Un poisson rouge -127ページ目

両局面。

自分が心穏やかに落ち着いて居られるように、
自分の好きなもの、気になるものを追求し、探求し、ひたすらその深層へと突き進んで行く事。


自分の知らなかった世界に足を踏み入れ、「異界」を知り、ときに心を掻き乱され、揺さぶられ、必ずしも心地の良いものでは無いかもしれない、経験をする事。


そのどちらも、大切なことであるような気がするなあ。



言い聞かせ。

焦るな

急ぐな

しかし、止まるな

欲張るな

心を静かに

意識と感覚を研ぎすませよ

その上で前を向き、

淡々と歩こう。

3.11を経た今の自分が、思うこと。

まとまっていませんが、
ただ、ただ、浮かんでくる思いを書きます。




人は、関わり合って存在している。



人は、
この世に生まれ落ち、意識を持ち始め、
自我が芽生え、
「自分である」という感覚を意識し始めるときが来る。

それは、言い換えれば、他者を意識することに他ならない、と思う。

他者がいて、
自分がいる、という感覚。


もちろん始めは、
一番近くにいる人間のことであり、
家族、友人、学校の先生、、、というように、
その範囲は、認識する世界の範囲は、
拡がっていくのだと思う。


そしてそのことは、自分という人間を構成する要素は、
自分だけで決定されるものでは無いのだ、ということに繋がると思う。

人は、関わりを持つ人に影響を受け、また、逆に、影響を及ぼして生きている。

自分だけで生きているわけでは、決してない。

その意味するところ、とは、
自分という人間の体験、経験、見聞きし、学んだこと、
発する言葉、行動は、
自分のものだけではない、ということである。

それは、この年齢になって、遅くとも、ようやく気づけたことでもあり、
自分がもし親になったら、もっともっと強烈にそれを感じるのではないかとも思う。







SNS等が発達するようになり、
自分の面識のある人も、無い人も、
リアルタイムで発している意見を読んだりすることが可能になった。
必ずしも、物理的な距離の近い人だけではなく。
それは、人の頭の中を、のぞき見しているような感覚ですらある。

そのことで、
私が感じるのは、
色々な考えの人がいるのだという当たり前の事実を認識するのと同時に、
自分が潜在的に思っていたことを、感じ考え、言葉で発信している人や、行動している人が、
この世界に存在している、ということだった。
それは、自分にとって衝撃であり、感動でもあった。

そして、
改めて、今、思うことは、
震災のこと。

自分は、
日本という国に生まれ落ち、
3.11という日を経て、現在、ここに存在している。

もう、あの日の前には戻れないのだ。
3.11前の自分には、戻れないのだ。

それを、今、感じる。

たとえば、
今現在東京に住み働いているこの自分が、
人との、日常の中での何気ない会話の中の、何気ない言葉から想起されることも、
3.11より前の自分とは、明らかに、違う。

自分の生まれ育った国で起きたことの大きさを、
今改めて、考えなければならない、と思っているし、
思わざるを得ない状態に、自分がいる、ということに、改めて気づく。。。

阪神・淡路大震災が起きた1995年当時、
私は小学校2年であった。
(その年は、地下鉄サリン事件が起きた年でもある。)

あの頃のことは、
ぼんやりと覚えていて、
毎日テレビから写し出される映像を見て、
恐ろしいという感情を、抱いていたと記憶している。
そして、何かができたわけではなかった。


26歳になった今、
私は、この国をこれから生きてく世代の人たちに、
何を伝えていくのだろう。。。

それは、とても重大なことではないか、と思っている。


知らなければならないことが、沢山ある。

学ばなければならないことが、沢山ある。

自分の頭と身体を使って。