みんなへつうしん   8月7日(金)

 

昨日は,突然のメールに驚き,

そして,ガッカリしてしまった子も

多かったと思います。


昨日の午後2時ごろ,

突然,市教委から連絡があって,


「T市内の中3,小6の

 修学旅行を中止にします」


とのお達し。


先日までの個人面談では

「どうなるかわかりませんが,

行けるように考えたいと思います」

って言っていたぼくとしては

「ええっ!?まさか!」

って感じでしたが,

現在の感染状況を踏まえたら,

やむを得ないのかもしれません。


中学校は9月に予定していたところが

多かったので,この時点での決断

だったのでしょう。


小学校現場としては,

「もうちょっと待ってほしかったな」

という感じもしますね。


でも,早くダメとわかったら,

また別の方法を考えられるので,

シメタとも言えます。


ギリギリで「中止!」

なんて言われたら,

それこそアウトの可能性も

ありますからね。


うちの奥さんが家に帰ってくるなり,

「ねぇ,FMGのラジオで,

修学旅行が中止って言ってたよ!」

とビックリしながら教えてくれました。


市内で合わせて午後4時すぎに

連絡を入れることになっていたので,

みんな知っているんじゃないのかな,

と思っていたんだけど,

メールが送られたのは全員じゃなくて,

中3と小6の子どもがいるおうちだけ

みたいだね。

だから,この悲しい事実を知っているのは,

まだ少人数なのかもしれません。


…と思っていたら,

すでに今朝の新聞に出ていました😅

メディアへの連絡は早いんだよなー。


それにしても,

感染者数はどんどん増えているのに,

GO TOキャンペーンは止めないんだね。

お盆期間中は,G県も,今朝の新聞では


「うちの県に来るのはいいけど,

 こちらから○○に行くのは

 自粛してください」


というお達しを出していました。


その○○というのは,

「9つの都府県」なんだけど,

どこだかわかる?

予想してみてください。

(答えは最後に)


GO TOをやめないのは,政府にも

「いろいろと考えるところがある」

のでしょう。

あまり丁寧に説明していないから,

みんなは不安になるし,

判断に困ったりするけどね。


こういう時は,

自分で興味をもってデータを見て,

自分の頭で危機感を感じたり,

安心したりしないと,

「ずっと不安で居たたまれない」

という人と,

「たぶん大丈夫だろうと思って

 全然気をつけない」という人が,

出てきてしまいます。


日本,そして,世界の感染状況を

データで確認するなら,

日経新聞がつくっているHPが

わかりやすくてオススメです。


https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-world-map/


毎日のデータが全て記録されているので,

他の国で,どんなふうに

感染者が増えてきたのか,

または,減ってきたのかがわかります。


これをみると,今の日本の状態は,

かなりピンチです。





一度押さえ込んだことで安心してしまって,

「大丈夫なんじゃないか」と

気が緩んでしまっている感じです。

このまま感染者が増えていくとすると,

インドのグラフがその未来を表しています。





グラフの増え方が似ているからです。


インドは,人口が日本の約10倍なので,

それを差し引いてみても,

日本で考えたら19万人(!?)

の感染者が出てしまっている

ことになります(日本は現在4.1万人)。


ちなみに,インドが日本の今くらい,

つまりインドの人口でいえば41万人

くらいだったころは,

いつ頃だったと思いますか?





調べてみたら6月21日でした。


ということは,このままいけば,

あと1ヶ月半(9月の連休前)頃には,

今のインドくらい

(約5倍の人が感染する計算)に

なってしまうことになるのです。


もちろん,みんなが意識したり,

何か対策を講じれば,

このグラフは変わってきます。


日本も,緊急事態宣言を出して,

人との接触を断てば減るというのは

実験的に明らかです。


でも,そうすると,経済がまわらず

生活ができなくなり,生きていけなくなる

人が出てきてしまいます。


だからいま,みんなで新しい方法を

探っているのです。


✳✳✳


「えー,このままいくと,また休校に

 なってしまうこともあるの?」


と思ってしまう子も

いるかもしれませんが,

そちらはそうはならないでしょう。

それについて予想できる,

もうひとつのデータを紹介します。


以下に紹介するのは,

先日,文科省が発表したデータで,

全国的に休校があけた6月頭から

7月末までの2ヶ月間で,

子どもと教師の感染者数が

どのくらいだったのかを伝えている

ニュースです。


https://news.yahoo.co.jp/articles/43349eddb3f43dae526f4606a015cfe591a1bfa2




✳✳✳


これによると,

小・中学生の合計が「242人」

学校の教職員が「51人」

ということでした。


「えー!こんなにいるの!?」

でしょうか。


「へー,これしかいないんだ」

でしょうか。


全国の小中学校の児童生徒数は

小学校が636万8545人

中学校が321万8115人

合計は 958万6660人です。


ということを考えると,

小・中学生の感染者は

「10万人に2人」くらいということです。


ちなみに,

現在の日本の感染者数の合計で考えると

日本全体では,「10万人に14人」

という計算になるので,

子どもが感染する可能性は「1/7」程度。

子どもは大人に比べて感染しにくい,

ということがわかってきました。


それに,感染してしまった子どもたちも,

どこで感染してしまったのかといえば,

学校ではなく「家庭内」が57%です。


小学生に関してだけいえば,

70%が家庭内感染だったということです。


つまり,学校での感染はほとんどない,

ということがわかってきたのです。


ここまで少ないことが,

実際のデータで出てきているので,

「全体でまた休校にするという判断は,

 別のリスクを考えてまずしないだろう」

と,予想できるのです。


幼稚園・保育園,学童保育では,

休校していなかったにも関わらず,

感染者をほとんど出さなかったのも,

子どもたちは感染しにくい,

という実験結果かもしれません。


では,教職員の感染リスクはどうでしょう。


全体の「10万人に14人」よりも

多いでしょうか,少ないでしょうか?


子どもの「10万人に2人」よりも

多いでしょうか,少ないでしょうか?

予想してみてください。







全国の小・中学校の教職員数は,

66万5577人ですので,割合で考えると

「10万人に7人」程度。

全体と比べると,感染する割合は

半分くらいなのです。

普通の人よりも気をつけている?


