アカリの婚約者を『槇村一樹』と名付けました。
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「今までは足元に積んでたからなぁ。在庫も一目で分かるし、なによりフロアとの行き来がし易いのが一番だ。」
カウンターの奥 改装を終えたバックヤード。木の温もりと香り漂うこの場所に久仁彦おじさんの満足度は高かった。足を踏み入れた私も同感だ。
「使いやすそうだね。しかもおしゃれ。」
「だろ?店内の雰囲気に合わせて棚もウッド調に仕上げてくれた。違和感無いだろ。」
バックヤードであることさえ惜しい。目線に動線 こんなにもスムーズになるなんて。
「センス良いんだよなぁ。」
新調したテーブルやイスも店内の雰囲気に馴染んでいる。
「さすが一級建築士。インテリアデザイナーの資格も持ってるってなぁ。」
入り口に飾ってあるいくつもの蘭の花がリニューアルした店内を更に華やかにしている
「お花すごいね。」
「付き合いのある会社が持ってきてくれたよ。」
「個人名もあるじゃん。…」
あ…。
様々な企業の名が連ねていた。そのうちのひとつの名札に目が止まる。
『五十嵐誠』…。不覚にも微かに胸が音を立てた。
「まぁあれだ、なにがあったか知らないが、」
私の目線が止まり横顔が陰ったのが分かったんだろう。おじさんは遠慮がちに声を落とす。
「五十嵐くん、よくやってくれたよ。」
誠…。
「うん…。」
思わず俯いてしまった…新装開店初日のことだ。
・・・・
リニューアルオープンの日に店を手伝ってくれと久仁彦おじさんから連絡があった三日後 私は久しぶりにLIのドアを開けた。
バイト店員たちと開店準備をし終え 午後17時 オープンまでのわずかな時間におじさんと久々に会話を交わす。
「五十嵐くんな、ここが完成してすぐ関西に転勤した。」
「え…。」
「デカい仕事を受けたらしいぞ。それなのにこんなちっぽけな店の完成に立ち会いたいってギリギリまでいてくれてな。」
おじさんは私たちの関係におおよその検討は付いていると思う。
「仕事の出来る良い男だよ。」
「…そか。」
良い男、か…。
改めて店内を見渡す。誠の笑顔を久しぶりに思い出す。
「凄いね…。」
…凄いね誠。凄く素敵。
「…。」
…もう会うことはないね。
さみしいという感情にホッとした安堵が混じる。そしてそれは次第に私の胸のなかの大部分を占めた。
あんなに好きだったのに…。
誠との関係が随分昔のことのように思える。
大和と過ごす新しい生活は私の恋を少しずつ消してくれていたのかもしれない。
「お前に『よろしく伝えてくれ』って。」
終わったんだ、私たちは確実に。
「…ごめんね、気を使わせて。」
「いや、いいけどさ。ま、この店と同様にお前も心機一転な。」
ポンと背を叩かれた強さに笑顔で返す。
不倫なんてものの結末なんて知らない。
けれどこの時私は、誠との関係をある意味清々しく終えた気がしていた。
蘭の花から目を背け小さく息を吐いた時、
ガチャ
「来たよーー!」
まだオープン前だというのに、勇太さんとアカリさんが店のドアを開ける。
「早いなお前ら。」
「あとから佐伯も来るから!あ、***ちゃん!」
元気の良い声に自然と笑顔が溢れる。アカリさんと手を振り合い再会を喜んだ時、
「こんばんは。」
彼女の後ろから真っ白い蘭の花を抱えた男性が顔を覗かせた。
あ、もしかして…。
ひょろっと背の高い男性 笑顔で久仁彦おじさんにお祝いの言葉と花を渡す彼は、
「***ちゃん紹介するね、私の婚約者、槇村一樹です。」
癖っ毛の柔らかそうな髪 色白の肌 銀縁のメガネは知的な印象。
「はじめまして槇村です。」
なんというか…掛けられた低音ボイスが随分と耳心地良い。なるほど美人なアカリさんに似合う魅力的な大人な男性だ。
「はじめまして。私、」
「大和の婚約者の***ちゃんです。」
…ま、そうなるか。
アカリさんの冷やかしに苦笑い。
偽嫁の看板はなんとも大きいのだ。
・・・・
「奥のテーブル片付けてくれ!」
「レジ行きます!」
「オーダー頼む!」
「料理出来たよ!運んで!」
オープン後、予想以上の来客数に久仁彦おじさん含め店内はてんやわんやだった。
だけど、誠の設計した動線は 起きる必要のないミスを全くゼロにする。
不慣れな私も無駄な動きのないバイトの子たちの助けもあり、なんとかピークの時間を乗り越えることが出来た。
「ふー…。」
つ、疲れる…ーー。
大画面に映る試合が盛り上がれば店内の動きはしばらく落ち着く。
私はカウンター担当になり、内側でしばしの休憩をしていた。
「お疲れさま。」
労りの声に顔を上げると、カウンター席に横並ぶアカリさんたち。
「ビール飲みたいっしょ。」
飲めないと分かっていて意地悪に振ってくる勇太さんに頬を膨らませながら店のドアに視線を向ける。
大和、遅いな…。
「大和来るんでしょ?」
視線を追ってアカリさんが聞く。
「職員会議があるから遅くなるとは言ってたけど…長引いてるのかな。」
「佐伯も遅ぇなー。ま、でもこの混雑じゃな、座るとこもここしか無い。」
10席あるカウンター席も今は勇太さんの隣しか空いていない。
大画面に映るのは世界大会をかけた日本代表男子バスケットボールのライブ試合
彼らの応援を求めた女性客が多かった。カウンター席には二人組もいるけどおひとり様もいる。一人でも寂しくはないのだ。
なぜなら推しの応援は次第に輪になり仲間を作る。スポーツバーの良いところはお客さんどおしで盛り上がるところ。まさにその状態だった。
「佐伯か大和用に取ってたけど、誰か来たら案内して良いよ。」
ポンと勇太さんが隣の席を叩く。頷いた時、
ガチャ
大和?…違った。
「いらっしゃいませ。お一人ですか?」
頷く女性。
「こちらどうぞ。」
「早速かい。お、美人。」
勇太さんの呟きに笑いながらカウンター席が埋まる。店内は満席になった。
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