今年は何と言っても独立することが行動を決めることになるだろう。自分の行動にブレが出ないためにも、何で独立するのか整理しておこうと思う。

一番の目的は「幸せな人生を送ること」だ。そこから外れるようなことをしてまで独立に成功しようとは思わない。独立はあくまで手段であって、目的ではないからだ。

目的を達成するための手段は一つではないが、選択できるのは一つである。独立は目的を達成するために、自分がこれだと決めた手段だ。逆に言うと、幸せになるための手段としてサラリーマンやキャリアというオプションを取らなかったということであり、あくまで選択の問題にすぎない。

目的が幸せになることだから、「幸せ」を定義しなければならない。「幸福な家庭はみな一様に似通っているが不幸な家庭はいずれもとりどりに不幸である」とトルストイの作品にもあるように、不幸はいざ知らず、幸せの定義はそれほど複雑な作業ではないように思う。

第一には家族との時間を大事にするということだ。昨年12月には娘が生まれ、幸せにするべき家族が一人増えた。家族との時間をより大事にするためには、一緒に過ごす時間を長くするということ、自分で時間をコントロールするということだ。独立して家で仕事をするようになれば、その両方が達成できると思う。ただし、独立後の仕事が忙しくなりすぎて家族との時間が取れないとなったら本末転倒であるから、肝にとめておこうと思う。

二つ目は経済的に自由になるということだ。しかしそれは必ずしも金持ちになるということではなく、普通の生活ができるだけの収入を安心して得られるようになるということだ。世帯年収が600万円以上であれば幸福の度合いに影響はほとんどないという。もちろん、そんなのは大手企業でサラリーマンをやっている方がいいに決まっているが、1番めと3番めの理由から自分にとってはサラリーマンを続けるデメリットのほうが大きいのだ。

三つ目は自己実現だ。自分の夢は小学校の頃から「社長になること」だ。これまでの人生を通じて曲がりなりにも夢の実現に向けて努力してきたつもりだ。去年はMBAも修了し、ここまででやれることはやってきた。自分で作り上げた会社でビジネスモデルを確立し、事業を通じて一人でも多くの人を幸せにすることが僕の人生の目標だ。自分のありたい姿に向かって邁進することが、自分の幸せを定義づけると確信している。だからこそ、僕は今年独立するのだ。
子供が生まれると、生活が子供中心になるとは聞いていたが、それが想像以上だと実感している。

うちの子供はまだ1ヶ月も経っていないが、既にやることはきりがない。1~2時間おきにおむつ交換か授乳が必要だし、どちらでもなければおとなしくなるまであやしていないといけない。そうこうしているうちに1日が終わってしまう。

父母の両方でやっていても二人とも忙殺されるのだから、父親が子育てに参加しなければ母親にとっての重荷ははかり知れない。たまに休みでも取れるならいいが、子供は休みを取らせてはくれない。自分だったら気が滅入ってしまうだろう。

そんな状況で、仕事を言い訳にして子育てに消極的な父親がいい親になれるわけがない。目の前の家族さえ幸せにできない人間にいい仕事ができるわけがない。

そもそも、父親が子育てに消極的になったのはサラリーマンが一般的になってからのことであって、江戸時代は積極的に関わっていたという。当時の育児書もほとんどが男性向けだ。もう高度経済成長時代ではないのだから、家庭のあり方も変わっていくべきだ。


巷では、女性が働きに出るために保育施設を増やそうと言っているが、見方を変えれば、この大変でかつ自分の子供にとって重要な仕事を、自分の都合で他人に任せようとしているだけではないか。そんな家が幸せなのだろうか。

確かに、働きに出ないといけない経済的事情がある家もあるだろう。一方で、今ニュースで語られているのは、経済的な余裕はあるけれども、キャリアを失いたくない女性が働くためにと言う文脈が多い。僕は、子供を犠牲にしてまで得るキャリアって何だと思うし、子供を育ててからでも得られるキャリアがあっていいと思う。子育ては間違いなく人間を成長させる。

政府がやるべきことは、女性を無理に働かせることではなく、父親も含めてじっくりと子育てができる家庭を増やすことではないだろうか。経済的には子供がいる家庭への金銭的優遇を増やし、キャリア的には子育て期間がマイナスにならない企業・社会の仕組みを作ることだ。「1億総活躍」が全て「労働」に向けたものである必要はないはずだ。

子育ては間違いなく両親を成長させ、その子供は必ず将来日本を発展させる。それをプラスに捉えられる社会の仕組みが必要だ。
ビューティ・コンテストで昼も夜もなく、平日も休日もなく働いた。こんなに働いたのは1年半ぶりだ。

ずっと働いてみて思ったことは、「後にも先にもこんなに働きたくない」ということだ。しかしそれ以上に気づいてしまったのが、ビューティ・コンテストとは関係のない周りの人も相当に働いているということだ。