それでも,子どもたちよりは

感染する可能性が3倍くらい高いです。


いずれにせよ,

気をつけなければならないのですが,

最近,ぼくが気になっているは,

感染拡大の方よりも,その逆の

「マイノリティ」の問題です。


それについては,また次回

みんなと一緒に考えてみたいと思います。


✳✳✳


では,最初に話題にした,

9都府県の正解です。


県外の自粛を呼びかけた「9つの行き先」は,東京・大阪・愛知・福岡・宮崎・

沖縄・埼玉・千葉・神奈川です。


ここに行く予定を入れていた人は,

もう一度家族で相談しなければですね😢




今日は,よく頭を使って

考える話題だったので,

最後は,今日のメダカたちの様子を

教室からお届けします。


眺めて心を落ち着ければ,

また別のいいアイデアが

浮かぶかもしれませんね。







 

みんなへつうしん   8月6日(木)

 

昨日までの3日間で,

おうちの方に学校に来ていただき,

家庭訪問の代わりとなる「個人面談」を

させていただきました。

 

なんと,前日に退院したばかりの

Kohakuちゃんのお母さんにまで

来ていただき,大変恐縮しましたが,

無事,全員の方との面談ができました。

 

お忙しい中,時間を作ってただき,

本当にありがとうございました。


本来であれば,5月のうちには,

「ご家庭からの願い」を,

聞かせていただくところでしたのに,

こんなに遅くなってしまって

申し訳なかったなぁと思いました。

2学期からしっかり生かしていきたいです。

 

それにしても,おうちでの「みんなの様子」が

いろいろと聞けたので,ぼくとしては

とても楽しい時間になりました。

保護者のみなさま,ありがとうございました!


みんなの様子は,学校とまるで違ったり,

おんなじだったりね(笑)。でも,

「おうちの人は,本当にみんなのことを

愛しているんだなぁ。だから,みんなは

普段あんなに優しくいられるんだなぁ」

としみじみ思ったよ。

みんなは,本当に幸せ者ですね。

おうちの人に感謝だよ。

反抗期なんて,している場合ではないよ(笑)

まぁそれも大事な時期だけどね。


「今年は,授業参観もできないから,

学校の様子がわからなくて

不安じゃありませんか?」

っておうちの人に聞いてみたら,

あるお母さんが

「いやー,でも今年は〈みんなへつうしん〉

があるので,クラスの様子が

普段よりよくわかるから,

授業参観はなくても

ぜんぜん大丈夫ですよ。

一学期だけで,こんなに

厚くなってましたけど,

これ,一気読みできますよ!」

と教えてくれました(笑)

とっても嬉しかったです。

 

読んでもらえているってことがわかって

より,書きたい意欲がわいてきました。

 


それから,Shihoちゃんのお母さんに

いいことを教えてもらいました。

 

今年は,コロナのせいで

休校になってしまって,

6月に予定していた連合音楽祭が

なくなってしまったでしょ。

 

それについては,

みんなも残念だったと思うんだけど,

みんなよりも,もっと残念に思っているのは,

みんなより先行してピアノの練習をしていた,

ShihoちゃんとMitsukiちゃんだよね。

 

それはもう,5年生のときから

練習していたわけで,

ぼくも改めてそれに気づいて,

泣きそうになりました。


そうしたらね。Shihoちゃんの方は,

ピアノの先生が動画を撮ってくれて,

YouTubeに投稿してくれたんだって。

 

さっそくお母さんにリンクを

OKしてもらったので,

今日の「みんなへつうしん」で紹介できます。

 

ぼくも聴いてみたけど,もう完璧でした!

 

みんなは,この歌をもう歌えるのかな?

 

ぼくは初めて聴く曲だったんだけど,

メロディと歌詞がわかって,

すごくいい歌だなぁと思いました。

 

みんなも,Shihoちゃんの伴奏に合わせて,

口ずさんでみたらいいよ。

すごく前向きになれる歌。

コロナで元気がなくなった今の時期,

元気をもらうにはピッタリの曲だったよ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=bpQUXWYeHvw


Change!

 

朝が来たらいつも通り 繰り返す毎日
同じ景色の中 僕の心はどこにある?
「どうせ…」なんて台詞ばかり 言い訳にしながら
居心地の悪さを 感じ始めているのに
気にしないふりをして 今日もまた笑ってみるけど
抱えてる弱気な言葉 どこかに全部捨てたくて

 

大きな空に向かって 思いっきり叫んでみよう
曇った心 吹き飛ばしたなら もう一度走りだそう

 

誰に合わせ 誰を真似て 自分を飾ろうか
流行を手に入れて 楽しく過ごしているけど
いつもどこかで気分次第 流されてるだけで
自分の気持ちさえ 見えなくなりかけていた
何ひとつ変わらずに 時間だけがただ過ぎていく
忘れてた大切なもの この手に取り戻したくて

 

大きな空に向かって 思いっきり叫んでみた
昨日と違う明日を迎えに もう一度 走りだそう

 

大きな空に向かって 拳を突き上げてみた
明日が少し待ち遠しくなる あの気持ち思い出して
もう一度 走りだそう

 

***

 

実は昨日,コロナのことで,

とっても辛いニュースを

聞いてしまって,

心が落ち込んでいたんだけど,

元気な人が元気をなくしてしまったら,

どんどんよくない方向に

進んでしまうからね。

 

Shihoちゃんの伴奏と歌で,

元気をもらいました。

ありがとう。

 

ぼくのできることを,精一杯やっていこうと,

改めて考えているところです。

 

***

 

そうそう,水槽を掃除しておきました。

今年生まれたメダカたち15匹は,

みんな元気だから安心してください。

 

きっと,暑い夏を乗り越えて,

少し大きくなった姿で,

みんなに会えると思います。

 

 

みんなへつうしん 8月5日(水)

 

昨日の哲学の話題で,

ぼくが学生の頃に学んだ話を書きます。

かなりマニア向けなので,
好きだなぁと思った人だけ

読んでみてください(笑)


✳✳✳

 

昨日の命題にもどります。


あなたの目の前に

ミカン🍊があったとします。


このとき,

自分の中に見えているミカン🍊と,

そこにあるミカン🍊は,


〈同じだろうか?〉


という疑問を持ってみます。


もしかすると、

そこにあるミカン🍊は

自分に見えている形を

していないかもしれない。


つまり,

違う形なのに,自分にはそう見えている

だけなのかもしれない。


すると、自分の中のミカン(主観🍊)と,

そこにあるミカン(客観🍊)に,

分けて考えられることがわかります。


果たして,そのふたつが一致するのか?


