花はどこへいった -15ページ目

夕方より、通夜。

1時間ほど前に会館へ入り、準備をする。

通夜後は、施設内の部屋へ移動して、来てくださった方と、注文していた食事をする。

たくさんの人に来てもらっていたら、食事会がもっと大変なものになっていたと思う。

 

自分でするからいいよ、気を使わないで休んでと、皆さん、自身でお酌して飲んでくださるので、家族で明日の相談もできて本当に助かった。

 

 

いつ自宅へ戻れるかわからないので

セキセイさんを実家に運んでいたが、お隣同士で一日一緒にいたからか、新しい言葉を覚えて

『もしもし?〇〇デス』などと自宅の固定電話の対応の真似をしている。

 

布団に横たわった父を皆でそうっと棺桶に安置。

フエルトで作った蕾の花を 一人ひとりが丁寧に開いて、父の体の周りに供える。

足元には思い出の品の一部を入れて皆で蓋を閉じた。

 

午後から、出棺。

家族葬にしていたのでお参りが出来ないのがつらいと、近所の方々が、みな、父を見送ってくださることになった。

 

来てくださった方々にお礼を言って、後から家族が施設へ行く。

 

家族葬専門の施設で、貸し切り。寝泊りもできるよう、風呂や布団までそろっている。

葬祭場には、たくさんの花や盛篭、提灯が届いていて、家族葬のこじんまりした飾りと思っていたけどとても立派な様子になっていた。母も喜んでいた。

 

一晩、ここで安置。

 

翌日が、通夜となる。

 

 

 

 

母のコロナワクチンの接種日が予定と重なる。

日にちを変更してもらうため、通院している医院に電話で父の逝去のことを話すが、いきなり、『もうお日にちありませんよ。キャンセルですね』と言われた。

やっぱりここの医院さんは変わった方がいいのではないか。

 

嘘でも『大変でしたね、お疲れが出ませんように』とか『お母さまの様子はどうですか』とか言えないのかと思う。

おくりびとは、予定通り 10時に到着。

 

とても穏やかで物腰の柔らかい男性と女性。

 

穏やかにゆっくりと時間が流れるように ことが運んでいく。

間近で食い入るように見ている自分に気づく。亡くなられたあと、病院で着物を着せるまでを行っている側からすると、いつもこの後どういう流れで納棺になるのか こころのどこかで 気になっていたこと。

 

『見させてもらっていていいですか。やりにくくないですか』そういうと二人は驚いたように、『ゆっくり座って見守ってさし上げてください』と笑顔をかえしてくれた。

 

 

布団に横たわる父の上に掛物をしながら、家族に見えないよう その下で着物を脱がせていく。

 

 

座敷の畳の上に 防水のシートが敷かれ そのうえにバスタブが設置される。

バスタブの上にネットのようなものがあって、人が横たわれるようになっている。

父はその上に横たわり、体の上には厚手のタオルのような掛物かけてある。

体を清めるように家族で順番に湯をかける。

 

そのあと、持ち込まれたタンクからシャワーが出るようになっていて、シャンプー、洗顔、体から足先まできれいに石鹸の泡で洗い、シャワーで洗い流しておられる。髭剃りも床屋さんのように、理容カミソリでそってもらえる。

 

気持ちよさそうに見える。

 

きれいに泡を洗い流して清拭し、再び、父は、布団に横たわる。布団にはあらかじめ、母が選んだスーツが準備されていて 下着、ワイシャツ、背広、ネクタイ、下はズボン下にスラックス、靴下もあっという間にはかせてもらい、しかも滑らかに ことが進む。

 

横では、タンクに水を移してバスタブが撤収される。

 

同時に女性が父の体にマッサージするように保湿剤を塗ったり化粧をしたりされている。

 

『どんなお父様だったんですか』

 

そう聞かれたけど、答える途中で 泣いてしまいそうな気がして

『どんな・・・父だったんでしょうね・・・』と どういえば自分が泣かずに済むか考え言葉に詰まる。

 

