて、温かく、そして挨拶の中のフレーズにあるように「jamm rekk(平和のみ)」である。

 

私はそんな、奇跡的な場所にいられることに感謝する。

 

世界では、本当に悲しいことに、

国をまたいだ緊張関係や、テロリズム、戦争といった、人びとを分断しかねない事象や、偏狭な思想・行為が蔓延しそうになっている、と、思う。

 

そんな中にあって、決して暮らしが派手でなくとも、人びとがしなやかに、そしてエネルギッシュに生きていることを目の当たりに出来る環境は、素晴らしいと私は思った。

 

Je remercie d'être ici dans cette ville locale en l'afrique.

 

I thank for being here in this local city in Africa.