というこの疑問は,


「主観と客観の難問」


とよばれて,

近代哲学の大きな課題のひとつとして

考えられてきました。


はじめにこの疑問を考えて,


「一致しない」


と言ったのは


「我思うゆえに我あり」


で有名な,デカルトという哲学者です。


結局,信じられるのは

これを考えている自分だけだ

という「唯我論」を,

彼は考え出しました。


まぁ彼も,目の前にあるものが,

自分の考えだけで作り上げられた世界である

という結論で終わっているわけではありません。


この世界は崇高な神が作ったものだから,

きっと自分にみえているように

存在しているはずだ,と考えていました。


カントもまた,

「一致しない」と答えた哲学者です。


自分で考えることは,

自分の感性を通してしか

確実なことがないのに,

自分で考えている世界の姿は

「全体的」なものだ。


だけど,

人間が「世界はこういうものだ」

と言ってしまった瞬間,

それは限定されて,

全体性をなくしてしまうので,

「世界は何か?」と問うことは

無意味だ,と考えました。


客観は全体的であり,

主観である自分では言い尽くせないものだ

ということにしたのです。


さて,その一方で,

自分の心(主観)体(客観)を考えたとき,

「これが一致しないというのは不自然だ」

と考えた哲学者はスピノザです。


自分の体が感じることで

心が動かされるのであるから,

「一致する」と考えたほうが自然だ

というのです。

(ちなみに,唯我論では自分の手でさえも

自分が作り出しているものかもしれない

と考えます)。


もともとひとつであるのだから,

一致するかどうかは問わなくてよい

としたのです。


しかしこれは,

この難問をうまく解消するけれど,

解明はしていませんでした。

自分の心も世界の一部であるから,

すべて一致するというのなら,

この自分が考えている意思は何であるのか

という問いが生まれて,

結局,振り出しに戻ってしまうのです。


ヘーゲルも同じく

「一致する」と考えた哲学者でした。


彼は,


「人間は常に発展し続けるので,

 いつか真理にたどり着く」


と考えて,

決して「知られない世界」なんてないので,

これを考えるのは無意味だとしました。


このような中で,

フッサールは「現象学」という

新しい哲学を提示しました。


彼の考えはこうです。


まず,世界が秩序を持って

存在しているなんておかしい。

秩序は主観によってできている

 

「客観とは,

 さまざまな主観の間での

 一致である」

 

と。


目の前のミカン🍊

どうしたらミカンであるとわかるでしょう?


もしかしたらそう見えているだけで

オモチャであるかも知れません。


そこで,食べてみる。


甘酸っぱい味がする。でも,


「ほら,やっぱりミカン🍊だ!」


といえるでしょうか?


もしかしたら,甘酸っぱい味をした

ニセモノかも知れません。


「現象学」ではまずこのように,

物事をすべて疑ってみることから始めます。


その後で,この唯我論を破っていくという

「新しい方法」の哲学なのでした。


さて,このミカンらしきものを食べたとき,

甘酸っぱい味がした。


このとき疑えないことがあります。


もしかしたらミカンではないかもしれない

という疑問は原理的に残りますが,

甘酸っぱい味がしなかったかもしれない,

という疑問は残りません。


現象学では,

このような絶対的に信じられる主観をもとに,

「これはミカン🍊であるとしてよさそうだ」

と,客観を妥当していく作業

(あると言えると確認していく作業)

なのです。


人間の主観によって信じられてきた天動説が,

客観的観測による地動説によって覆されると,

科学という概念が生まれ,

主観をもとにしているような研究は

あやしく感じられるようになり

認められないような傾向も

生まれるようになりました。


しかし,

人間同士の関係が重要視される学問では,

精神病理のヴァイツゼッカー,

心理学のボイテンディークなど,

この「現象学」を応用する研究がなされ始めます。


ぼくが専攻していた「スポーツ運動学」

もそのひとつで,ここでこの哲学が

役に立つことになったのです。

 

倒立をすることを考えてみます。


倒立というのは誰かがする行為で,

「やってみよう」という気持ちなしの

倒立が存在することはありません。


しかし,運動の研究というと,

 

「重心がどのようになっているか」

 

とか,

 

「このようなバランスになっている」

 

などという,


「心を除いた形だけの倒立研究」


が,ほとんどになっていったのです。


しかしそれだけでは,

「倒立がやりたい」という人には

役に立つ研究ではありません。


運動は,「やってみよう」という

主観を除いては成立しないものであって,

主観からスタートして研究することが

重要だからです。


この視点は,主観から客観を妥当していく

「現象学」がそのまま役に立ちました。


例えば,みんなの

うまく転がれない前転をみたとき,

ぼくは,自分の前転の感覚との違いを感じ,

「頭の後ろをついてごらん」

などと教えます。


ぼくはみんなの動きをみながら,

それを自分の感覚にいったんなぞらえて,

あたかも自分がその運動をしている

かのように感じだあと,

それについて

 

「自分だったらもっとこうするなぁ」

 

というような感覚を見出して,

それをうまく言葉にして教えるのです。

 

そのようなはたらきかけによって,

みんなの動きはだんだん変わっていきます。


さて,このようなとき,

ぼくは,みんなではないので,

その子の感覚はどんなものであるか

わかりません。


そこで,ぼくは

自分の感覚に置き換えることで

それを予想するしかありません。


けれど,教えているうちに,

みんなの動きが変わっていくのをみると

みんなの中にも感覚があって,

ぼく自身の感覚が,

みんなに伝わったことにも

妥当性が生まれます。


このように,

現象学では目には見えない相手の感覚や,

自分の感覚との相互関係のようなものでも,

その存在を妥当していくことで,

そこに確かに,「自分以外のものがある」

ことを明らかにしていくのです。


長々と書いてきましたが,

少しは哲学の世界が垣間見られたでしょうか?

 

でも実は,独学で勉強するのは,

そんなに生やさしいものではありませんでした。

 

なぜなら,哲学の本は,

謎の専門用語であふれているからです。

 

ミカンの話でいうと,

 

我々にはノエシスがあるので,

見えているのはノエマのミカンであるから,

このドクサを徹底的に

懐疑することによりエポケーし,

ミカンであるかどうかという超越を

内在を頼りに妥当していく

 

と書かれていても不思議ではありません(笑)

 

これらも,コツがわかれば

なんとか意味がわかるようになるのですが,

やはり,読むには骨が折れる作業でした。


しかし,今日書いてみたような,

哲学の生い立ちみたいな流れがわかってさえいれば

まったく意味がわからなくて本を閉じる,

ということはないかもしれません。

 

興味をもってくれた人が,将来,

ちょっとでも勉強してくれるようになったら

うれしいな。

 

そう考えると,ヨシタケシンスケさんの

『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)は

哲学入門を絵本ではたしている名著です。

まだ読んだことがないという人は,

この夏,ぜひ読んでみてください!

