Un poisson rouge -138ページ目

「自分でできること」について

最近思うことがある。

人は、時間をかければ、自分でできることが、沢山あるのではないかということ。

「できない」と思っている、あるいは、知らず知らずのうちに、思いこんでしまっている、思わされてしまっている、ということが、あるから、
「できる」ということに気づかない人が、意外と多いのではないか、と。。

また、同時に、学ぶ、ということの大切さを、思う。

口伝えかもしれない。本からかもしれない。やっている人から習うことからかもしれない。

学び、実際に試行錯誤することで、人は、できることが沢山あると思う。


最近、出会ったある人が言っていた。

「(写真の)暗室は、自分で作れるよ。」


私にとって、この一言は結構衝撃的だった。

そんな発想が、自分の中に無かったのだった。

作れるのか、そうかあ、と思った。

確かに、無ければ自分で作り出す方法を考えれば良い、という単純明快な話。

ごくごく、シンプルなこと。

でも、とても大切な考え方を、与え、思いださせてくれた一言だった。

何より、恐らく、自分で何かを作り出すこと、そのものと向き合い、そのものの構造や性質を理解し、
それを操ることは、楽しい作業であるはず。


作る、ということを、あまりにも忘れてしまっていた自分に、気がついた。



頭をひねり、考え、動き、自分でできることをやってみること。



きっと、学び、工夫することで、

できることがたくさんあるのだと思います。

ぐたぐた覚書。(すみません。)

ぐちゃぐちゃしていて何かもやもやするなあ、と思って、少しメモします。
心地の良い文ではありませんので、そんなのあんまり読みたくないぜ、っていう方は流していただいて結構です。すみません、皆が見れるインターネットで、超個人的な話で。
あ、今までもそういうの多かったですね…今さらすみません。
(もし万が一真剣に読んで下さっている方には申し訳ないと同時に、このブログをそんなに真剣に読んでいる人はいないように思いますが。。)



生きていると意味もなく、そしてときに何か触発されるものに触れたとき突然に、とてつもなく悲しかったり苦しかったりする(嬉しかったり興奮したりするのも同様、)瞬間があり、それは誰もが経験すること。


人はそれぞれがそれぞれの感性を持って生きており、その感性すべてが尊重されるべきなのであろうしそれができればベストであることに間違いないけれど、実質的に人それぞれの感性が尊重されることってどんな状態?という問いが必然的に生まれる。それは、そう、「平和って何?」問題、あの巨大で難解でわけのわからない問題と同じ類のものであろう。

人が集まると、どうしたってfrictionが、様々な軋轢や、すれ違いや、意図するしないにかかわらない傷つきが生まれてしまうことも、事実…。それは否定しようのないことだと、思う。。

だってそれぞれ違う感性を持って生まれ、生きているのだもの。
そしてそのそれぞれの感性に上下はなくて、それぞれが、尊いはず。。

人は、ひとりになる時間も、大切なのだと思う。
ひとりで、黙想したり、自分の中に溜まった、様々なものを、一旦リセットしたり。

自分をまもり、他者をまもること。


全然答えもないし、何が言いたいのかもよくわからないけれど、

少し考えたことの覚書でした・・・

亘理町と山元町。

昨年6月に、友だちに紹介してもらい、一緒に、3月11日の震災以降、宮城県亘理町にて活動を行うふっらとーほくの松島さん(まっつんさん)にお世話になり、宮城県の亘理町と山元町に行きました。そのときは、亘理町にはボランティアセンターが開設されていて(現在はセンターは閉じられました)、集められた写真を洗浄する活動をしました。

それから9カ月が経ち、震災からは一年少し経ちました。
私は、このタイミングで、もう一度亘理に行こう、と思いました。

頭のどこかに、また訪れよう、という思いがありました。

ふらっとーほくのホームページを見ていて、防潮林を植えるプログラムを、定期的に開催している旨が記載されており、参加者募集とあったので、そちらに参加しようと思いました。

結果的に、今回は防潮林を植えるプロジェクトではなく、津波の被害があった地域や、防潮林植樹のプロジェクトでまっつんさんと協働されていて、4年前に福島から亘理に移り住み、亘理で苗木を販売されている加藤さんという方にお会いしたりと、色々なところを、まっつんさんの友だちと三名で巡り、まっつんさんにご案内していただきました。
(防潮林のプログラムや加藤さんについて:http://flatohoku.jp/2012/03/990/

9ヶ月前と同じ、津波の被害が大きかった地域に連れていっていただきました。

亘理町の隣の山元町では、あのとき一部だけ残っていた駅舎が撤去されていたり、がれきの数も減っているような印象でしたが、まだまだ、たくさんのがれきが集められて、残っていました。

仮設住宅の隣には、仮設商店街と言って、仮設の建物で商店が営まれていました。
床屋さんや、食べものを売る店、美容室、郵便局などがありました。

仮設住宅には、たくさんの人が居住している様子で、駐車場があって、恐らく住民の人たちの、車が結構出入りしていました。

9ヶ月前、写真洗浄をした「W.F.P」とでかでかと書かれたテントも、まだ残っていました。
昨年の6月の時点では、作業をするテントと、様々な遺留品や、洗浄の終わった写真が置かれるスペースとして使用されていました。今はどのように使われているかは、中を見なかったので、ちょっと分からないのですが。

防潮林を植えるプロジェクトは、既に地元の小学生などが参加し、イロハカエデ等の種子をポットに植える作業が、加藤さんの下で行われたそうです。また、加藤さんは震災のすぐ後に、ボランティアの人が寝泊まりできるように、苗木の置いてある作業場を解放したそうです。

亘理は、もともといちごの栽培が盛んで有名な場所で、まっつんさんいわく、防潮林は、津波の勢いをそぐという役割以外に、強い風や潮からいちごを守る役割もしていたとのこと。

今回の震災では、沿岸から2キロにも(それ以上かもしれません、、)わたる範囲まで津波が押し寄せた場所もあり、沿岸に植えられた木はなぎ倒され、いちごのハウスもかなり流されてしまったとのことでした。がれきの中に、ハウスの骨組みと思しきものも、見えました。


海の波打ち際が臨める地点から、津波が襲って、まるでそこに何もなかったかのように更地となってしまったところが、余りにも広い範囲に及んでいるため、元の姿が想像もつかず、改めて、津波の威力がどれだけ強かったのかを思い知らされました。


まっつんさんは、一緒にまわったお友達が、何ができるかを友だちから聞いてきてほしいと頼まれたと話すと、今はまだ下地を築いている時点だから、おとずれてみたり、ゆっくりと、忘れずに、待っていてもらえたらそれでよいのではないかと思います、というような趣旨のことを、話していました。


その他にも、ここに、正確に全てを書くことはできないのですが、たくさんのお話を聞きました。

まっつんさんは、本当の意味で「地域の人」が主語になるということを、いつも強く考えているように感じました。全国から入って来る膨大な義捐金や支援金、そして税金が、これから、意味のある有効な使われ方をすることを切に願っておりました。







色々考えさせてくれて、本当にありがとう。






大切な、ともするとすぐに忘れてしまいそうになることを、思いださせてもらったように思う。






$ORIEIRO
瓦礫の山。





$ORIEIRO
仮設商店街の、郵便局。




$ORIEIRO
防潮林の種子の植えられた、ポット。