覚え書き
中途半端なこと
はしたくないなあ、自分の気が変わってしまうのは嫌だなあ、それでまた人に迷惑をかけるのも苦しいなあ。
そんなことをうだうだと考えていると何もできなくなってしまう。。
どこかで区切りと折り合いをつけなければ、物事というのは進まない。
そして、進む、ということは、切り捨てることも当然あり、その痛みを引き受けた上で、
でなければならない。
反芻される言葉たち。。。
極端な考えではなく、中庸の精神を、持ちたい…
はしたくないなあ、自分の気が変わってしまうのは嫌だなあ、それでまた人に迷惑をかけるのも苦しいなあ。
そんなことをうだうだと考えていると何もできなくなってしまう。。
どこかで区切りと折り合いをつけなければ、物事というのは進まない。
そして、進む、ということは、切り捨てることも当然あり、その痛みを引き受けた上で、
でなければならない。
反芻される言葉たち。。。
極端な考えではなく、中庸の精神を、持ちたい…
私という無自覚性。
私は無自覚な人間であるなあと思う。
ツイッターのプロフィール等に、皆色々なことを書いている。
自分の職業を書く人もいれば、活動や趣味について書く人もいる。自己紹介である。
自己紹介、それは私にとって、昔から、実は難儀であった。
自分とは何なのだろう。今この瞬間ここに存在し息をしているこの存在は、
一体何故ここにいるのだろうか。
はて、考えてみると不思議なのである。
大概の人は、自分の生まれたときの記憶は、持っていないのではないかと思う。
人が生まれ、育ち、意識を持ち、自我というものを抱くようになること。
これはごくごく自然で、「日常」「生きるということ」それそのものなのだろうから、特別なことではないのかもしれないけれど、よく考えてみればこれ程不思議なことはない。
一体自分は誰なのか。
真に、この問いに答えられる人間は、恐らくいないのではないだろうか。
私は、人は、とても無自覚な存在であるように思う。
その無自覚性が、人間の持つ哀しみでもあり、また、面白いところでも、あるのかもしれない。
一体自分は何者なのか。
一生をかけて、個々の人間は、この問いに対峙していかなければならないのかもしれない。
ツイッターのプロフィール等に、皆色々なことを書いている。
自分の職業を書く人もいれば、活動や趣味について書く人もいる。自己紹介である。
自己紹介、それは私にとって、昔から、実は難儀であった。
自分とは何なのだろう。今この瞬間ここに存在し息をしているこの存在は、
一体何故ここにいるのだろうか。
はて、考えてみると不思議なのである。
大概の人は、自分の生まれたときの記憶は、持っていないのではないかと思う。
人が生まれ、育ち、意識を持ち、自我というものを抱くようになること。
これはごくごく自然で、「日常」「生きるということ」それそのものなのだろうから、特別なことではないのかもしれないけれど、よく考えてみればこれ程不思議なことはない。
一体自分は誰なのか。
真に、この問いに答えられる人間は、恐らくいないのではないだろうか。
私は、人は、とても無自覚な存在であるように思う。
その無自覚性が、人間の持つ哀しみでもあり、また、面白いところでも、あるのかもしれない。
一体自分は何者なのか。
一生をかけて、個々の人間は、この問いに対峙していかなければならないのかもしれない。