THOUSAND WINDS -129ページ目

どうせ酒の肴代

ここもカテゴリがあふれかえって、一体何のブログなんだろうかと思う。
どこかのプロバイダのように
一人で複数のブログ持てたら
少しは整理出来るのかも知れない。
主要なテーマがないわけでもない。
昔やってた音楽配信ブログ、前の置場所を借りて再開させた。
小説もほぼそれだけみたいなブログもこさえているから
そのうちまた移送するだろう。
ここ特有と言えるのはやはりわけの分からんよた話、
ここんとこネタが懐かしい昔話と化しつつある。
ブログネタと言うのも安直でいいのだが、
あれは目立つのが困る。
つい半年も前にはここはまだ無期限放置状態、目立つつもりはなかったのだが。
今でもそんな目立ちまくってる気はしないが、
ほうぼうでちょっかいだのかき回しだのやって全く
いてもいなくても同じ人ではなくなっているのだろうか。
ほんとは今のこれいつまで続くか一抹の心配を抱いていなくもない。
結局タイトルはどうした。

目的があってこそ

ブログをする目的または理由
そんなものがあったとして
私にそんなものあるのか
ただ何か書きたいだけ
もしくは電車の中の
ひまつぶしなのか
毎日書くのさえ
この所は少し
きびしくは
なりつつ
あるの
でし

もうねるぽ

スッタニパータとかダンマパダとか言う、原始仏教経典にあこがれる。
対抗出来るのはトマスの福音書位かな。
集会の書かシラの書あたりも近いか。
キリスト教て意外とこんなのないらしい。
何せパウロ神学みたいなのが優遇されているから。
教訓めいたのがあまり思い出せない。
箴言あたりも教会で朗読した覚えがない。
アグラファ、イエスの隠された言葉、トマスの福音書に多い。
何の事はない、弟子らはほとんどザルで、
仏教サイドみたいな優秀な弟子はいなかったらしい。
ヨハネあたりはかなり怪しいのだが、あれも長老ヨハネとかして別人みたいにするし、
百歳位まで長生きすりゃ、誰だって長老呼ばわり受けるさ、ええ。
だからか仏教信じてはいないが、
ああした読み物に目を通す時にうらやましくなる。
日本のお寺の仏教が恥ずかしく見える。
宗教のカテゴリにしたらどうかと言う疑問もないが、
初期仏教の香りの中に間違いなく
イエスの影をかいま見る事があるのが
とても不思議。
さて明日も早いから寝るか。
やはり寝転んでる時が一番アイデアがわくらしい。

たばこは味を選ぶか

マイルドセブン派って言う奴も減ったのだろうと思う。
洋モク派は確かに増えている気がする。
コンビニで洋モクの銘柄がかなり買えるようになったから。
私が吸っていた頃からしたら、やたらと怪しい商品名のタバコが増えている。
一体どこが違うのだろう。
人はタバコの味を見分けて買っているか。
かつてのマイルドセブン派は、それが一番てがたくどこでも
買えたから、切らさなくて安心だったから選んでた。
国産でどこでも買える銘柄はかつてはかなり少なかった。
今じゃみなどうしてるのか知らんが、
以前ほど気楽に買えんので、
コンビニとかでカート単位で、つまり6箱位のかたまりで
買いだめしておくのだろう。
だからタスポなんかなくても
コンビニで免許証で買えるから支障はないし、
かつてよりは銘柄だけは充実してる、どう区別されてるかは知らんが
これもいわゆるブランド志向なわけだ。
ラークとかマルボロとか言う銘柄は何となく格好よいものだから、
しんせいとかわかば?とかよりはハイカラに見えるものだから。
あえてハイライトとかショートピースとかを愛でるような人
おっさんくさいが
かえって格好いいような気がしなくもない。

誰でも撮れる

昔父と言い合ったこと。
風景写真の素晴らしいのを見ながら、
私は誰でもそこに行ければ同じようなものは撮れると主張したのだが、
父はがんとして引かなかった。
やはり同じようには撮れない。
フィルムカメラの時代ならそうだったかも知れないが、
これだけ高性能なデジカメが登場してくれば、
プロ並みの写真を撮る事に可能性がなくもない。
つまり動かない被写体を撮るのに、
デジカメであれこれ露出を変えたり、
プレビューで撮影結果をその場で見ながら、
何枚も撮りだめたら、
技術的なものでは、プロが行うのと変わらないできの
写真を作り得ると私は思う。
だったらもう風景写真家はいらないのかと言えばそうは思わない。
でも間違いなく
これまで大型カメラを使って風景写真なんかを撮っていた者は、
そのありがたみを失う事になるかも知れない。
これだけデジタル技術が進んでしまえば、
別にライカM9あたりでも風景写真撮れるに違いない。
コストが限りなく0に近く、
プロとアマの技術の差をうめてしまう。
だからプロはもっと技術を高めなきゃならないだろうし、
アマはこれまでプロの土壇場だったジャンルを
切り崩していかなくちゃならない