Un poisson rouge -129ページ目

「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展

今月24日(日)まで、みなとみらいの横浜美術館で催されている
「ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー 二人の写真家」展に行ってきました。

※一部、ネタバレ的な内容を含みます。ご了承下さい。(でも、写真は実際に「見る」ものですので、その点はご安心下さい。)

とっても有り難いことに、友人が、チケットを持っていて、お誘いしてくれたのです。

ロバート・キャパ(本名:アンドレ・フリードマン、1913-1954)は、マグナム・フォト創設者のひとりとして著名な報道写真家であり、今年生誕100周年ということで、話題となっています。

今回の展示は、パートナーであった女性写真家ゲルダ・タロー(本名:ゲルダ・ポホリレ)の写真とともに、キャパの写真が展示されています。
私自身、キャパの名前は知っていたものの、ゲルダ・タローはというと、存在すら知りませんでした。
しかし、ロバート・キャパという名前は、のちにそれを名乗ることになるアンドレ・フリードマンと、ゲルダ・タローが、架空の人物として創作したものだったという話は、とても面白いと思いました。

キャパの写真を見るのは、もちろん楽しみだったのですが、今回、ゲルダ・タローの存在を知って、彼女の写真や生涯を知り、同じ女性として、私はとても惹かれるものがありました。
27歳という若さで、戦場での取材時に亡くなった彼女の人生は、短くも、情熱に溢れたものだったのではないかと感じさせられました。
彼女のスペイン内戦の写真は、危険を顧みず果敢に撮影されたであろうものや、戦場であるからこその衝撃的なものも多いのですが、キャパが写した彼女の写真を見ると、とても普通の若いチャーミングな女性である様子が伝わり、親近感が湧きます。勇敢な女性であったことは間違いないのですが、その素顔はごく普通の、女の子であったのかもしれません。

また、キャパはと言えば、展示の説明書きにあったのですが、移民という出自を持ち、若い頃から政治的な活動に携わったことで国を追われ、パリで極貧生活をしながら、暗室助手をして写真を学び、やがて世界各地で撮影を行うようになったという経歴の人物です。
パリでは貧乏な暮らしをしていたようですが、そこで様々な芸術家と親交を深めたということです。
さすが芸術の都、その当時のパリはきっとその道を志す人が多く暮らしていたのではないでしょうか。
展示の中にも何枚か写真があるのですが、あのアーネスト・ヘミングウェイも、キャパと仲が良かったそうです。

展示は、ゲルダ・タローの写真から始まり、キャパの写真へと移ります。ほぼ時系列で、彼ら二人の生涯を、追体験しているような感覚にさせられます。
スペイン内戦や、第二次世界大戦、炭坑夫のシリーズ、ノルマンディー上陸作戦、日中戦争、インドシナ戦争、日本滞在時の写真もありました。
展示数は多く、かなり重量のある展示で、非常に見応えのあるものでした。

余談ですが、先日のブログにも書きましたが、自分の仕事の関係で今売り出している「Death in the making」という、キャパの撮ったものとして知られているスペイン内戦時の崩れ落ちる兵士の写真が表紙になっている写真集が、実際に展示されていて、驚きました。。。再版はされていない、とのこと。。。

そして、会場内には、実際のプリントとともに、当時写真が掲載された雑誌等(『LIFE』誌等)も展示されているのですが、
当たり前ですが、当時はパソコンなど無いので、地図やグラフは、手書きなのです。
その手作り感が、雑誌という媒体の中で表れており、また、写真もその手書きの地図やグラフの脇にレイアウトされていたりして、その古い雑誌自体が私にはとても興味深かったです。
(自分でも気づかないうちに、洋書屋の職業病が若干発症しているのかもしれません…)

また、なんと言ったら良いのでしょうか、
戦争を伝える写真なので、明るいものではないのですが、
戦争という残虐行為の中でも、ひとりひとりの個人としての人間が生きていた、その証が、
写り込んでいる写真が、沢山ありました。

人間と向き合う、ということが、どんなことを意味するのか、
それが、写真から、伝わってくるような気がしました。

また、私がこの写真展を見て、強く感じたことは、
タローにしても、キャパにしても、
その根底に強くあったのは、人間存在に対する深い興味と、尊敬や、畏怖の念、のようなものではないか、ということです。

その強い気持ちに突き動かされるようにして、人間の生命の明滅する現場に、ときには自らの命の危険をも冒しながら、赴いて行ったのではないか、と。



生涯、世界各地を文字通り飛び回り、歴史的瞬間や、時代の大きな流れの中で、生きる個人としての人間像を捉えたキャパ。
最期は、インドシナ戦争取材時に、地雷を踏んで、亡くなったそうです。

人生を捧げ、沸き上がってくる情熱と衝動から、撮り続けたキャパと、そのパートナーであった勇敢な女性ゲルダ・タローの仕事の偉大さに、大きな敬服の念を抱き、心を深く動かされました。

