Un poisson rouge -118ページ目

インドへ。

自分でもよく分からない。
でも見なければいけないものがあるような気がするし、
自分がもっと強くならなければいけない、と思う。

そのためなのだろうか。

修士論文のテーマとして書かせていただいた、インドの南部、バンガロールで児童労働や路上生活をする子どもたちに、アートを通して教育の場への復帰を促す活動を行っているBorn Free Art Schoolを、再び訪問することにした。

代表を務めるJohnさんが先日来日して講演会をした際に再会し、そのときお話をして、再訪を決意した。
同じく共同代表を務める実生さんは、現在日本に帰国中で、先日東京にいらっしゃる機会があったので、そのときにやはり再会した。

インドという国は、日本とは180度違う。
私が滞在したのはたった3週間だったけれど、それでも、全く別の世界であると感じた。
何もかもが、違う。

途上国とは、当たり前だけれど、日本のような先進国で当たり前のことが当たり前ではないところ、である。
そこで生きるということの意味は、日本でのそれとは、全く意味が異なる、と私は思う。

長い時間、インドで過ごされ、子どもたちの近くにいた、実生さんのことばは、重い。
明るくパワフルな実生さんだけれど、きっと流した涙は数知れないのだと思う。

私は、今、自分が何かをできるだなんて、思えない。
でも、インドという国にもう一度行くべきだと、考えた。

何故そのような結論に至ったのか、突き詰めれば、自分でもはっきりとは分からない。

結構急に決めてしまったし、迷ったけれど、
でも、行った方がいい、と直感的に思った。それに、もう一度、行かなければいけない、とどこかで思ってもいた。

短い滞在ですが、来週、再びインドへ行ってきます。

偉大である(かもしれない)事実

私は悩むことが癖であった。
何かにつけて考える。このブログのサブタイトルにもあるように、世の中の様々なものごとについて、自分について、これからについて等々、本当によく思い悩んでいた。
もう、それがほぼ習慣化していた。

しかし、考えても考えても、否、考えれば考える程、答えは見つからないし、出て来ない。

そして気付いた。思い悩んでいる時間は、生産的ではない、と。

悩むことに全く意味が無い、とまでは思わないけれど、
その、思い悩んでいる時間を、何か他のことに、行動することに充てた方が、よっぽど生産的で有意義な時間を過ごせるのだ、という事実。
簡単なようなのに、すぐに頭で考えようとしてしまう自分には、意外と難しいことなのであった。

色々な本を読む中で、そのような事実に気付いた。
ネガティヴになりたい訳ではないのに、ネガティヴに思い悩んでしまう自分。
でも、人生は短いので、凹んだり、ネガティヴな思いに捉われている時間は、短い方が良いに決まっている、ということに、気付いたのであった。

ネガティヴな考えや偏見は、他でもない、自分の頭が、勝手に作り出してしまうものである、ということ。

上手に切り替えをして、考え方を変えて、前へ進もうとすれば、きっと事実は違って見えてくる。

信頼してもらいたいならば、自分がまず信頼すること。

自分の姿勢が変わるだけで、物事はきっと見違える程に変わる。

そんな気がする。

キヨシロー




言うまでもなく、強烈な皮肉の歌。

アイロニー。