僕が忙しいのは1年に1回くらいで、普段は余裕を持って過ごせているが、一部の人はこれを年中続けているようだ。彼らは一体何のために働いているのか。何かに怯えているようにも見える。上司からの人事評価というのもあるだろうが、それ以上に自己顕示、自己保身のためのような気がする。

そんな折に僕にも子供が生まれた。何ともかわいいくて、世話をしている時は他のことは後まわしになる。

仕事ばかりしていると、子供に会う時間も短くなってしまう。遅くまで働くことは、仕事で成果を残すために必要なのかもしれないが、それって幸せなのか。僕はそうは思わない。

子供が生まれて、これまで僕が独立することに多少なり不安を抱いていた様子だった妻が、ついに子供のために「早く辞めろ」とまで言ってきた。自分、そして家族の幸せのためにはこれが真実のような気がする。
著者のハワード・マークスは逆張りをモットーとするオークツリー・キャピタル・マネジメントの創業者である。この本には、彼の投資哲学がまとめられている。いずれも筋が通っていて、何度でも読み返したい内容だ。

主張されている投資の原則は、ベンジャミン・グレアムの考え方と一致している。金融資産の本質的な価値を見極め、価値と価格の差である「安全域」に投資するというものである。この考え方自体はグレアムの「証券分析」にも詳細に書かれていることだが、この本ではその実践について近年の金融市場における経験を交えて描かれていることである。

彼は市場は振り子のようなものであると言っている。市場が「効率的」であれば、価格は本質的な価値のところで止まるはずだが、人の心理の影響でそうはならない。市場が好調な時は、(実際はそんなことはあり得ないのだが)もっと上がるという楽観論が支配的になり、やがてそれがバブルを生む。逆に、2008年の金融危機のような時には、市場は過度に悲観的になり、本質的な価値を大きく下回った価格がついてしまう。後者のような時に勇気を持って投資できる人が大きなリターンを得るというわけだ。

将来を予測することはできないとも言っている。実際エコノミストやアナリストの予想はことごとく外れるし、当たったとしても1回限りでは何の意味もない。将来のことは短期的にはランダムなのだ。したがって、将来を予測するのではなく、今市場が振り子のどの位置にいるかを確認することが思慮深い投資家には求められているのである。

リスクについての言及も興味深い。人はリスク回避的な性質が過去も、そして未来もあるわけだから、リスクを取る者にはそれに見合った報酬が与えられる(リスクプレミアム)。ただし、市場が強気になっていてリターンを上げようとするばかりによりリスクの高い投資を行うとリスクプレミアムが縮小し、やがて投機になってしまう。

リスクを取っていれば、いい時はリターンが高くなるのは当然である。しかし、当然のことながら、悪い時は市場よりもさらに大きな損失を被る。悪い時の損失が大きく、取り返しのつかないことになってしまったら元も子もない。いい時に成果を上げた人は、往々にして「まぐれ」であることが多い。市場が悪い時にこそ、投資家の真価が問われるのである。

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この本に書かれていたことは、自分が考えている投資手法とほぼ完全に一致する。リターンは価値と価格の差によってもたらされ、価格は投資家の心理によって揺れ動く。つまり、(1)本質的な価値を知り、(2)価格が価値を下回っているかどうかを見極め、(3)価格がなぜそうなっているか投資家の心理を考えることが長期投資の鉄則だと言うことだ。

投資家の心理を読んでリターンを上げることは「逆張り投資」に見える。しかし、買っている人がいれば反対側には売っている人がいるわけだから、周りと同じことをやっていても儲かるわけがない。周りと違うことをしようとすると、結果的に「逆張り投資」になるのである。

この投資手法で求められるのは、周りに流されることなく、自分が正しいと信じることができる「強い心」である。投資で最後に必要なのは心理だからこそ、哲学が必要なのだ。

投資で一番大切な20の教え―賢い投資家になるための隠れた常識/日本経済新聞出版社

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投資助言業の申請に関して行政書士と話をした。スムーズに行けば、来年1月半ば頃には本申請に移れるとのこと。そのタイミングで退職することになる。

自分は目下ビューティーコンテストの真っ最中だ。毎日遅くまであーでもないこーでもないとやっているが、もっと生産的なことはないものかと思う。

久しぶりに遅くまで会社にいるようになって周りの様子を見ると、特に差し迫った状況じゃなくても遅くまでやっている人があまりに多いことに気がついた。いつも遅くまでやっているから感覚が麻痺しているんだと思う。効率も決してよくないだろう。

いつも遅くまでやっていると、自分の時間なんかとれっこない。よほどの仕事好きならいいが、そうでない人は何を目指してやっているのだろうか。

僕はそうなりたくないから、自分がやりたいことで食っていくことに決めた。だからこそ、今やっている仕事はなかなかモチベーションが上がらない。でも、辞める前なんてこんなもんだろうと思うことにする。

最終的にやりたいことは、幸せな人生を送ることだ。そのためには自分が身を捧げられるものを仕事にし、大好きな家族・友人との時間を大切にすることだ。それと反するものを無理に続ける義理はない。人生は短いのだ。