最近このブログ、誰も書く人がいなくてさびしいですね。どこも大変なので仕方がないですが。ご他聞に漏れず撃ちもいろいろ大変なのですが、最近ちょっと暖めていたブツブツがありまして、ちょっとここに掲載させていただこうと思います。
夏草や 兵どもが 夢のあと
松尾芭蕉の有名な一句ですが、その場の情景や感情が伝わってくるようですごいですね。芭蕉がここでこの句を詠んだとされる平泉にその碑を訪ねたことはあるのですが、この句に初めて接したときの強烈な印象は受けませんでした。たぶん、この短い句の中にこめられた達人の眼力を通じて、自分の中にはなかった感性が呼び覚まされるのだと思います。この七五調の短い句の中にそういうイメージ、ビジョンをこめるわが日本の文化のすごさを感じます。
さて、私はどちらの専門家でもありませんが、この日本文学論にひっかけてひとつ素人経済論でもぶってやろうと思いまして、今ラップトップのスクリーンとにらめっこしています。
私を個人的に知っている人たちの多くは私が自他共に認めるハーバード・ビジネススクールなどに代表される近代経営論、特にMBAプログラムの批判者であることをご存知ですが、これもその論調の一端です。
ロジャースミス氏をご存知ですか。1980年代にGMの会長をしていた男です。凄腕の経営者として知られていましたが、当時の日本車に対する対抗策として Saturn を打ち上げたことで有名です。その戦略として、「トヨタとの合弁事業によりそのカイゼン・ノウハウの摂取。ロボットによる自動車生産の完全自動化工場の設立」など、そのとおり実行されていればGMの状況も今とは少しは違ったものになっていたのかもしれないことをあげていました。たぶん理論的には正しい戦略だったのでしょう。実際、トヨタとの合弁工場 NUMMI ではトヨタ方式で自動車が生産されていました。しかし今振り返ってみてこれは功を奏しなかった。なぜでしょう。
NUMMI 工場では生産車種が少なかったり、ノウハウを取得した人たちを広く活用することがなく、カイゼン・ノウハウがGMの文化に深く浸透することはついぞなかった、といわれています。こういう意識改革にかかわることはメニューに載せれば自然に起こるというものではない、というのは考えれば当たり前のことですが、当時スミス氏をはじみGM首脳陣は掛け声こそかけても実際に自分が現場を見に行って実情を肌で感じる、自ら陣頭指揮を取る、というようなことはなかったようです。これは今主流になっている(スミス氏がそうであったかどうかはよく知りませんが)金融肌の経営者にありがちな傾向で、自社の事業内容に関しては素人なので実情を見てもわからない、だから Deductive Thinking にたよる、という現象だったと私は思っています。つまり、過去のいろいろな例から成功パターンを参考にして合理的な経営戦略を打ち出し、それを実行に移したわけで、それが実情に合うかどうかは問題でない、「鳴かなくば放っておけよホトトギス」だったわけです。
それと似た状況はどこにでも転がっています。たとえば、70年代のロサンゼルス近郊のFM局はロックあり、イージーリスニングあり、ジャズあり、クラシックもありでさまざまなバラエティーがありました。それが80年代いつごろか、ロックンロール局が一番収益が高い、という経済レポートが流れると、多くの非ロックンロールステーションが売りに出され、買収されたものの多くはロックンロールに転換されました。おかげで80年代以降はここで聞けるFM局のほとんどはロックンロールばかりになってしまいました。そういうことをすると、ロック局の過当競争になる、ということは誰も考えなかったのでしょうか。
私は基本的にMBA教育を信じていないというのは前述しました。無論、彼らの教えている経済指標ツールは一理あるものはあるし、理論も基本的に間違っているわけではないと思います。教えている教授も受けている学生も馬鹿ではないし、むしろ人並みはずれて優秀な者たちが多いのですが、問題はその知識とツールの使い方です。
あれらのツールはごく基本的な微積分論理あるいは統計論に基づいて作られているので、ごく限られた範囲内では非常に有用な判断基準になり得るのですが、どこまで適用できるのかが微妙です。特に統計の使い方はほとんどの場合自前の結論を導き出すために使われているだけで間違っています。今回のような前代未聞の異常事態、つまり結果が最初の仮定に大きく影響してしまうような事態に対してはそのツールの基本的な仮定条件が満たされていないことが想定され、したがってそれに頼るのは危険なのです。でも多くの場合、人はそのツールがどこから来ているのかよりもその暗記したフォーミュラを忠実に計算して結果を導き出すことに頼りがちです。そのほうが早いし、スピードこそ現代のビジネス成功の秘訣ですから。でもその盲目的思考が間違った指標の拡大解釈につながり、全体として判断を誤らせる元になっていると思うのです。「赤信号、みんなで渡ればこわくない」です。
私の持論はビジネス経営というのはサイエンスではない、すくなくとも(論理的、左脳的思考に対して)右脳的な要素が非常に重い、というものです。単に利益だけを効率よく追求するだけでは見えてこない経営術というのもあるのです。それは個々の現状によって違うこともあって私、ここでは具体的な例といっても思いつかないのですが。現在、そういうことは Intangible として無視されてしまうことが多いようです。実際の悪魔はこういうディテールのなかに潜んでいるのに。私はこれは純粋な意味での資本主義の決定的な弱点ではないかと思います。MBA理論とツールは不要なものではないが、使い方に注意せよ、ということです。
最初の俳句の話に戻ります。私たちが何でも七五調でものを書けばそれが美しい俳句になるのではない、というのはいまさら私が説明するまでもありません。同じルールの中ですばらしい句を残した芭蕉や一茶らの俳人の偉大さはいまさら言わずもがな、です。ただ、誰かが彼らがその偉大な功績を残せたのは七五調というツールがあったからこそである、と言ったとしたら、それはまったく本末転倒なことです。彼らの偉大さをして七五調という枠の中でそのアートを表現できたのだ、と思います。
名句の中には七五調のルールを破った「字余り」というのも多くあります。これこそ、芭蕉あっての俳句である、その逆ではない、ということの証左ではないでしょうか。
浅見
