THOUSAND WINDS -167ページ目

もうどうでもいい(小説ver)

風呂に入ってる間にあれこれ妄想が入り込んで来て、
さあ書け、書くんだジョー!みたく頭の中が暴走間近になってて、
いい加減にしろと誰ともなしに頭の中でどなってみたり、
そしたら静かになったみたい。
創作意欲があるかどうかは別として、
ふとした時に勝手に頭の中に、お話が出来上がって行き、
書かざるを得なくなってしまうのはどうかなと。
ほんとはさっきのアホ話も、続ける気ナッシングなわけで、
次から次へとネタがわいて来てもらっても困る。
そればっかり書くわけにもいかない。
以前はその創作意欲とは別の、
思いつくままに書くに任せていたら、
とんでもない量のだらだらした連載物となってしまいました。
別に才能うんぬんじゃなくて、
ただ書くことがとめどなく思いつくような感じ。
でもいい加減自制しようかと考えていたりする。
前の死神さんの話にしても、途中でぷっつんしてるし、
何かその集中力と言うか、興味が持続しないと言うか、
今さら昔書き散らかしたやつの、続編が書けるかどうか。
だから小説家とかには向かないと思っている。
でも妄想力だけは負けてない気がする。ただ文章力が・・・
別にこのまんま何か大作でも書こうなどという野望は
持ち合わせていない。
ただ自粛しつつ、思い出した時にまた書き散らかしたどれかに
続編をつぎ足せたらなとは思う。
ほんとは私はここで詩を書きたいんだが、
どうしてこうなるかな。

負け惜しみじゃないけどな

今日オリンパスのE-420を久々に持ち出して、写して来ました。
いまだに使い方がよく分からない代物、何でこんなにややこしいねん。
幸いなことに手の小さい私にも、このちまちましたボディは手になじむ。
「チマヌマ」さんと名づけております、ええ。
最初はライブビュー主体で写していたのですが、
これがどうも日中日のあたるところだと
全く見えない。
しかもライブビューで露出を確認したのに、
いざ写した結果はどアンダーだったり。
結局光学ファインダーで写して、
結果がだめな場合に撮り直すという、
しちめんどうくさいことをしとりました。
おかげで後半精度があがっとります。
でも私てきにはやはりフィルムカメラが懐かしい。
デジカメじゃ何か撮ったような気がしない。
変な言い方すりゃ、「盗って来た」みたいな感じですかね。
目の前の光景をそのままぱくって持って帰って来た感じ。
どこかフィルムな写りとは違うみたいな。

あとですね、オリンパスも高級機、プロ用カメラとかがあるみたいで、
人気のニコン、キャノンでもプロスペックのものが売られていて、
それみなありがたそうに買って使っておられるみたいなんですが、
そんなのいるの?
少なくともオリンパスの高級機、うちとこのと解像度、画素は全く同じで、
レンズもEDレンズと言うぜいたくなもん使ってて、後はボディのスペックだけ。
そんなに普及機と高級機とで写り具合が違うの?
たとえ違ったにせよ、そこまで追求せんとあかん写真って一体。
まあ負け惜しみみたいなわけですが、
デジカメに関する限り、そんなに低価格機と高級機とで、
写りが違う風に見えない。
むしろその分ぜいたくにレンズをそろえた方がいいのでは。
でも最近コンパクトカメラでも10倍ズーム当たり前で、
そんなあれこれレンズを買う必要あるの?
最初から10倍ズームつけときゃいいんじゃないの?
そんな気もしなくない。
しかも最初から10倍ズームつけて、
家族写真しか写さないのなら、
コンパクトデジカメでいいんじゃないのと
ちょっと思ったり。
何が何でも一眼レフでなきゃならんのか。
少なくともオリンパスのPENとかだと、もはやペンタプリズムすらないし、
どこが一眼レフやねんて、
だからそれが負け惜しみ・・・

もうどうでもいい

私はよその教派のごたごたはよく知らないし、知りたくもある。
→知りたくもない、と思ったでしょう?
身内の事なら関心を持ち、他人とこなら、どうなったって構わないとは思わない。
外にいる時間が長かったから言わせてもらうが、
外の人にしたらカトリックだろうと、その中でより細かく分かれていようと、
プロテスタントだろうと、その中でより細かく分かれていようと、
何の関係もない。
大抵の無宗教の人間にしたら、
教会なんざ、あのものみやエホバとか、統一教会とか、
元旦に八坂神社石段下あたりで、メガホンで「悔い改めない者は地獄に落ちる」みたいなのを
がなってる連中と、
50歩100歩と思っている。
いくらうちらは正当派だと主張しても、
知らない人からすりゃそんなもんだ。
だから教派の違いうんぬんなんか、教会に行ってる者しか分からないし、
あえて言えばその事でいがみ合ってるのを見られれば、また
宗教やってる連中は×××だとか偏見持たれる。
だからと言って静かにしたら、とは思ってない。
悪魔が支配してるかどうか知らないが、
少なくともこの日本じゃ、
キリスト教は未だ肩身が狭いと言う現状がある。
だから少しでも偏見とか誤解が解かれればいいなと
思っているのだが

おもろない話でっせ

前の司祭に聞いたはずの言葉の覚え。
聖職者は「窓」であるべきだとか。
それを通してじかに信者さんが神と出会う為の、窓を提供するものだとか。
・・・えらい曇った窓やな、おっと。
窓と言うよりかは時たま、
教会によりそれは、
マジックミラーみたいに
なっていないか。
神様の御姿が反射してしまってこちらに届かない。
もしくはサングラスか
ステンドグラスみたいな、
余計なフィルターを通していないか。
あと凸レンズも困る。
光が集まり過ぎて、焼けてしまうではないか。
それと凹レンズとか、光が拡散し過ぎて、霊である神の存在がピンぼけてしまう。
とかく聖職者は難しい。
ティモテ書だったろうか、何か知ったような事を・・・



たまに思う。
私なんぞがここにキリスト教について何か書く意味ってあるのか。

弾薬庫4

どうせだからと、モデルガンの出て来る小説みたいなの、
書こうかと思った。
主人公はまた女の子で、ぶつはベレッタのM84(ダブルカラム)で、クルノ・クルセイドのマンガみたいな(あの中でアズマリアが萌え、どこかシンクロしてて、おっと)
「祓魔弾」を詰めて悪霊にたち向かうみたいな感じ。
不得意なくせに学園ものが好きなので、現役の高校生とかにする。
世間一般には認知されてない為、よくケーサツさんともめる。
学校の内外にはびこる悪霊を退治するのが彼女に課せられた指名。
魔女っ子アニメのお約束みたいな、動物キャラもつける。
ちなみに未定、アルパカは却下、小動物としては、黒いフェレットがお好き。
さらに苦手なラブコメものにするかは未定。
これまで違うブログに書いてた小説とは、全く接点を持たない予定、
こちらでちらっと書いた死神ものとも。
この毎度の下手な小説にて、
ここんとこのキリスト教系の悪魔払いトピの混迷としてる所から、
一歩抜け出せればよいのだが・・・