展示期間は残り一週間ですが、
お時間のある方は、一見の価値のある写真展だと思いますので、
足を運ばれることを、おすすめいたします。

3月14日(今日)

今日の出来事。

たまには考えないで
出てくるままに書いてみようと思いたち…です。

本当に意味の無い文章でごめんなさい。

営業先に行くまで運転している間に聞いたTokyo FM 坂本美雨のDear friendsで大宮エリーさんの言っていたことが良かった。とてもストレートなことばであった。
何と言えばいいんだろう。

いつも思うのだけれど自分の記憶力の問題も大きいのだけれど、
何でも、やっぱり言葉でもその他の作品でも、人づて(この場合だと私づて)に聞いても、その良さというのは、やはり伝わらないなあ、と。それを発した本物に当たらないと、本当の良さ、というのは本当の意味では分からないし、伝言ゲームのように、誰かの発したことを誰かが伝えると、少なからずそこには良くも悪くもバイアスが介在していくし、人間なので全て正確に伝えることはできないのは仕方が無いことだから。。

じゃあそう思うなら何故ブログなんて書きやがるんだ、という当然の突っ込みを甘んじて受けさせていただきつつ、、
大宮エリーさんは何を言っていたかと言うと、色々なことを彼女の言葉で言っていたのだけれど、その中でも、自分の気持ちがわさわさとしているそのときに、そのときの気分の音楽などをかけて、半ば無理にテンションを上げようとしたりして、自分では自分の気持ちを分かっている気でいたけれど、カウンセラーの友だちにそのことを話したら、本当は分かっていないんじゃないの、と言われた、という話。それで自分の感じていた嫉妬等の感情に気づいた、と。でも、その嫉妬という感情はとても人間的なものである、ということに気づけて、嫉妬イエーイ、てな具合に、それすらも愛する心境になった、と。(この文章も、全て正確に大宮エリーさんの言っていることが書けているわけでは当然なく、あくまで私の見解が入り、私の言葉に変換されています。。)

その他にも、震災後に開いた、展示会のこと等の話も良かった。

ラジオは本人の声で、本人の話が聞けるというところがとても良いなあ、と思う。
不思議だけれど本人がそこにいるような感覚。




私は書店に勤めていて、
これは…と今日は思った本。
古書で、あのスペイン内戦の、ロバート・キャパの初版本。
ロバート・キャパが撮ったものではないという疑惑の、
先日沢木耕太郎の解説がテレビで放映されたり本が出版されたりで話題の、キャパ。
しかもこの土曜日に横浜のキャパとゲルダ・タローの写真展に行く予定というタイミングで。
ミーハー心もあるのかもしれないけれど、何だかテンションがあがった。自分では到底買えない、というか、軽く給料2ヶ月分くらいの代物。
現物は未だ見ていないけれど、やっぱり気になります。
こりゃ早いもん勝ちだ、と上司に言われて速攻興味を持ちそうなお客さんに案内のメールを送った。
自分の担当校で決まれば現物見られるぜ。ヘイ♪




知っています。

本当は、自分でつくらなければならない。

自分でつくる、ということは
とても尊いことだと思う。

そして、様々な本や、つながりのある人たちから、
私は毎日多くのことを、学ばせていただいているのだけれど、

現実というのは、強く思うことで、
そのように「変える」ことができるのだ、ということ。
思わなければ、変わらない。
思えば、なる。
成せば成る。

シンプルに。





また、最近頭に浮かぶことは、

自分という人間も、
世の中も、
グラデーションで出来ているような感覚があって、
つまりは、境界が、境が、明白ではない、ということ。

白黒が、付けられたら付けられたで、それは素晴らしいのかもしれないけれど、
ほとんどのことは、白黒など、簡単に付けられない、と思う。

答えが無い、分からない領域があるからこそ、
生きている意味があるし、
表現は、輝くのかもしれない。なんて思う。





最後に、


震災から2年の日、
何かを書こうとしたけれど、
書けなかった。


今、
ただただ、

この大きな震災と原発事故で、
苦しみを経験した全ての人たち、
今も苦しんでいる人たちに、
昨日より今日が、良かったと、
今生きていて良かったと
そう、思える瞬間が、ちゃんと、ありますように。
願って、います。


震災で犠牲になった人たちの、
ご冥福をお祈りして。

熱。

どんなところでも、

たとえばどんな職業に就いている人でも、

熱を持っている人はいて、

その「熱」は、同心円を描き、
周りにも感染する力を持つのだと思う。


そんな熱に惹かれる。

熱とは、きっと
誰の中にもある、
一番正直で、丸裸で、むき出しの、その人自身なのだと思う。

自分も、
そんな熱を大切にして生きていきたいし、

誰もが、そんな熱を大切に生きられたら、素敵だなと思う。