反出生主義者へのありがちな反論への反論を考えてみた。

 

①なんで自殺しないの?死ねばいいのに。

⇒反出生主義は新たな命を生むことに反対する思想。今存在する人が生きることへ反対しているのではない。生を始める事への否定と生を続ける事への否定は別。「これ以上ファイルを新規作成しないでくれ」と指示されて「では今まで作成したファイルは全て削除します」と答える人はいない。

また反出生主義には「苦痛=悪」という前提がある。

自殺は通常大きな苦痛を伴う。なので反出生主義者が自殺していなくても矛盾しない。 

ところで、あなたの子供が反出生主義者になる可能性もあるのだが、同じことを言えるのか?

 

 


②生まれてくる子供が必ずしも不幸になるとは限らないのでは?

⇒生まれてきた子供が幸福になるか、不幸になるかは生まれてみないとわからない。わからないなら産むべきではない。なぜ他人の命でギャンブルをする必要があるのか。あなたの子供は重い障害を背負うかもしれない。自殺を考えるほど人間関係で悩むかもしれない。そういったリスクを考慮した上で、なお子供が欲しいと言うのなら、それは完全なる親のエゴである。銃口を子供の頭に突き付けて、ロシアンルーレットをしているのだ。

③不幸になる可能性があっても社会が助ければいい。

⇒そんな社会になっていない。自己責任で弱者を切り捨てる社会だ。仮に良い世の中になったとしても、病気や死は避けられない。ところで出生主義者ほど暮らしやすい世の中を作る努力をすべきなのに、なぜしないのか? 


④産みたい人の権利はどうなるの?

⇒産みたいならば子供が不幸になるかもしれないリスクを冒してまで産む合理的な理由を説明すべき。

⑤本能だから産むのに理由はいらない。人間だって動物だ。

⇒動物の親は子供を食い殺してしまうことがよくある。動物の本能だから許されると言うなら、同様な行為が人間にも許されるべきだろうか?人間には理性がある。


⑥子供が減ったら国を維持できない。

⇒子持ち世帯の人は国の維持のために子供を産んだの?違うね。結果的に国を支える形になっているだけ。とにかく人を増やし続けなければ崩壊するシステム自体が問題と考えるべき。労働力が必要ならば移民かAIに切り替えれば良い。少数でも運営できる国家モデルに移行するしかない。問題は「高齢化」の方であり「少子化」ではない。というか、多少出生率が上がったところでどうにもならない。その子供たちもいずれ老人になるのだし・・・


⑦老後は誰に面倒を見てもらうつもりなの?

⇒自分の介護を子供に押し付ける気なのか?それは負担を次世代に押し付けることに他ならない。介護問題の解決には、安楽死制度の導入がもっとも現実的だ。個人の尊厳や幸福を考えず、無理やりに寿命だけを延ばそうとする現代社会の方が異常なのである。

⑧親への感謝の気持ちは無いのかよ。

⇒親は自分の意志で勝手に産んだだけ。感謝の必要は無い。したい人がすればいい。お乳を与えるのも、おしめを換えるのも、全て親が自ら「子供が欲しい」と望んだ結果、発生した義務であり、そこに感謝の必要性はない。子供が勝手に自分で生まれてきたわけではない。親は他人の人生を勝手にスタートさせるという自己中心性を認識すべき。

⑨「あーよかった、生まれなくて幸せだ」と言っている主体がいないじゃん。

⇒「無」とはすなわち主体が存在しないこと。苦痛も感じない。幸福も感じない。快楽も不快も無い。そもそも幸福や快楽を求める必要性すら無いのである。それの何が問題か? 

反出生主義者はそもそも快楽を得たり、幸福を目指したり、苦痛を回避したりというゲーム自体に参加させるべきでないという考えである。幸福な子供を増やすより、不幸な子供を減らすべきなのだ。その最も確実な方法が「無」である。だから主体はいなくて良い。非存在者を非存在のままにしておくこと。これが理想だ。


⑩単に個人的な恨みでは?

⇒自分が人生において散々嫌な思いをしたから、同じ思いをする子供を減らすべきと考えるのは妥当である。ニーチェの様に、自分の生き方と深く結びついた思想があっても何もおかしくはない。
 

⑪女だけど、産んじゃいけないなら何のための生理で辛い思いをするの?

⇒もし女の子が生まれたら、同じ思いをすることになりますが?

⑫考えを他人に押しつけるな。

⇒産むことは人生の押しつけ。思想の押し付けどころではない。

あなたこそ押し付けているのではないですか?「存在」という重荷を。

 

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