Un poisson rouge -12ページ目

越える。

今の自分を越えて行くには、

疲れた身体にもある程度むち打たないと、だと、思う。

 

最終表敬という、自分の配属先にダカールの事務所から調整員が来ての最後の挨拶と、今までの活動をプレゼンする日がかなり急にスケジュール決定されたらしく連絡が来て、ひいひいしながらプレゼン資料を作っている。写真が整理されてなかったのと、フランス語で資料作成しているのとで、ひとつひとつにとても時間がかかる。同じ姿勢で作業し続けて、肩こりが酷いので、夕方と夜の間くらいの時間に、散歩しに行った。

 

最近、帰国が迫ってきて結構センチメンタルになる。。セネガルで過ごした日々、仲良くしてもらっている人たち、町と人の持つ熱量、ダイナミックなエネルギー、明るさ、派手さ、その、すべて。

 

人生は、満たされない。

私は、まだ、満たされたことがない気がする。

 

だから、自分をずっと更新し続けて、越えていかなければならないのだ、と思う。

 

越えていけ、もっともっと、やれるはず。

 

Je dois se dépasser pour se développer.

 

 

 

やってみたいことに、挑戦するということ。

そのときそのときに、自分がちゃんとやりたいことに挑戦することは、すごく大事なことだと、思う。

 

小さなことから、大きなことまで、人生は選択の連続だから。

 

たとえば、今日着る服を選ぶ、夜ご飯を選ぶ、使うかばんを選ぶ、読む本を選ぶ、見る映画を選ぶ、といった、比較的小さなことから、

誰と一緒に過ごす、どんな習い事をする、どこに旅行に行く、どんな仕事をする、どんな進路を選ぶ、どんな夢を持つ、といった、比較的大きなことまで。

 

 

私は、大学4年生の頃のとある時期、自分の興味のあった出版社の販売部で、週4日ほど、朝から夕方、ときどき夜まで、アルバイトをしていた。

そのときは、若さ故の勢いと、世間知らずも手伝って、怖いもの知らずだったのかもしれないけれども、通常、ある程度経験がないと雇ってはもらえないであろうと思われる所を、電話して問い合わせて、アルバイトなら、と言われ、履歴書を送って雇ってもらったのだった。

 

そこで働かせてもらいながら、色々なことを学んだ。

大学の中で見えなかった「社会」というものを垣間見させてもらったと思うし、仕事の大変さ(特に編集部の人たちは、校了前になると文字通り机にかじりついてずっと仕事をしているようだった。)、メールはどのように書くか、電話はどのようにとるか、という基本的なことも、かじらせてもらった。本がどのように書店に売られていくのか、そのシステムも少しだけ学んだし、何も知らないただの下っ端学生アルバイトの身分だったけれど、社会人と呼ばれる人たちの酸いも甘いも、少しだけ味わわせてもらったような気がする。

 

そんな、学びの多い日々であったにも関わらず、私は、心のどこかで、

会社という中から見える世界ではなくて、もっと生の「現場」に行ってみたい、と感じるようになった。

 

そして、その思いを温めて、自分なりに辿り着いたのが、今だと思っている。

 

やりたいことは、人生の段階で変わっていくのは、とても自然なことだと思う。

それに、色んなことがある人生は、すぐにそのときに自分の一番やりたいことが出来ないこともあるかもしれない。

 

けれど、私の場合は、あのときに抱いた思いを、その後会社員の経験もしながらも、やはり、変わらず心のどこかに抱いていた。

 

だから、今がある。

日本から遠く離れたアフリカの地に、自分がいる。

もしも、この道を選択していなかったら、と考えたりするし、

この道が「正しかった」のかどうか、ということも考えることがある。

 

その答えは、分からない。

けれど、ひとつだけ言えることがあるとしたら、それは

「やってみたかったこと」をした、ということだ。

 

だから、私は、後悔しない。

自分がしてみたかったことだから。

 

そして、

やっぱり、

小さなことから、大きなことまで、

もしかしたら、それを選択したことで、失敗すること、悲しむこと、辛いことも、起きるのかもしれないけれど、

でも、ちゃんと自分の心がそのときに「やりたい」と素直に思うことに、駄目で元々でも、挑戦していきたいと思う。

 

 

 

 

村の空気

アンケートをしに、先日、村に一泊させてもらった。

 

村の学校に併設の、その学校の先生たちが、学校のあるウィークデーに生活しているお家。

 

そこに泊まらせてもらって、生徒の保護者向けアンケートをさせてもらった。

 

そこの村は、私の家のある町から、舗装道路を約40分くらい、そのあと、砂道に入って、約1時間ちょっとくらいかかる。

 

帰りの車が確保できないから、泊まることになるよ、と言われて、泊まらせてもらうことにした。

 

炎天下の車内はとても暑くて、ぼこぼことしたタイヤが沈んでしまいそうな砂道を延々と走る。

 

隣に座っていた、その村の村長さんと、色んな話しをしたけれど、車内は時間帯もあって、サウナのような暑さになっていた。

 

私の町から一緒に村に行った女性の先生は、車の上に乗っていた。上、というのは、荷台にあたる部分に設置された、椅子のような板張りの部分。屋根はない。荷台には荷物が乗っているから、人間は、その上。

私も帰りはそこに乗って帰ったので分かるのだが、不安定な砂道を車が走って行くとき、落ちないようにバランスをとるのでけっこう精一杯。油断すると本当にぐらっと倒れて落ちてしまいそうになる。

 

上に乗ってくれた先生に悪いと思いつつも、村長さんは私は車内に、と席をすすめてくれたので、行きは運転席の隣、助手席と運転席の真ん中のスペースに乗せてもらった。

 

その車で村に辿り着いたとき、上に乗っていた女性の先生も村長さんも私も、暑さと空腹で、結構へとへとになっていた。

 

村長さんとお別れし、先生と私は学校へ。学校の隣にある、先生たちのお家に行って、先生にお土産のバナナを渡して、休憩し、ペコペコのお腹に、お昼ご飯のチェブ・ジェン(魚ご飯)をいただく。

 

ほてった体を冷やすため、またすすめられたこともあって、外の一角にあるトイレ件水浴び場で、水浴びをさせてもらう。

その日は、村に水を供給している給水塔の故障によって、断水が起きていたらしく、貴重な溜め水を大事に使わせてもらう。

 

バケツから手桶ですくって水を体にかける。その日はとても暑かったので、その水の有り難みを心底感じた。

 

子どもたちは夕方、学校の校庭でサッカーの試合をしていた。

 

校長先生にお願いして、生徒のお母さん3名を学校に呼んでもらい、先生にも手伝っていただいてアンケートを行った。

 

夜の村は、静かだ。野良犬の鳴き声がしているくらい。昼間の日光で温められた屋内より、外にいる方が涼しい。先生たちと話したり、テレビを見たりして、夕食を一緒にとらせてもらう。

静かだけれど、温かな時間だった。村の持つ不思議な、鋭敏な空気。自分の家のように、インターネットが使える環境でないことも大きいかもしれない。

 

朝起きると、わずかな水溜まりにある水を求めて小さな鳥が玄関先にいた。

ここは、沙漠の土地。生き物にとって水があるかどうかというのは、ここでは文字通り死活的なことである。

 

 

 

 

セネガルにいる生活があまりにも自分にとって日常化していることを感じる。

あと少しで日本に帰るのが不思議だ。

 

日本でお金を溜めて定期的に戻ってきたい。今正直そう思っている。

 

生きることって大変なことも沢山あるけれど、

とても、美しいことだ、と思う。