 

 

峯岸的用語解説


ノエシス⋯オレンジ色で丸いものをみたとき,ミカンかな?と思うような意識構造。


ノエマ ⋯ノエシスによって自分の中にみせられた対象物のこと。


ドクサ ⋯憶見ともいい,人間が持っている憶測のこと。

例えば,ドイツに行ったこともないのにドイツがあると思っている,というようなこと。


エポケー ⋯疑うときりがないとわかった後に,とりあえず考えることをやめること。


超越 ⋯疑い始めると結局わからない問題。これはミカンなのか?など。


内在 ⋯疑いようがないと思うこと。

例えば,甘酸っぱい味がしなかったかもしれない,ということはないこと。

 

 

参考文献
竹田 青嗣 「自分を知るための哲学入門」ちくま学芸文庫(1993)
竹田 青嗣 「現象学入門」 NHKブックス (1989)
佐野 淳 「倒立のメタモルフォーゼ」スポーツモルフォロギー研究西(1997)

 

みんなへつうしん   8月4日(火)

 

今日は,昨日ちらっと出てきた

「哲学」の話を書きましょう。

 

ぼくの中学校の時の卒業文集を開くと,

「10年後の私」というページに

「大学で哲学を勉強しているだろう」

と書いてあります(笑)

 

中学生時代の尊敬する先生が,

大学で「哲学」なるものを勉強していて,

「ぼくも先生のような大人になりたい」

と思ったのがきっかけです。

 

…で,「哲学」ってなんなの?

 

ですよね。

 

そんな,みんなの問いに,

ちょっとでもわかるような

説明を書いてみたいと思います。

 

 


その先生はいつも

 

「自分とはどういう存在か?」

 

「人間はどうして生きていくのか?」

 

「人間は死ぬまでどうあるべきか?」

 

というような問いを持っていて,

それについて,

自分なりの答えを探していました。

 

当時,中学生だったぼくは,

その先生が,いろいろなことを

本当によく考えていることに

感心していたのです。

 

そういう,

根源的によく考えてみる学問を,

 

「哲学」

 

というらしい。

 

それが,

ぼくと「哲学」の出会いでした。

 

 

 

例えば,哲学では,

こんなことを考えるのです。

 

 

あなたの目の前に

ミカン🍊があったとします。

 

このとき,

自分の中に見えているミカン🍊と,

そこにあるミカン🍊は,

 

〈同じだろうか?〉

 

という疑問を持ってみます。

 

もしかすると、

そこにあるミカン🍊は

自分に見えている形を

していないかもしれない。

 

つまり,ホントは違う形なのに,

自分にはそう見えているだけ

なのかもしれない。

 

すると、自分の中のミカン(主観🍊)と,

そこにあるミカン(客観🍊)に,

分けて考えられることがわかります。

 

果たして,そのふたつは一致するのか?

 

というこの疑問は,

 

「主観と客観の難問」

 

とよばれて,

近代哲学の大きな課題のひとつとして

考えられてきたのです。

 

これは,

大きな視点で捉えると,

この世界と,この自分は,

どんな関係にあるか?

 

という問いだからです。

 

(世界=客観自分=主観と考ると,

世界は本当にあるか?

自分が考え出した世界が

広がっているだけなんじゃないのか?

と考えられる問題だから)

 

・・・こんなことを考えて,何の役に立つの?

 

と思うかもしれませんが,このように

 

「いろいろなことを疑ってみる」

 

ということは,

生きていく上でとても大事なことですし,

新しい発想を生みだす原動力になるんですよ。

 

どんなふうに役立つのかは,

長くなりそうなので,また明日に書くことにしますが,

少しムズカシイので,

興味のある人だけ読む形にしてみようかな。

 

今日は,みんなに伝えたいことだけを

先に書いておくことにしますね。

 

 

いつでも何でも疑って生きていたら,

すごく疲れます(笑)

だから,人が哲学するときというのは,

ホント,たまにでよいと思います。

 

「どんなときに使うか」といったら,

困ったとき行き詰まったとき

それに,新しい発想が必要なときです。

 

どんなに優れた哲学で考えたとしても,

それで正しいことがわかったり,

見つかったりするわけではありません。

 

けれど,

「正しいかもしれないこと」を

〈思いつく〉可能性があるのです。

 

昔の哲学者はそうやって,

世の中の成り立ちの全て

説明しようとしてきました。

 

科学者というのは,

哲学で得た「まさか」というその発想を,

実験によって明らかにして,

正しいことを見つけ出してきたのです。

 

だから,新しい発見をするときには

「きっとこうだろう」と考える哲学が

すごく大事になるわけです。

 

「そんなの科学者になりたい人じゃ

 なかったら,必要ないじゃん」

 

という人もいるかもしれませんが,

哲学というのは,簡単にいうと

 

「発想法」

 

なので,身につけておくと

本当に便利なんですよ!

 

哲学できるようになると,

人には思いつかないような考え方が

できるようになって,

世の中の見方が変わってきます。

 

人間,追い詰められると弱いものですが,

哲学があれば,追い詰められても,

そこから新しい発想を生み出して,

行き詰まることがありません。

 

みんながよく知っている発想法

 

「どっちに転んでも,シメタ!」

 

も,そのひとつ。

 

「発想の転換」ができる人は,

悩みや心配をもプラスに変え,

新しいチャンスを生み出すことが

できるのです。

 

 

 

どうですか?

ちょっとは哲学に興味がわきましたか?

 

「こんな学問を学んでも,

 就職になんて役立たないから,

 オススメはしないよ」

 

中学の時の恩師に,そう言われました。

 

そして10年後。

 

ぼくはどうしたかというと,

それを学ぶことは専攻にしませんでしたが,

独学で本を読んで学びました。

 

たのしかったな。

 

そんな面白さが伝わるかどうかは

微妙ですが,学生の頃に学んだことを,

明日は書いてみたいと思います。

 

 

 

みんなへつうしん   8月3日(月)

 
本格的に夏って感じになり,
夏休みも初日をむかえましたが
みなさん,お元気ですか?
 
ぼくはというと,
個人面談の合間の時間を使って,
これを書いています。
 
今年は家庭訪問がなかったので,
みんなのおうちでの様子を
よく知らなかったんだけど,
そういうことが聞けて,とても新鮮です。
 
逆に,ぼくからは,学校でのみんなの
がんばりをちゃんと伝えていますから
安心してくださいね😉✨
 
✳✳✳
 
さて,今日は2つお知らせがあります。
 
ひとつめは,本の紹介。
みんなの先輩で,いま高3の教え子から
「おもしろいですよー!」と
オススメされた本なのですが,
買って読んでみたら
ホントにおもしろかったので,
みんなにも紹介しようと思いました!
 
