どうやらワサビ(長女・3歳・仮名)、カラシ(次女・1歳・仮名)に続く3人目の子供ができたっぽい我が家。もはやテレビに出てる大家族を見て「こんなに子供作ってどーすんだろーねー」などと笑っていられない状況になってきた。

 ワサビに「赤ちゃんの名前どんなのがいいと思う?」と訊くと「うーんとね、セーラームーン!」と即答された。もう女の子で決まりかい!でも面白いので当て字なんかを考えてみる。

 世羅夢・瀬螺文・施等武・・・なんか暴走族の名前みたいだ。あんま関係ないけど菊池桃子をボーカルに迎えた伝説のロックバンド「ラ・ムー」を思い出しちゃったよ。愛はココロの仕事ってか。セーラームーンはダメでも「セイラ」だったらイケるかも。「よろしくって?」とか言っちゃいそうな雰囲気ね。

 ワサビとカラシの名前は両方とも僕がつけたので「今回はアタシがっ!」と妻が鼻息を荒くして言っているので今回は僕の出番はなさそうだ。それでも遊びでヘンな名前を考えてしまう僕なのであった。

未楽流(みらくる・・・未来が楽しく流れていくようにの意)
登渡朗(ととろう・・・宮崎アニメのアレです)
亜夢朗(あむろう・・・あのロボットアニメのパイロットです)
江番蹴王(えばんげりおう・・・あの使徒と戦うヤツです)  

その他「爆裂」「中生」「海老ZO」など考え始めたらキリがないので今日はここまで。 日本語って楽しいねぇ。楽しいねぇ。


 あ、ワサビとカラシ同様HNを考えねば。「ハバネロ」なんてどうだろう
「五千頭よ」
「五千頭?」
「北海道にいる羊の数よ。昭和二十二年には二十七万頭もいたのが、今では五千頭しかいないの」
「どうしてそんなことを知ってるんだ?」
「あなたが出て行ってから図書館に行って調べたのよ」
僕はため息をついた。「君にはなんでもわかっているんだな」
「そうでもないわ。わからないことの方がずっと多いもの」

村上春樹 「羊をめぐる冒険(上)」より)


村上春樹の小説に出てくる女の子はほとんどみんなしっかりとした「女の子言葉」で話す。「~よ」「~だわ」「~なの」「~だもの」などで終わるこれらの言葉でが個人的に好きだ。なんか清楚なカンジで「萌え」る。しかし昨今、「女の子言葉」で話す女の子たちは激減した。現在この絶滅寸前の言語で話しているのはオカマかエヴァンゲリオンの綾波レイくらいだろう。


したがって上記の会話を現代風になおすとこんなカンジになるのだろうか・・・。

「五千頭だよ」
「五千頭?」
「北海道にいる羊の数。昭和二十二年には二十七万頭もいたんだけど、今では五千頭しかいないんだって」
「どうしてそんなことを知ってるんだ?」
「あんたが出て行ってから図書館に行って調べたんだよ」
僕はため息をついた。「君にはなんでもわかっているんだな」
「そうでもないよ。わからないことの方がずっと多いもん」


なんかキャッツアイの愛ちゃんか相原勇みたいになっちゃったな・・・。
ちなみにこんなバージョンも考えてみました。


「五千頭だっちゃ」
「五千頭?」
「北海道にいる羊の数だっちゃ。昭和二十二年には二十七万頭もいたんだけど、今では五千頭しかいないんだっちゃ」
「どうしてそんなことを知ってるんだ?」
「ダーリンが出て行ってから図書館に行って調べたんだっちゃ」
僕はため息をついた。「君にはなんでもわかっているんだな」
「そうでもないっちゃ。わからないことの方がずっと多いっちゃ」


日本語って楽しいねぇ。楽しいねぇ。
 インターネットで調べたところによると、乳幼児の死亡率が高かった昔は七歳までの子供は「一人前の人間」として認められていなかったようだ。で、3歳・5歳・7歳と段階的に通過儀礼を行い、人間として認められていくみたいな、そんなカンジだったみたい。

 我が家の長女ワサビ(3歳)もめでたく生誕3周年を迎えることができたので、近所の神社へ行ってきた。と言っても着物を着せての写真撮影は夏のうちに終わらせていたので(そのほうが割安なのね)普段着でお参りしただけ。ワサビは千歳飴を買ってもらって大喜び。あんな棒みたいな飴で喜べるんだから、子供ってのは幸せだねぇ。ちなみに中身は不二家の千歳飴2本。それで500円。高っ!!

