Un poisson rouge -137ページ目

ベジ。

インド人にも「大食い」との印象を残してしまった今のわたしからは到底想像もつかない話であるが、
わたしは小さい頃、食べなかった。

あまりにも食べないので、親が、この子死ぬんじゃないか、と心配したくらいだそうだ。

食べなかったことは、自分でも覚えている。

食べることに興味がなかったのだ。
食事の時間が一番嫌いという、変わり者だった。
外食なんて最悪だった。食欲もないし、食べ物に興味もないわたしには、苦痛の時間でしかなかった。その頃から、既に少々ひねくれていたようだ。笑

親戚や家族との外食のときなども、箸の袋などにひたすら絵を描いたり、箸の袋工作(※折ってゲジゲジにしたりする作品)をしたりしている、何だか暗そうな奴であった。

ご飯も肉も魚も、全然食べられなかった。

そんなわたしが、特別に、と言っても良い程、食べられたものがある。

それは、
きゅうりと、トマトと、枝豆である。

さすが夏生まれである。
そして、若干おっさん臭い。


こんなことを思い出し、わたしはふと思った。

わたし、生まれながらに、ベジやん。

ベジ先取り?


しかし、今となっては、
わたしはよく食べる奴になった。

百発百中くらいの勢いで、
「よく食べますね」と言われます。

わたしも社会化されたものである。



しかし、そんなわたしは、
最近、油っぽいものや、
ボリュームのありすぎるものが、
あまり食べたくなくなってきた。

良い傾向である。


少しずつ、原始の自分に戻りつつあるのだろうか。


自分の内側から湧き出てくる変化を感じ取りつつ、
食を見つめ直し、
ここでまた、
しっかりと考えたいものである。

Laos

随分ご無沙汰してしまいました…

8月18日から、22日にかけて、夏休み+有給をとり、ラオスに行ってきました。

訪れたのは、首都ヴィエンチャン(Vientiane)と、ヴィエンチャンの空港から空路40分(陸路だと約10時間)のところにある古都ルアンパバーン(Luang Prabang)というところです。

写真をWeb上にアップロードしました。
よろしければ、ご覧ください。

こちら→ 「Laos 2012」


気づき始めたこと

にわかに、気づき始めたことがある。

中学生くらいのとき、仲の良かった幼馴染の友だちに、よくふざけて「トロい」「のろい」「トロ子」「トロ野郎」などと呼ばれていた。(笑)

そう、わたしはトロい。

小学校、中学校での、図画工作や美術の授業でも、作品が授業時間内に作り終わらず、居残りしたり、未完成のまま提出することになったりすることがあった。

たまに、気づくと、置いてけぼり、というか、ふつうにやっていたら、もう皆終わってとっとと帰っていた、というようなシチュエーションも、思いだしてみたらよくあった。何かの試験とか。

何かが、ずれている。

時間の感覚が、ずれているのかもしれない。
そんなことを、薄々、感じてはいたけれど、最近、改めて、気づき始めた。

世の中の時間と、自分の時間のずれは、誰しも多少なりともあるのかもしれない。

わたしは、少し、ずれているかもしれない。
何だかそんな風に思う。

ときには、とてつもなく、「速さ」を感じ、自分の中であれやこれやと、目まぐるしくものごとが展開して、この世界の時間の流れに、もどかしさのようなものまで感じることすらある。一方、自分の中で、悠久の時間の流れとでも言えるような「遅さ」を感じ、世の中の時間の流れが速すぎてついていけないように思うこともある。いずれにしても、「ずれて」いることを感じることが、多々、ある。

そういえば、インドに行ったときにも、「君は老人のような動きをするね」と言われたりした(笑)。



車で走って通り過ぎるのと、同じ道をゆっくりと歩くのとでは、
世界が全然違って見える。

まるで、時間の流れが違うのが、不思議だ。

それから、わたしは、たとえば、水槽を泳ぐ金魚や、葉っぱの上を歩く虫など、
そういうものを見ていても全然飽きない性質(たち)である。

結構、いつまでも観察してしまったりする。(笑)

ものに見入っているとき、何かに没入しているときの、時間を忘れる感覚が、自分にとってとても心地の良いことであるということ。

最近、写真をかじり始めて、「瞬間に没頭すること」の心地よさに、改めて気づいた。

ものを見ることに集中し、「そのとき」に没入すると、普段見ている世界と、異なる次元の世界が展開していくことに気づく。それは、時間の流れを、一瞬止める、ことに集中してみると、普段は気づかなかった視点でものを見るからなのかもしれない。


この、自分の感じる、時間の流れの不思議なずれ、を、もっと詳細に、観察していきたい、と思う。