 
 
池谷裕二さんという脳科学者の方が,
小学生の疑問に答えるという内容の,
『モヤモヤそうだんクリック』という本。
 
イラストは『りんごかもしれない』などの
絵本で有名な,ヨシタケシンスケさん。
 
ヨシタケシンスケさんといえば,
 
「これはリンゴ🍎に見えるけど,
    ホントにそうなの?」
 
と,「一度,疑ってみること」を
教えてくれる作品が多いけど,
この本も,そういう視点で書かれていて,
子ども向けの「哲学」入門書だなぁという
感じです。
 
「哲学って何?」という声が
聞こえてきそうなので,
このあたりはまた明日にでも
書いてみたいと思います。
 
この本では,例えば,
 
「どうして学校に関係ないものを
 持ってきてはいけないの?」
 
という,身近な問題から,
 
「これからはいろいろなことが
 AI化されていくのに,
 どうしてぼくらはまだ勉強したり,
 英語なんかを話せるように
 ならなきゃならないの?」
 
という素朴な疑問,
 
「どうしてゲームをやると怒られるの?」
 
という,納得できない話や,
 
「どうしていじめはなくならないの?」
 
という難しいテーマまで,
 
たくさんの子どもたちのモヤモヤに,
脳科学の観点や,心理学の実験結果を
紹介しながら,みんなにわかりやすく
池谷さんの考えを教えてくれている本です。
 
ぼくも読んでみて,
 
「へーっ!そんな実験があったんだー!」
 
とか,
 
「なるほどー!そういう見方もできるなぁ」
 
などと,たくさん新しい発見がありました。
 
みなさんも,せっかくの夏休みですから,
本のー冊でも読んでみることをオススメします!
 
✳✳✳
 
もう一つのお知らせは,
今日のNHKの再放送です。
 
 
 
今日の夜の11時45分からの
「プロフェッショナル」(NHK)
 
ぼくの研究会の仲間が
「コロナ対策の考え方が
しっかりしていてスバラシイ」
と絶賛していたので,
ぼくもまだ見ていないのですが,
みんなもぜひ予約して見てみてください。
 
笠原敬さんは,奈良県立医大の先生なんだけど,
この病院では,あとで患者さんがコロナに
感染していたとわかった時でも,
院内感染を起こしていなかったのだそうです。
 
それでいて,病院のスタッフがピリピリ
している感じなのかというとそうでもなく,
逆に余裕がある感じなのだとか。
 
それは,
「こうしていれば大丈夫」
「こうするのは危険」
というウイルスのルールを,
みんなで納得しあって
自分たちで使えているから。
 
ぼくたちも,
そういう知識をきちんと共有できたら,
感染者の広がりを,もっとずっと
押さえ込めるかもしれないのです。
 
みんなも,この番組を予約して,
一緒に学ぶことから始めてみませんか。
 
 
 
 
 

みんなへつうしん  7月31日(金)

 

昨日7月30日,

Kohakuちゃんのお母さんが,

無事赤ちゃんを出産されたそうです!

夏休みに入る前に,みんなで

 

「おめでとう!」

 

が言えてよかったよね!


 出産は,決して

当たり前のことじゃなくて,

ちょっと昔は,本当に

命がけだったのです。

ふつうの「逆子」なだけでも,

母子ともに死んでしまう

なんてこともありました。

もちろん,今だって,

決して簡単ではなくて,

無事生まれてきて当たり前

なんかではないんだね。

医療が進んで,

命を落とす危険性が

減っただけのこと。

だから,無事出産できたことは,

本当に心から

「おめでとう!」なのです。


そういう意味でも,

みんなの誕生日は,

毎年だってその奇跡を,

お祝いしてあげたいと思っています。

 

実は,前の日の7月29日は

A先生の誕生日で,

Kohakuちゃんから,

お母さんに陣痛があったという

話を聞いたときには

「同じ誕生日になるかな?」なんて

話をしていたんだけど,

次の日の朝方生まれたとのことで

1日違いになりました。

 

そのA先生が言っていたんだけど,

 

「学校で自分のお誕生日を

 お祝いしてもらったのは,

 今年がはじめてかも」

 

とのこと。

 

考えてみたらそうだよね。

普通だったら,この時期は

夏休み中だもんね。


Kohakuちゃんが,

はじめてお姉さんになった日。

これからはいつも

夏休み中になると思うけど,

「ああ,妹が生まれた日は学校があって,

みんなに〈おめでとう〉って

言ってもらえたな」って,

6年生の頃を思い出してくれたらいいな。

 

***

 

実は,うちの息子が生まれた日。

もう14年も前になるけど,

ぼくは,今年みたいに6年生を担任していてね。

ちょうどそれが,

修学旅行の初日に当たってしまって,

残念ながら誕生の瞬間には

立ち会えなかったのね(涙)

 

そのことは,ずーっと奥さんに

「あのときは心細かったわよ」って

言われ続けているんだけど,

生まれたことを修学旅行先の電話で知ったとき,

それはちょうどバスの中だったんだけど,

それを聞いてたクラスのみんなが

「おめでとーう!!」って

盛り上がってくれたんだよね。

 

みんなみたいに,とっても仲のよい

ステキな6年生たちだったな。

とっても嬉しかったのを覚えています。


そんなことを予感してか,

演劇係の人たちが,

ちょうどその前の日に,

「出産の大変さを表現する劇」を

してくれていました。

いろんなトラブルを乗り越えて,

無事に出産するという

感動のドラマだったんだけど,

最後は,お母さんの意思に反して,

赤ちゃんの名前を

周りにいる人たちに勝手に決められてしまう

というオチでした(笑)

 

 

Kohakuちゃんちの赤ちゃんは

Ruriちゃんと名付けられたそうです。

どっちも綺麗な石の名前だね。

 

これから,身近な人たちの間で

「出産ラッシュ」があるようです。

どうか,みなさんのおうちで,

無事に元気な赤ちゃんが生まれますように!