 千歳飴を売っているところに誰もいないので神社の事務所みたいなところに行ったら、巫女さんがコンビニのナポリタン食ってた。なんとなく興ざめ。

 


真夜中の五分前five minutes to tomorrow sideB 本多孝好




"「砂漠で毛布を売らないか」
IT企業の社長・野毛さんに誘われるまま会社を移った僕は、
バイトと二人きりの職場で新しく働き始める。
仕事は、客入りの悪い飲食店を生まれ変わらせること。
単なる偶然か実力か、僕の仕事はすぐに軌道に乗り、
業界では隠れた有名人になる。

ある日、本当に久しぶりに尾崎さんから電話が入った。
もう二度と会うまいと決めていたのに――。
再開した尾崎さんは、「頼みがあるんだ」と、
信じられない話を切り出した。”

(以上、帯の文章より抜粋)


ややドロドロとしたside-Aの裏ストーリーみたいなものが展開されるものと期待して読んだのだが、ただの後日談のようなもので少し拍子抜けした。恋人のかすみさんはほとんど出てこないし。side-Aで準主役だった小金井さんや長内課長なんかもほとんど出ずに、主人公の嘆きと尾崎さんの妄想で話の半分が進んでしまう。
でも、新しい仕事がらみの話はちょっといい話があったりして結構楽しめた。
あまり関係ないけど、個人的に主人公を引き抜いたIT企業の社長・野毛さんのイメージが新しいプロ野球チームを作ろうとして失敗したあの某社長とダブってしかたがない(笑)。


真夜中の五分前five minutes to tomorrow 本多孝好


”小さな広告代理店に勤める僕は、
学生時代に事故で失った恋人の習慣だった
「五分遅れの目覚まし時計」を今も使っている。
その5分ぶん、僕は社会や他人とズレて生きているようだ。

そんな折、一卵双生児の片割れ「かすみ」と出会う。
かすみは、双子であるが故の悩みと、失恋の痛手を抱えていた。

かすみの相談に乗り、彼女を支えてるうち、
お互いの欠落した穴を埋め合うように、
僕とかすみは次第に親密になっていく―。”

(以上、本書の帯に書いてあった文章抜粋)



主人公がクールというか、何事においてもやや冷め気味なキャラのため
甘さ控えめの恋愛小説になっているのが好印象。
会話もおしゃれでどこか村上春樹を連想させるセリフまわし。
ページ数もそんなに多くなかったので一気に読んでしまった。

続編の「side-B」にも期待。
昼間に飲むビール。

遠足前日のお菓子選び。

プールで泳いで耳に入った水が自然に出てくる。

自習。

うず高く積み上げられた歌丸の座布団が一瞬にして山田君にもっていかれる。

「会社に遅れる!」と思ってあわてて起きたら休日だった。

自転車で原チャリを追い抜く。

居酒屋で生ビール片手に小説を読む。

ふとデジタル時計をみたらゾロ目。

卵を割ったら黄身が2つ。

思っていたほど太ってなかった。

料理の味見。

病欠した担任のかわりに来た代わりの先生の授業そっちのけの面白い話。

連絡網で好きな子から電話がかかってくる。

給食のメニューがカレーと揚げパン。もしくはソフトめん。

兄弟ゲンカしたとき親が自分の味方についてくれた。

学級会で自分の出した案に好きな子が賛成する。

みんなで作った流れるプールを堪能したあと、逆流。
ブルータワー」 石田衣良初の長編SF



池袋ウエストゲートパーク
4TEEN」など「今」を舞台にした優れたエンターテインメント作品を世に送り出してきた石田衣良氏が初の長編SFに挑戦した。

悪性の脳腫瘍、膠芽種によって残り少ない命となった主人公、瀬野周司は激しい頭痛によって200年後の世界に飛ばされる。そこは戦争によってばらまかれた殺人ウィルス「黄魔」が世界中に蔓延し、人類は外界の空気を遮断したコロニーのような巨大な塔のなかでしか生活していくことができない世界だった。そんな絶望的な世界を変えることができる「伝説の嘘つき王子」が自分かも知れないと知った周司は未来の世界を救うべく立ち上がる。

