THOUSAND WINDS -221ページ目

「じゃあまたね」連作

「じゃあまたね」いつ会えるか分からない遠隔交際、新幹線のホームにて別れを惜しむカップルの姿



「じゃあまたね」再び会えるか分からない遠隔交際、NASA航空宇宙センターのスペースシャトル発射場にて別れを惜しむ、宇宙飛行士とその恋人の姿



「じゃあまたね」二度ともう会う事もない遠隔交際、裏の空き地に着陸したUFOとそれを囲む自衛隊の戦車、その中央で別れを惜しむ異星人の少女と地球人の少年の姿



「じゃあまたね」時を越えた遠隔交際、未来から来た恋人に逢う為、コールドスリープを志願した男、途中でタイムマシンが壊れてその後の人生を一人で生きた女性、次に会うのは50年後、めでたく仲良く老後を迎えた二人の姿。

これまでぐるっぽで上げて来た私の一行詩

この限られた世界へまっすぐ割り込んで行く私の行く末をルーンで占うとカノ、それは灯り、見えるのは手元の光だけ・・・


詩を書くと私の中から憂鬱なことばが、抜けていくように思える。


新たな仲間、それは新しい、始まり。


祈れども叶わぬ日にこそ神が我の近くにまします


闇の中にいるから、光が解る


隣人と言うのは、つまるところ自分自身の事だ。


愛すると言う事は、それを大事に手放さない事ではなくて、手放して自由にしてあげる事だ。


言葉が神などではない、言葉が神を創ったのだ。


フィクションは、時としてリアル以上の何かだ、それが絵空事であっても、体験に違いはない


私の不幸が皆に写っている、人の幸福は私には否定される。


かつて自分の真名を知ろうとしたが、実は名前そのものがなかった。


私の中にある毒素を出す事、それが詩を書く理由


この所の不幸の連鎖の、理由が見つからず、根拠なく誰かからの呪いを想定してしまうが、誰かからすれば、私こそが呪いそのものだったと。


反応のない世界に暮らしていたのは、ただの幻想、世界は相互作用の綾取り


自分の名前は人から区別される為にだけあり、本当は何者でもない


死はただ目覚めないだけの眠りのはず


事実は現実より奇なり


雨が降るならどしゃ降りに、晴れるならカンカン照りに、何か生ぬるい昼下がり


ふと我に帰ると、過去は狂気のどつぼ・・・


アンテナ三本立ってるのに、つながらない寂しさよ


ボーカロイドは想った、いつかは自分の好きな歌を歌おうと、それが出来ない事を知りつつ


言葉が世界を造っている、その逆はない。


心が痛むのも、生きている証し


デート中ばったりもう一人の彼女と出くわし、女の子同士打ち解けたかと思いきや、私を捨て置いて二人とも行ってしまった・・・


ひまな時は不幸になる事を恐れ、忙しい時はひまになる事を恐れ、不幸な時はひまになる事を願う


音なき声に、耳を傾けにけり


善も悪も、人の思い込みに過ぎない


同じ群れに集うる事の、歓びよ


せかいのはじまりはただひとつのことばから、「光在れ!」


目の見えない人に自分を触ってもらって自己紹介、「はじめまして、それが私です」


再び目が見えるようになる、人の喜びを、見捨てた聖書の訳に想う・・・

それは違うのかも知れない

いくつかWEB教会みたいなのがある。
いくつかは実在の教会が行っていたり、
全くバーチャルな教会だったり。
これまで教会へ行っていたが、何らかの理由で教会を辞めてしまった人、
教会へは行ってみたいけど、どことなく怖そうで、不安だから様子を見てる人、
なかなか時間がなくて日曜日に体が空かないような人、
そんな人の為にそんな架空の教会があると、
それは私にも分かる。
ただそうしたWEB上のサービスは、本当に教会としての機能を果たせるだろうか。
教会の代役を務められるだろうか。
私にはどうもそうは思えない。
と言うか
「実在する教会は、求められている教会の役目すら果たしていない」
と感じられる。
ある意味現実の教会の悪い所がこれらバーチャル教会の方には無くて、
ただやはり実際に顔と顔を付き合わせたり、
同じ場所で歌ったり、
あの一体感を感じるのには
程遠いのかなと思う。
だからとは言わないが
再び普通の教会に足を運べるきっかけを
作ってあげられるような事って、
こんなブログ上で出来ないものか。
いまだ実現せずではあるが

ほんの自己防衛みたいな感じ

私はあんまり教派みたいなのにこだわらないたち。
ペンテコステ派にも行ったし
クエーカーの集いにも参加した。
長く求道者として、カトリック教会へは行っていたが。
確かに当時はあえてプロテスタント教会へ
足を運ぶ気にならなかったわけだが。
それにいくつか教会回って感じたのは
どこかの掲示板みたいな程には
それぞれ信仰している違いが
感じられないので
後はただ礼拝のやり方の違い位で
どこでもキリスト教の歌は
重んじられていた。
だから彼は○○派だ、とか言う
区別なんかあえてしたくないわけで、
意図的にそれを際立たせて
戯れてるのは
どこかの掲示板の悪癖としか
言い様がない。
私はこう思う。

来たか

いつかはね

自分が外に出ていると

遠ざけていた距離が

近付き過ぎて

取り返しがつかなくなると

分かってたから

プラスとマイナスの関係

きっと混ざらない

そんなタイプの違う

人間

さてどうしたものか

争いは好まない

でもあらされても

困る

せっかくここまで

盛り上げて来たと言うのに

幸いか

不幸にして

それ私のものじゃなし

・・・

(放置だよね)