 

みんなへつうしん  7月30日(木)

 

昨日は夏休み前ということで,

「夏休みの宿題」という授業をしました。

宿題が終わらなかった子が,

どんな末路を味わうのか

というお話でしたが,

意見が盛り上がりすぎて,

最後に感想が書けないほど

時間がギリギリでしたね。


みんなからも

「廃品回収に出す」

「お茶をこぼす」

「水たまりに落とす」

「朝早く行って学校でやる」

「朝友だちに見せてもらう」

「ケンカするうちに破いて,

友だちのせいにする」など,

あの手この手の

セコい技がいっぱいでましたが,

残念ながら,これらの手は

今年はもう使えませんよ(笑)

 

こんなふうになりたくなかったら,

ぜひ早めに終わらせましょう。


さて,こんな苦い経験をした

4年生の少年の,

その後の夏休みは

どうだったのでしょう。

5年生,6年生の宿題は,

ちゃんとできたのでしょうか?

 

予想してみてください。

 

 ア 早いうちにやれた
 イ ギリギリにやっていた
 ウ その他
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正解は,「イ」です(笑)

いや,ギリギリにしたくて

やっているわけではないんですよ。

これはきっと,

生まれもったぼくの性格

なのだと思います。


けれど少年は,

この4年生の「夏休みの宿題事件」以来,

変わったこともあるのです。

 

それを3つだけ,

紹介しておきたいと思います。

 

変わったこと①

「あらかじめ日付を入れることはしなくなった」


日付を書くと,それ通りできなかったときに

ストレスがたまるので,

そういう予定を立てるのをやめました。

「予定を立てておいて,それより先にやっていく」

というのは気持ちがいい,という人もいるでしょう。

でも,僕にとってはそれが最大の落とし穴。

そうやってうまくいった試しがないのです。

うまくいかなくて,逆に意欲が削がれることが多い,

ということがわかりました。

 

そこで,別の作戦をはじめました。

やらなければならないことを書き出しておいて,

その宿題が終わったら,

その項目に線を引いて「消していく」のです。

これは,ぼくの中でヒットでした。

どんどん終わっていく感じがして

気持ちがいいです。

 

変わったこと②

「毎日少しずつ」は,やめた。


「イヤにならないように,毎日,少しずつ」は,

僕にとって,もっとも向いていないやり方でした。

「やり始めたら,イヤになるまで

その時にやってしまう」というのが,

僕にとっては一番はかどります。

 

もし,早いうちに始められたら,

できるだけその時に一気にやってしまうのです。

そうすると,

ギリギリにやらなければならないときが来ても,

「あ,ここまでやってあるじゃん!」と嬉しくなります。

 

変わったこと③

「終わらなくても,謝って出すようになった」

 

どうしても間に合わなくなったら,

「黙って出す」とか「出さない」などより,

「謝って出す」方が,絶対にいいです。

もちろん,僕以外のみんなは,

ちゃんとやっているわけですから,

かなり情けない気持ちになりますが,

それは仕方がありません。

自分が悪いのだから,我慢です。

 

でも,「いつ叱られるのかわからない」

という状態は,それこそずーっと

苦しむことになるので,

「ちゃんと謝る」ことの方が,

いさぎよくてよいと思います。


*****

 

さて,ぼくは教師になって,

夏休みが近づくこの時期に,

必ずこの授業をしています。

 

ですから,

「その後はできるようになったんですか?」

という質問が出そうなものですが,

そんな質問は,

今まで一度もされたことがありません。

なぜだかはわかりますよね?


先生としてのぼくと,

1学期間も一緒に過ごしたみんなは,

ぼくの性格がすっかりわかってしまって,

「先生は大人になってもちっとも変わっていない」

ということがバレてしまっているからです(笑)


でも,そんな子どもたちと生活していると,

「峯岸先生,テストの丸つけとか,めっちゃ早くない!?」とか,

「いやいや,テストが返ってくるのメッチャ遅いときもあるよ!?」

などという会話を聞くことがあります。

それもそのはず,

ぼくは,いつでも早く終わらせたい

と思っているのですが,

気が乗らないとなかなか始められない

という性格なのです(!)


ですから,うまく丸つけを始められて,

そのまま,別の仕事も入らなかったときには,

最後まで一気に終わらせられて,

すぐにみんなに返せるのですが,

急に別の仕事が入って,

途中で途切れてしまったりすると,

またもう一度始めるまでに,

すごく時間がかかってしまうのです。


こればっかりは,

生まれもっての性格なので,

なかなか変えることではないのですが,

そういう性格が自分でわかってくると,

うまく自分の気持ちをコントロールして,

普通の人と同じだけの仕事を

こなせるようになるものです。


それでも,〆切に間に合わないことは,

先生になってからでもあります。

でも,そんなときは,ごまかさずに,

ちゃんと謝るようにしています。


みんなにもよく謝っているでしょ。

「ごめん,仕事が入っちゃって,

まだ丸つけが終わってないんだ…」とかね。

みんなは優しいので,

「もう!しょうがないなぁ。

でも私たちも早く点数が知りたいんだから,

明日までにお願いね!」などと

言ってくれるから,

その気持ちにやる気をもらって,

「は~い」と再び取りかかれる,

という感じです^^;


というわけで,

いつもギリギリになっちゃう人にしか

参考にならない話だと思いますが,

みんなには,ぼくみたいなツライ思いを

しないようにしてほしいな,と思っているのです。

 

自分の性格に合った作戦で,

早めに夏休みの宿題を終わらせてくださいね。

 

みんなへつうしん  7月29日(水)

 

一学期後半の体育は,

マット運動に取り組んできました。

倒立の練習からはじまって,

前転・後転・側転・側方倒立回転

ホップからのロンダートなど,

いつの間にか,難しい技にも

挑戦できるようになったね。

 

 

それにしても,

なんで「マット運動」なんかが,

毎年必ずやることとして

決められているのでしょう。

生きるために必要なことなのでしょうか。

考えたこと,ある?


「次の単元はマット運動だよー」というと,

「えーやだードッジボールがいいー」と

言われ続けてきたぼくとしては,

この理由をどうしても知りたいと思って,

いろいろと調べてきました。

 

それを,明日の最終回を前に,

みんなにも伝えておこうと思うんだけど,

ちょっと次の問題を予想してみて。

 

問題

〈倒立〉などというのは,いつの頃の人が,

どんな理由でやり始めたことだと思いますか?

 

予想(いつ頃?)
ア 意外と最近(明治時代に学校教育が始まったころ) 約150年前
イ けっこう昔(戦国時代に忍者が活躍していたころ) 約700年前
ウ かなり昔(キリストが生まれた頃のヨーロッパで) 約2000年前
エ すごく昔(ピラミッドが作られた頃のエジプトで) 約4000年前

 

予想(何のために?)

