THOUSAND WINDS -222ページ目

今の地震でまた眠れなくなった

たまに思う
果たして私なんかに詩が書けるのか
そもそもこれは詩なのか
小説書いてもどこか
小説ぽくなく見える
日記書いたとしても
全部同じに見える


さっき思い付いた
私の場合アイデアは外から
「書け!」
と命じて来るから
拒む事が許されない
しばし拒んだにしろ
いつしか書いてしまう


霊的引きこもり
こんな感じは受けた事がないか
体が熱っぽくて体温計ったら
39℃位あって体が寒くて
プルプル震えてるんだが
中の自分は意外と落ち着き払ってて
何か自分の体の事なのに
他人事みたいに感じたりとか
何か階段から落ちて
かなりダメージ受けていて
腕が上がらず、こりゃ骨折れてるなと
大変なんだがどう見ても
でもどこか醒めていて
自分事に見えない事とか
体の中に引きこもってる
ほんとの自分て一体誰なんだろう
まあ幽体離脱なんて
起こり得ないんだろうが
時おり夢の中じゃ
どうよ?
って思ってしまう
時おり夢の中じゃ
自由に空飛んでたりするし
あの重力から解放されたような
気分は何だろうか
霊的引きこもり
おんもにでるのがこわい
一旦出てしまえば
二度と元に戻れなくなるんじゃないかって
でも夢の中じゃ・・・

今日と言う日の始まりに

こわいからやめて欲しい
コンビニ袋がカサカサ言ってた
暗闇の中で
湿度の変化だろうと思うけど
何もない部屋で
深夜イレギュラーな音は
して欲しくない
バキッて言うそのラップ音とか
誰かがボソボソつぶやいてる小言も
邪霊の仕業だと思うんだが
どうかやめて欲しい
怖いから
眠れなくなるから
天井でさっきからぼんやりと
こっちを見てる風な顔が
張り付いているんだが
そっとしといて欲しい
私は意外と人目を気にするから
人ではなさそうだが
それはそれでかえって
怖いから
気になって
眠れねえんだよっおらおら!
\(`O´θ/キック!

(ここはゴーストハウスか?)

当面詩はブログに書く

ゲドシールド
アイの物語に出て来る言葉
人は先入見なくしては
何も物が見えない
聖書一つにしても
それぞれ自分の好きなような
解釈で満ちあふれる
時にそれは否定的に
扱われもする
あら探しをすれば
常に矛盾ばかり気になる
いい所も一杯あるのに
残念ながら見えなくされてしまってる
人から批評されても
初めから悪く取る気でいれば
それは常に否定的にしか
受け取れなくなる
生きて来た分だけ
守るところのものが増える
ゲドシールドと言う言葉
その小説だけの単語なのか
一般性があるかは知らない
私が詩を書くとしたら
歌を歌う時のように
何も歌詞について想わずに(?)
詠えたらなと

昨日の夜に撮った

いつまでも続ける気-091031_1947~01.jpg
いつまでも続ける気-091031_1948~01.jpg
この古いケータイの隠れた能力みたいな。
月がハレーション起こしてますが、
ぶれてるような感じがしない。
画像っ気のないブログでしたが
今後は写真日記なんかも。

手嶌葵さんはどこへ行った

ゲド戦記の主題歌を歌っていた人。
映画の方は見に行かなかった。
ただあの歌だけが耳に残っていた。
最初は試聴だけで耳コピしてフルートで吹いてみた。
そのうちサントラ盤を買い、一通り聞いてしまったら
何だか急にさめてしまった。
こないだじゃもうぽにょとか言う訳分からん歌の方がもてはやされて、
すっかり手嶌葵さんも忘れ去られていたように思えた。
確かにあの歌には不思議なものを感じる。
先ほど検索してみるとまだ地道に活動なさっててよかった。
新アルバムとかから曲を聞いた、何か外国の英語の歌、どこかもう
手嶌葵さんではないような気がした。
これでもしがない歌歌いのはしくれな物で、歌う人にはこだわりがある。
ゲド戦記で聞いたあの歌声は何だったのだろうか。
私の声も初めて今の教会に来た時から変わった。
夕拝にアポなしでいきなり飛び入り参加して、聞きなれない歌を歌った。
今の教会は夕拝から始まった。
どこかユダヤ人の一日の感覚に似てる、彼らは砂漠の民、
夜が巡って来るのが一日の始まり。
6年が知らぬ間に過ぎ今日また久しぶりのはじまりの夕拝へ