座敷にはクーラーがない。玉のような汗が流れている。

 

二人は、本当に父を大切に大切にしてくれた。

 

すごい仕事だと思う。これだけ故人と家族に寄り添った仕事。言葉がでなかった。

 

帰り際、心が動かされて思わず、このご時世なのに、二人の手を包むように握手をしてしまった。

 

素晴らしいお仕事です。本当に素晴らしい。

言葉なしにこんなに心が揺さぶられることは、これまでなかったなぁと思った。

 

午後から出棺。

 

田舎の朝は、びっくりするほどひんやりしていた。

 

『お寺さんには、8時半になってからってお母さん言ったでしょ。』

 

そう言って 私はぼうっとした頭を起こそうとする。

そんなこと言ってないとかで母と喧嘩をするが疲れが取れずに喧嘩にならない。

 

 

確かに2時間前には お寺さんへは 8時半に行くことにしようと打ち合わせしたじゃない。

 

そんなことを言っても 混乱する母には通用しない。

田舎のしきたりに詳しい従弟に来てもらって、7時30分、お寺さんへ通夜と告別式のスケジュールの確認に行く。

1時間ほどで、住職さんが枕経に来てくれた。

百か日までのスケジュール調整。

お布施の確認。

お墓の話。

紙だなに封をする。お客さんのお茶とお菓子の準備をする。

 

最近の和尚さんはiPadでスケジュール管理をしているようで、11月までの予定がとんとんと決まる。

町内に親族葬の連絡を入れる。各町内に連絡が行きわたる。

 

今日は来ないで明日の通夜でと言ったのに、おば二人がやってくる。2時間ほど応接室で話に花を咲かせている。住職さんとおばの間で 天手古舞になる。

2時間寝た私と違い、一睡もしていない母に おば二人は容赦ない。

 

おばたちに帰ってほしくて母が、『ごめんなさいね、こんなだから、昼食の用意はしていないのよ』という。

それでも帰らないので この辺でと 睡眠時間2時間の私が 慣れない母の車を運転して おば二人を強制的に自宅へ送る。

 

車の中でも しゃべりっぱなしだ。ぼうっとする。でも一言私が相槌を打つと 楽しそうに話を続ける二人に癒されている私もいる。

居眠り運転をしない私、えらいぞ。

 

12時、自宅に戻ってきて少しは眠ろうとしたら、近所の人たちのお参りの嵐。町内会の連絡網の力なり。

 

次々と冷たいお茶をふるまう。

30分毎に人が来るので 結局夕方まで 混乱が続く。

決まって『お疲れが出ませんように』と言って帰る。

 

家族葬と言っているのに、『行ってはだめか』と じいちゃんたち、食い下がる。

やんわりとそれでも頑なに 事情を話す。

出棺時に付き添うことで 納得してもらう。

 

 

私は久しぶりに自宅に帰るとする。

 

あすは朝から納棺。おくりびとと一緒に。

母が 白いシーツを買ってほしいとラインをしてきたのが3日前。

病院からは直接葬儀場へ向かう予定にしていたが、父をいったん自宅で寝かせてあげようと思ったんだな、と上等のシーツを注文した。

 

 

 

深夜 3時 馴染みの看護師さんに送られて、家族四人 一緒に 実家に帰る。

 

家に帰りたいという父の願いをかなえられなかった。

今になってでごめんね。

 

 

父をストレッチャーで運んできた白衣の人が、いつの間にか黒いスーツに着替えていて、すぐに通夜と告別式の打ち合わせが始まる。

もう一人の白衣の人が、ドライアイスなどをセットしながら、父の身の回りを整えていく。

 

 

通夜と告別式の日にちと時間の調整

祭壇や棺桶、骨壺、花などをどんどん選んでいく。

疲れに疲れていて、検討する余裕などない。

 