ア 権威の象徴(すごさを見せるため)
イ 身体を鍛えるため
ウ 遊び的な要素

 

 

 

 

 

 

 

 

 


証拠が残されているもので,

最も古いものは,古代エジプトの

「ベニ・ハッサン遺跡」にある壁画です。

エジプト中王国時代ですから,

紀元前2000年頃,

今から4000年以上昔のことです。


「倒立」は,普段の生活では

全く行わない動きなので,

ある程度練習しなければ

できるようにはなりません。

 

ですから,

倒立ができる人をみた普通の人は,

「あの人は何か特別な能力を持った人だ」

と思ったに違いありません。

 

それを利用して,

宗教的な呪いや,

王の権威を示す儀式の時に,

「神との仲立ちをする人」として,

倒立のできる人が

活躍していたのではないか

と考えられています。

 

 

 

(問題のこたえは,エ 4000年以上昔, ア 権威の象徴)


その後,

エジプトの倒立やアクロバットは,

地中海を渡り,紀元前1800年頃の

「クレタ島」に伝えられました。

今から3000年以上昔のことです。

 

海上貿易がさかんで,

自由な雰囲気のあったクレタ島では,

アクロバットは王のための

権威的な運動ではなく,

もっと庶民的な,

みんながたのしめる

SHOW(ショー)としての要素が

色濃いものとして発展しました。

 

その時の躍動的な様子が,

クレタ島で発掘された

「牛跳び」の壁画に残されています。

 

 

その後,倒立をはじめとするアクロバットは,

古代ギリシアにも伝えられました。

今から2000年くらい前の古代ギリシアでも,

倒立をはじめとするアクロバットは,

庶民の楽しみとして発展していたようです。

それを真似してやってみる人や子どもたちも,

きっとたくさんいたことでしょう。

 

 

〈倒立〉は,

古代インドや古代中国でも行われていました。

そこでは,「ヨガ」や「導引」など,

精神修行や健康法としての広がりもみせました。

それらは現在でも多くの人に親しまれています。

 


中世になると,

ヨーロッパでは「市民祭」の中で

逆立ちのバリエーションが

次々に工夫され,アクロバットとともに,

コンクール形式で競われるようになりました。

アイデアを工夫して,

人々を驚かせる倒立の方法を考案していく伝統は,

のちに大流行するサーカスの中に

引き継がれていきました。

 

 このような発展の仕方は

アジアでも同様で,

中国では「雑技団」,

日本では「越後獅子」や,

「火消しのはしご」などの

アクロバットがよく知られています。

 

 

〈倒立〉は,大人たちのもの

だけではありませんでした。

 

中世以降,倒立は

子どもたちの遊びとして,

多く描かれるようになりまます。

きっとそれまでもずっと,

魅力的な運動遊びとして,

多くの人たちに楽しまれ,

引き継がれてきていたのでしょう。

 

 

この絵画は,たくさんの遊びが

描かれているものなのですが,

その中に,逆立ちをして

遊んでいる子どもの絵があります。

 

「梨の木遊び」とも呼ばれていた運動で,

まるで自分が梨の木になったような

感じであそんでいたのでしょうか。

かかとでお尻を叩いて

遊んでいたりもしていたそうです。

 


 みんなは,倒立や回転などの

アクロバットを練習してみて,

どんな感じを味わいましたか。

 

普段は感じることのない,

新鮮な運動刺激を

受けたのではないでしょうか。

 

そこには,いつもの生活とは

まるで違った世界が広がっています。

 

昔の人も,きっと

そんな不思議な感覚を

たのしんでいたに違いありません。


そう,これは,人々が昔から積み上げ,

伝えられてきた「たのしい遊び」

つまり,「文化」だったのです。


人は「毎年やらされる」とか,

押しつけ的な雰囲気を感じると,

急に「イヤだな」という

拒否反応をしてしまいます。

 

だけど,別に,倒立やアクロバットは,

やらなくたって生きていけます。

つまり人生においてはただのオプションであって,

できないからダメなんてことはぜんぜんありません。

 

けれど,歴史的に見ると,

これは多くの人が

「たのしい」

「できたらやってみたい」

「どうしたらできるようになるの?」

という興味の対象で,

「こうすれば,自分でもできるようになって,

たのしさを感じることができますよ」

と教えるのは,教育の大事な仕事だと,

ぼくは思っています。


昔から,多くの人々や子どもたちが

たのしんでいた文化を感じながら,

明日の最終回の「マット運動」の練習をしてみる,

というのはいかがでしょうか。

 

 

みんなへつうしん  7月28日(火)

 

今月のはじめ,

7月2日の「みんなへつうしん」で,

「このまま政府が何も手を打たなければ,

1ヶ月後(7月の終わりごろ)には,

感染者がどのくらいに増えるか?」

という予想を,みんなでしました。

 

ア 1日200人を超す感染者が出るようになっている
イ だいたい100人くらいで続いていく
ウ 何もしなくても,そのうち減っていく

 

このときは,全国の感染者が1日100人程度,

東京の感染者が1日50人程度でした。

いま,7月の終わり頃になった結果,

全国の感染者は1日500人程度,

東京は1日200人程度で推移しています。

というわけで,正解は「ア」で

「200人を超している」でしたが,

1日500人規模で増えていくなんて,

当時は全く予想できない

状態になっているといえます。


ぼくのよそうは「ウ」だったのですが,

そんなに甘くはありませんでした。

新型コロナウィルスをなめていた,

といえそうです。

 

この辺りで,きちんと

予想変更しなければなりません。


***


ニューヨークは3~7月の感染爆発で,

死者数も大変でした。

しかし,現在では,

感染者をかなり押さえ込むことに

成功しています。

これには,知事のスピーチが

大きな役割を果たしているようです。

 

ニューヨーク市民に対して,クオモ知事は,

毎日毎日スピーチを続けてきました。

その内容に勇気づけられるとか,

癒されるとか,心待ちにしている

という声も上がっていたそうです。


どんなスピーチだったのか。

それは「現状のデ―タを伝え,

それから訴えたいことを伝え,

そして質疑応答に応じる」

というものでした。

「事実と意見を分けて」伝えていました。

若い人にも直接,語りかけていました。

 

クオモ知事は,

「私がやりもしないことを,

みなにやれとはいわない」など,

心に響かせるメッセージを

送り続けていたのです。


そんな話を毎日聴いていた,

ニューヨークの人たちの動きは,

納得して自分から考えて

動いているように見えます。

 

やらされているというより,

自分で判断しているのです。

 

