Un poisson rouge -135ページ目

壮大な「ぐちゃぐちゃ」!

誰かのツイートに、
「ぐちゃぐちゃな人生」という表現があって、
とても良い表現だなーと、思った。

そう、人生は、ぐちゃぐちゃ、である。
予測もつかないことで、一喜一憂し、泣いて笑って怒って、定期的に(いや、その実わたしの場合は不定期に、)ものすごく死にたい願望に襲われたりする。

嫌われたくなくて素直になれなかったり、もう嫌われようが何言われようが関係ねーわ、という具合で半ば暴走したり。本当に忙しい。

壮大なぐちゃぐちゃ、である。
いつも頭がカオスすぎて、手に負えない。そして、こうして文章に書いてみると、書いているうちに何とか段々と、それが収束してくる感じがする。

今日は、舞台の練習をしていて、何故かディズニーの、アラジンの「Whole New World」を歌っている夢を見た。
高校時代、文化祭の練習でミュージカル漬けになっていた日々を思い出した。
ああ、やっぱり自分そういうの好きなんかな、と冷静に思った。

やはり文章を書いていると落ち着く。

ぐちゃぐちゃでカオスな頭が、ひとつのことに集中することで、冷静さを取り戻す。


壮大な「ぐちゃぐちゃ」で、何をしようか。
何ができるのだろう。
できることから、やり始めよう。
きれいさっぱりいかなくても、苦しくても、失敗しても。
これも誰かのツイートにあったけれど、
失敗するのは、何かをやった人のみ、だって。
失敗するしかないからね。
何が成功で何が失敗なのかということすら、やらないことには、何も分からないから。

ぐちゃぐちゃウェルカム!

選択

雑音から、耳を遠ざけてみる。

意識的に、そうすることも大切なのだとわたしは思う。

自ずと、必要な音が耳に入ってくるようになる。

きっとそうなる。

心は豊かで、静かになる。

わからない、という感覚。

確か、小学校の低学年くらいのときであったと記憶している。

その頃、「貿易」という概念が、どうしても理解できなかったことを、今でも覚えている。

授業か何かで「貿易」という言葉に、恐らく、自覚する中で初めて出会い、どうしても、その意味がよく分からなかった。

「わからなさ」ということについて考えるとき、わたしは、このときに抱えていた感覚を思い出す。

頭に、ありありと思い描くことができない、とでも言えば良いだろうか。

その後、私は、「貿易」という言葉の意味を、文章等を読むうちに、また、社会科などで取り扱われるのを耳にするうちに、少しずつ、何となく理解するようになっていった。

小学生の自分にとって、「貿易」という概念は、あまりにも遠く、頭の中に、リアリティを伴って思い描くことのできるものではなかったのだ。

しかし、今、大人と言われる年齢になり、世の中が、どのように成り立っているか、経済、社会等について、ある程度、「理解する」ようになったこの自分が、また、同様に、社会の「大人」と呼ばれる年齢に達した人たちが、
「理解する」、「わかる」と言うとき、果たして本当に「わかって」いるのであろうか、ということを考える。

ある言葉を、その言葉の用いられる文脈で理解するようになっていく。
言語の習得とは、そのようなプロセスを繰り返していく中で行われていくのかもしれない。

しかし、小学校低学年の私にとっての「貿易」という概念同様、自分にとって、実感を伴って理解できるはずのないことを、私たち人間は、容易に、「理解した」「わかった」という気になってしまっているのではないか。そう、思うことがある。

現代は、「文字の時代」であるように思う。
インターネットは、映像ももちろん見られるけれど、何より「文字」を広めている。
文字を読み、「理解した」気になることは、いとも簡単にできてしまうように思う。

しかし、そこではたと考える。

本当の意味での「理解」とは、実感を伴っていなければならないのではないか、と。

「理解する」ということは、考えている以上に、本当は、とてつもなく難しいことなのではないのだろうか、と。

頭で考えるよりも、実行に移すことのほうが、(これも主観であるが、自分の感覚としては、)とても難しいように、
現実を、実感を伴って「理解する」とは、私たちのこの短い一生で、ほんの少しのことについてしか、言えないのではないか。


だからこそ、「わからない」という感覚を、大切にしたい、と思う。
自分が、何を「知らない」のか、「わからない」のかを、分かっている、ということは、
謙虚になることができる、ということではないか、と、思う。。

自分のことすら、たとえば自分の体のこと、脳みそのこと、すら、
実はよく分かっていないのが、人間である。(分かっている人も、中にはいると思いますが。)

今、たたいている、このパソコンの仕組みすら、分からないで使っている自分が、いる。

実は、分からないことが、ほとんど。と言っても、いい。

「わからない」という感覚を、大切にしていきたい。

そこに、生きていく上での、大切なヒントが、隠されているように、今、思う。