言われるがまま、そうですね、これにしましょうと 決めていく。

 

家の中が静かになったころには 外が白み始めていた。

 

『とりあえず、寝ましょう』

 

眠れないと寝返りをうっている間に いつの間にか 眠っていた。

 

 

2時間後、母に起こされた。

 

『早くお寺さんに行かないと!』

いつ呼ばれるかわからないから、すぐにベッドに入るようにと母に言って、21時に寝る。

久しぶりの布団で ぐっすり眠った。

 

母の叫ぶ声で目が覚める。

もうすぐ日付が変わる。

 

病院から呼ばれた。

8/28 朝。

鎮静をかけてもらっているので 全く動かない。

背抜きする。

 

段々酸素飽和度が低下し、呼吸回数だけが上がっていく。

 

 

最初の1泊は、唸る父を寝ずにさすり時々苦しそうにする父に涙ながらに話しかけていた母も 85歳。さすがに体に悪いからと 自宅へ帰るよう促す。

 

付き添いベッドにも慣れて、私も眠れた。

いつ起きても 父は動かず、呼吸回数が増えていくだけ。

 

家にいても不安だからと 朝から母も病室へ来る。

これでは 母も参ってしまう。

 

今日は 私も家に帰るか。

 

段々父の血圧が下がってきた。

 

 

まだ元気だったころの父の話をしてくれた看護師さんが担当だった。

笑顔が心にしみる。

 

私は仕事中、こんな笑顔したことあったかな。

復帰したらと 色々 勉強になる。

 

母を連れて帰る。

 

夜中に呼ばれてもこの田舎では 呼ぶタクシーもない。

 

母の軽自動車を走るように修理しておいてよかった。

慣れない軽自動車で帰宅する。

 

8/27 息苦しいと訴えるので、塩酸モルヒネを増量してほしいと頼む。量が増えれば苦顔が減るが、呼吸抑制がきて酸素飽和度が下がる。

 

それは仕方ない。

先生にもそう言われていた。

 

母も兄も着いたので、いったん自宅に戻って、泊まる準備をする。

 

病室に帰ってきたら、NHFに変更していた。

鎮静もかけてもらっている。

 

 

 

もう、意識もなくなった。

酸素飽和度は、50%から 90%に上昇。

 


 

慌てて

混乱して

受容して

覚悟して

 

生かされている父をみて 母が言いました。

 

『しんどそうなのはなくなったけど、こうやってどんどん、命を伸ばしていくの?』

8/26金曜日

午前中、母の病院に付き添う。名前を呼ばれて30秒で戻ってくる。月1回の通院とはいえ、なんとなく無意味な感じもしてしまう。

 

そのあと、父の入院する病院からは連絡なし。

帰宅する。

2時間後、病院から電話があったと 慌てた母から連絡がくる。

『明日朝まで持たないかもしれない』と言われたとひどく動転している様子。

 

再び、病院に向かう。

 

 

緊急の外来口から建物に入る。

 

父の意識はしっかりしている。脈も緊張良好。血圧は120~130はありそう。

大慌てで来なくて大丈夫と兄に連絡をする。

 

付き添い許可が下りる。

なんと 夜間3人までよいとのこと。

 

最期まで会えないと言われたのは何だったのか。

 

父をさすって会えた嬉しさで、涙を流している母を見ると言葉に詰まる。

 

今夜から付き添おう。

 

父の病状も全くわからないまま、時間だけが過ぎる。

やっとリモート面会の予約が取れ、実家に母を迎えに行く。

突然、病院から電話があり、意識があるうちに面会をと言われ慌てる。

 

母と二人、病院へ向かい、30分ほど父と面会が出来たバイタルサインは安定。会話もできる。

 

意識があるだけに、呼吸困難感が強く、私たちの面会後、塩酸モルヒネを使用するとのこと。

長居すると薬を使い始めるのも遅れる為、そうそうに帰宅する。