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ケータイが上位に来る


テレビ、携帯電話、PC 大事な順番
ブログネタ:テレビ、携帯電話、PC 大事な順番 参加中

私は携帯→PC→テレビ


パソコンとテレビは同率、ほんとはどっちでもいい。
ケータイがなかったら困る程にはパソコンもテレビも困らない。
新しいケータイを買いたかったのだが、どうも欲しい意欲をわかせるものがない。
今使ってるケータイが使いやすいとは思わない。
今ブログをもっぱらケータイで書いてるから、
それが出来なくなるのが一番困る。
考えてみるとパソコンにしろテレビにしろ、
それは別に私専用と言うわけではない。
基本的に誰が使ったっていいはずだが、
ケータイはある程度個人認証がきくから、人に貸したりする事が出来ない。
その意味でもパソコンやテレビよりもケータイの紛失は深刻で、ゆえに上位に来る。
あとはどっちでもいい

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テレビ、携帯電話、PC 大事な順番 ・テレビ→携帯→PC
・テレビ→PC→携帯
・携帯→テレビ→PC
・携帯→PC→テレビ
・PC→テレビ→携帯
・PC→携帯→テレビ

駅に着いたのを見計らって

ケータイのアンテナが3つ立ったのを見計らって、
駅で停車中を狙って確定ボタンを押す。
この混雑した電車の中で一つでも何か自分のブログにほり込むための手段。何もそこまでせんでも。
明らかに時間が盗みとられている感覚がある。
このところろくに休日も休めていない。明日も微妙なところではある。
そのうちぶっ倒れるんじゃないかと思う。
そうなっても本人の健康管理が出来ていなかった事とされる。
何か日常が異常過ぎて、悲惨さに対する感覚マヒしている。
やればやるだけドロ沼にはまっていくだけの無限回帰。
書いててうんざりするので一旦中断

言葉によらない導き

霊がいると言う前提で。
姿が見えたり言葉をかわしたりした人と言うのもよく聞きます。
虫の知らせみたいなものもあるらしい。
そんな風にはっきりとした声が聞こえたらいいのですが、
私はそんな霊感みたいなものはない。
ただ言葉によらない、日頃の体験上、導かれたと思う事がある。
例えば本屋とかでたまたま見かけて気になった本を広げて
そこのページにメッセージが載っていたりする。
言葉による意思伝達が出来ない時、
霊の方にしてみればどうやって相手にそれを伝えようかと思案するかも知れない。
人の口に伝言をはさんでみたり
いかにも本人が思い付いた事にしたり、
偶然街の中で見かけるものに予定調和を織り込んだり
そんなものいくらでも疑おうと思えば疑えるし、
そんなものないと思うのも可能だし普通人はそう考えるが
たまに出会う共時性でふとそれを思い出してみたりする。
あくまでも霊がいると言う前提の話。

そこにないものにおびえる心

たまに思い出し泣きをしたりする。
まだ起こってもいない事を先に想像して、勝手に不安がったりする。
他人から見たらそこに何もないのに、勝手に泣いたり落ち込んでたりするように見える。
本人にしたらそれは確かにあること、過去の記憶も未来の妄想も、でもそれはどこにあるのかと問われれば、
せいぜいそれは自分の頭を指差して言うしかない。
つまりそれはみなこの中にあるはず。
人からしたらないに等しい事で一喜一憂するなんて馬鹿らしい、と思うのだが、
それでも私にしたらそうしたものは、目に見えているものと同じ確度で存在してみえる。
でも試してみたのだが、そう言った思い煩いのある時に、自分に言い聞かせてみる、例えばこんな感じ、
「一体それはどこにある?それがある場所を指差せるか、人にほれこれだと指し示せるか。
無理だろ、なぜならそれはどこにもないんだから。
今ないものに対しておびえたり気にしたりするのっておかしくないか?」
時々そうした方法で、一人で堂々巡りして思い悩んでる時、
無事に帰還する事が出来たりした。
そんなたわいのないような人生訓、なぜか聖書には意外と少ないような気がしないでもない。

デスメタルシティについて

しばらく前はこっていて4巻までは読んでいた。
どこか宗教の誕生のプロセスを見るようで面白かった。
ただの凡人みたいな人が知らぬ間に神同然に崇め奉られていくのは、人の勝手な思い込みと、
意味のない偶然の重なりあい、これが重要。
人のうわさが伝わるたびにだんだんとおおげさなものとなっていく。
どこか福音書の移り変わりのプロセスを見るみたいな所がある。
また奇跡にしても毎度起こらずとも、たまたま一回だけ
かなりありえないような出来事が偶然起これば、
毎回奇跡が必ず起こってたかのように伝わる。
死んだはずの人が生き返っただの、目が見えなかった人が見えるようになっただの。
それは本当に偶然起こったのかも知れない。
その裏にはぼうだいな数の失敗の記録も、闇に葬られたんだろう。
あと悪魔について、あの主人公みたいな、一見悪魔じゃなさそうな善人面の者に、
あえて悪魔が憑依したりするのかも知れない。
いくら人が自分自身を悪魔の様に振る舞ってみても、
本物の悪魔の邪悪さにはかなわない。
そんな聖書にあるみたいな、分かりやすい悪魔ばかりいて
たまるか。
おっと。