舞台の大半がが未来の世界なので、リアルな現在の東京の街を舞台にしている石田氏の作品を読んできた人には少し違和感を感じるかも知れないが、舞台が現在から未来に変わってもスリリングなストーリー展開は健在である。

あえて言わせてもらえれば、主人公が短い命だからなのだろうか、やたらとポジティブで「オレが世界を救うんだー」的なやや森田健作っぽいオーラを漂わせていたのでイマイチ自分と主人公をシンクロさせることができなかった。あと、最終章のタイトル「愛のメモリー」ははいかがなものかと・・・。あの顔の黒いワイルドな男性歌手を思い出してしまった・・・。
携帯電話が登場してからというもの、僕たちの日常はゆっくりと、
しかし確実に変化を遂げた。
恋人たちは片方が待ち合わせに遅れてもすれ違うことがなくなり
ビジネスマンは外出先でも商談に対応できるようになった。
もし僕たちがこの先超能力を使えるようになっても
テレパシー能力はもはや使う必要がないだろう。

しかし光あるところに必ず陰があるように
携帯電話が僕たちに与える影響は必ずしも良い事ばかりではなかった。

待ち合わせ時間に平気で遅れる人たちが増え
ビジネスマンたちは四六時中ビジネスに追われるようになった。
携帯電話で通話をしながら車を運転していた人が
交通事故を起こすことが多くなった。

僕たちは不便で無駄なものを切り捨て
より便利で洗練されたものを欲する。
黒電話がデジタルホンになり
ショルダーバッグみたいだった携帯電話は
今では手のひらサイズにまで小型化した。
レコードで聞いていた音楽をカセットテープに録音できるようになり
ソニーがウォークマンを開発したことにより
音楽を外に持ち出せるようになった。
そして今ではHDDプレーヤーに何千曲もの音楽をダウンロードして
持ち運ぶことができる。
楽曲をダウンロードする手間はカセットの「ダビング」とは比較にならず
自分の好きな曲を好きなだけ手間ひまかけずに聞ける。

でも、だから何だっていうのだ?
便利で洗練されたものは果たして僕たちが本当に求めたものなのか?
突然逆ギレして申し訳ないが
ときどき僕はそれらの進化するモノたちに翻弄されているようでほんのわずかだけど息苦しさを感じることがある。
そして便利さを求めたが故に失ってしまった何かに思いを馳せる。
オートリバースのカチリという音とか
好きな女の子の家に電話してオヤジが出た時の緊張感とか
「レンラクセヨ」「イマツイタ」などのポケベルの定型文だとか
そんなものがたまに無性に愛しく思えるときがある。



先日学生時代の友達が夏休みに妻と子供を連れて海外に行ったときの話をしてくれた。

話の最後でで彼は言った。

「何よりも休みの間ケータイが一度も鳴らなかったのが一番落ち着いたよ」



BGM : "Pepper Stretch" 菅野よう子 feat 坂本真綾 (「23時の音楽」より)


長女のワサビ(3歳・仮名)に
「ねぇ、トトロは男の子?女の子?」
と訊かれて答えに困った。

僕の理解としてはトトロは森の精霊みたいなもので
性別はないのではないかと思うのだけれど
もし性別があるとしたら僕の中ではオスのイメージが強い。
メスだったらウチの母親(55)みたいでちょっとやだ。

ワサビはトトロが大好きで、ヒマがあれば上記のような「トトロ問答」を
僕にしかけてくる。その中でもポピュラーな問いは
「トトロはどこに住んでいるのか?」といった類のもので
最初のうちは「遠くの森に住んでるんだよ」とか言っていたのだが
「その森はどこにあるのか?」としつこく訊いてくるので
最近では「三鷹市」と答えることにしている。