誰のために祈るのか。 | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

身近な人が亡くなると

見えないモノの存在を

ものすごく感じると

聞いたことがあるけど


ほんとだなぁって

実感してるところです。


父が入院して

家で療養しつつ

少しずつ弱っていって

命を終えた

ここ一年くらいで


いろんなことが

自分の中で

繋がったのだけど


父の介護に必死な

母の手伝いを兼ねて

実家に帰り

手伝うたびに


その手伝いは

もう最初から

わたしが

することになっていて


ご先祖様とか

見えない存在の方々が

わたしの体を使って

役割を果たさせているような


そんな感覚が

ずっとありました。


それを証拠に?

というわけでは無いけど


何かさせていただくたびに

父のことに関しては

何をするにも

ものすごく

タイミングがいいの。


見えない存在の方々は

直接手を下せないから

わたしを使うわけで


なので

せめて

タイミングを

わかりやすく

合わせてくれたのかなと

なんとなく感じる。


それとね。


父もまた

ご先祖様の手足となって

動いていた。


だから父も

「させられていた」ことも

あったのだろうし

それによって

ご先祖様の

いわゆるご加護というやつを

受けていたのかなと思う。


実家に滞在している間

父のことを

母とずっと話していたのだけど


父は

同居していた自分の母

(わたしにとっては祖母)の

面倒をよく見ていたし

とても優しかったようだし

常に心を寄せていた。


自分の母が

亡くなってからも


信心深い人でもあったから

ご先祖のお墓参りは

遠い場所でも

出来うる限り行っていたし

お経を暗誦して

唱えたりもしていた。


わたしは

それをごく普通のことと

思ってはいたのだけど、、


こうやって

タイミングよく

護られながら

役割を果たせていることを思うと


たぶん多少なりと

陰徳の貯金?が

あったのかなと。


別に

何の宗教を

信じているわけでもない。


けれど

見えない存在は

わたしの思っている以上に

わたしたちに影響を

及ぼしている。


それが見えてきたある日


実家の母と話していて


義母の実家は

見えない存在と

うまく

コンタクトが

取れていないのではないか、

ふと思った。


義母のことに関しては

ほんと

タイミングが良くない。。


良かれと思ってしたことが

空回りならまだいい方で

逆に裏目に出たりすることも

よくある。


義母は3人姉妹。

他にも弟はいたけど

もうこの世にはいない。


そこの家は 

三姉妹がそこの家の

最後の人たちなので

3年前くらいに

墓じまいをしてるらしいのだけど


その後に

どうにもタイミングが

よくないことが続いてる、

感じ。


もともと

義母のお姉さん(長女)のお家は

誰かが病氣だったり

なかなか大変そう、と

思ってはいたのだけど


墓じまい後は

お姉さん自身の認知症が

一氣に進んでいった。


お義母ざんの妹さんも

墓じまい後あたりに

体調を崩したし

旦那さんも

昨年脳梗塞で入院。


義母も

墓じまい後に

大きな手術をしてるし

今も精神的に落ち着かない。


たしかに

みんな高齢だから

どうしたって

いろいろあるだろうけど


別に比べることでもないけど

他に比較対象が無いから

うちの実家と比べると


やっぱりなんか

いろんなことが

スムーズではない。


墓じまいが

決して

悪いことではないだろうけど


どこかで何か

ボタンのかけ間違い

みたいなことが

起きてるのかな?


墓じまいした今

出来るかどうかは

わからないけど

義母の実家の方の

供養を何か

考えた方が良いのでは?


夫に話してみた。


普通 

こういう話って


まともに

受け入れてもらえないことが

多いかもだけど


夫なら

話通じるかなと思ったし

案の定耳を傾けてくれた。


義母の母と弟が

立て続けに亡くなってて

そろそろ33回忌だろうから

それに合わせて

何かやっても良いかも、とのこと。


それに

義母たち三姉妹の弟さんは

自分のお母さんより

早く亡くなってしまい

(いわゆる逆さの葬式というらしい)

病氣ではなくなったとは言え

それまでの生涯に

いろいろありすぎて

どうにもこの世に未練が

あったのではないかとのことで。


お参りを

してこなかったわけでは無いけど

何か障りのようなものが

あるのかもしれないと

夫は感じているようで。


ただ

直系でも無いのに

勝手にやってしまうのは

いかがなものかと

思ってるみたい。


とは言え。


直系の生き残りの代表は

義母のお姉さんだけど

今施設に入所してる。


でも夫は


おばちゃん(夫にとっては伯母)

昔のことは

覚えているようだから

もしおばちゃんが

弟さんとお母さんの

33回忌をやると言うなら

やってみても良い、と

思っているみたい。


見えない世界のことは

はかりようもないし

ご先祖様の祟り、とは

あまり思いたくないし

正直

ピンとも来てない。


でも

現実に生きている人が

過去に勝手に囚われていると

(無意識の領域ですけど)

祟りのようなことが

起こるのかもしれないし


だとすると

儀式をきちんと行って

生きている人の憂いを少しでも

軽減するしかないのかも。


誰のために祈るのか。



供養は

死者のためではなく

生きてる人のためにするもの、

という話を聞いたことがあるけど

まさにそうなのかなと思う。


なんにしろ

起きることは全て必然。


わたしたちが

どう在るのか

全て答えは

内側に用意されてるのだよね。