日本よりもずっと長く経済封鎖を

行っていましたが,

トランプ大統領に対して

デモが起きているのとは対照的に,

デモも反対運動も起きていません。

ニューヨークは世界でも有数の

〈経済の中心〉の場所なのにです。


それは、クオモ知事が

「どうウイルスに対応すべきなのか」

「何がこわいのか」

「どうすればいいのか」など

すべてをオープンにして,

毎日の会見で繰り返し

伝えていたことが大きいです。

 

つまり,ニューヨークの人たちは

「それが当たり前なんだ」と思うくらい

考え方をドリルをしていたのだと思います。

 

日本では,どうでしょう。

緊急事態宣言が解除になったことで,

「もう大丈夫」という安心感が

出てしまったのかも知れません。

どこまでがダメで,どこまでが大丈夫なのか,

その線引きが,ものすごく曖昧なのに,

繰り返し説明されることもなく,

よくわからないまま,自分勝手に安心していたり,

不安になりすぎていたりしている感じがします。

 

経済を回すことや,学校の再開など,

普通に戻していくのは大切ですが,

「気をつけなければならないこと」

を忘れてしまっては,結局,

あの休校の努力が

ムダになってしまう感じがします。

 

ぼくは,クオモ知事のように,

みんなが納得いくように

毎回説明していたかな,と反省しました。

これは,教育の仕事でもある

と思っているのです。


アメリカでこんなことがあったそうです。

<美容師に陽性者が2名出た>というケースです。

感染に気付く前に10日間で139名に

接してしまったのだそうです。

だけど「たったの1人にも」

感染者をださなかったのだそうです。

その理由は,どうしてだったのでしょう?

 美容師がしていた対策は

何だったのでしょう?


アメリカ疾病対策委員会が出した結論は,

「マスクをしていたから」なんだそうです。

ホントかなぁってところもあるのですが,

その疾病対策委員会が

「マスクさえあれば,2ヶ月でコロナは収束する」

などと言っているそうです。


先日,とある会議に参加したときに,

けっこう狭い部屋なのに,

窓を開けて換気はしていましたが,

10人中8人がマスクをしていませんでした。

まるで,

「換気をしているんだから,

マスクをしているなんてバカげている。

このくらいは大丈夫って知らないの?」

という感じでした。

 

そんな中,あなただったら,マスクを外しますか?

それとも,つけたままでいられますか?


友だちの家に遊びに行ったら,

5人中4人がマスクをしていませんでした。

部屋の中で遊んでいます。

あなただけマスクをしています。

そんなとき,

「マスクした方がいいよ!」って,

友だちに言えますか?


そういう,「集団の意思」に

1人でも立ち向かえる,

もしくは,立ち向かわないにしても,

自分の考えを曲げないで,

1人でも行動できる強さがありますか。

 

みんなが変わるには,

結局ひとりひとりが考えて

行動できることが必要です。

 

今のままでは,

修学旅行の実施は

かなりキビシイです。

 

コロナのルールはハッキリしてきています。

「マスクをして」「距離をとる」

「食べているときは,至近距離で話さない」

これだけでも,かなりリスクを減らせるのです。

いまは,それをやれていない人がまだまだいる,というだけ。

 

自分たちから,意識してはじめてみましょう。

もしかしたら,8月の最終週,

2学期が始まる頃には,

状況が変わっているかもしれません。

 

明るい未来は自分たちで作っていくものです。

 

みんなへつうしん  7月27日(月)

 

7月23日の「みんなへつうしん」に,

「好きを誰かと比べないで」の

みんなの感想を載せてみましたが,

改めて読んでみて,

本当によく考えられていて

すごいなぁと思いました。

 

もちろん,こちらは書かずに

「マスクをくれた方々へのお手紙」を

書いてくれた子たちの文章も

素晴らしかったので,

これは別に紹介しようと思っています。

 

それで,そこに載せた感想を読んで,

Hirokiくんの感想が特におもしろいなぁ

と思ったので,改めて紹介します。

 

「好き」というものを増やすのが

大事といっていたけれど,

1つの事に集中して,

他の事が目に入らなくなってしまい,

本当に好きなことを集めないと,

1つのことで苦しんで,

また他のこと探す,

ということが続いてしまいます。

だから,少しぐらいは

「人より優れていること」も

大切だと思います。


なので,「自分は,この事が得意だ!」

と思えることがあったほうが続けられるし,

「他のこともやってみよう!」と

思うこともできる。だから,

「好きなこと」=「人より優れていること」

の考えを,完全にダメというよりも,

「好きなこと」=「得意なこと」

=「続けようと思うこと」

=「他のことを探そうとすること」

=「人より優れていること」

という考え方も,いいと思います。


なので,人の「好き」という感情は,

人それぞれで,人が「これ!」と

決めることはできても,

その考えを否定する人がいて,

また,その人も正しいことを言っていて,

だから,人々の考えは,

それぞれちがうと思います。

(Hirokiくん)

 

「好きなことを,人より優れていること

と考えると,トップ争いに負けたときに,

イヤになっちゃうことがあるよ」

という話だったんだけど,

「人より優れていること」というのも大切,

というHirokiくん。

 

なぜなら,人より上手にできるから,

得意だって思って好きになることもあるし,

そういう自信で,他のことにも

挑戦しようという意欲がわいてくるんだから,

と言っています。

 

なるほど。

確かにそういう考え方もできるよね。


ちょっと他の人と違う生き方をするのは大変です。

叱られたりすることも多いし,

不安にもなることもあるでしょう。

 

でも,ちゃんと考えてそうしているなら,

未来は明るいです。

「自分の人生なんだから,自分で考えて生きる」

という人は,あまり後悔しないで

生きていけるのかもしれません。

どうなっても「シメタ」と思えるからです。


また,最後の文がとてもいいよね。

人の考えは,それぞれ違うのが当然で,

自分は違うと思っても,

その人はそれが正しいと思って否定してきたりします。

 

けれど,どれが正しいのか,

と判断するのは,結局は自分です。

 

人が言っていることが

正しいのかどうなのかは,

実験によって決まります。

 

多くの人が言っているから,とか,

頭のいい人が言っているから,とか,

大人が言っているからといって,

正しいとは限りません。

 

自分の未来は,

いろいろな選択肢の中から,

「これが正しいんじゃないか?」と

自分で予想して,

それを確かめていくことで

作っていくものです。


そう考えると,自分を否定してくる人も,

決して敵ではなくて,

自分にはない選択肢を提示してくれる

貴重な存在です。

 

Hirokiくんの感想を読んでいると,

そういう幅広さを感じたりもするので,

やるなぁと密かに思っています。

 

…だけど,ぼくも「先を生きる」者として,

別の選択肢を与え続ける努力はしますけどね。

覚悟してください(笑)