祖母の想いを空に放つことができました。 | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

2023年
あけました爆笑

今年も
よろしくお願い致します。

北海道の実家に帰ってきて
母と話していて
また自分について
新しく氣づきがありました。

わたしには
祖母がいました。

父の母なのですが
わたしが小4のときに
脳梗塞で亡くなりました。

わたしが生まれたときから
祖母とは同居していたので

祖母にとっては
初孫ではないけど
わたしを
ずいぶん
可愛がってくれたんです。

小4のときに
父の転勤で
父母とわたしと弟は転居。

家には祖母の他に
当時独身の叔母がいたので
そのまま
家に住んでもらっていたんですが

転居してすぐに
祖母が脳梗塞で倒れ
そのまま入院。
一年も経たないうちに
祖母は亡くなりました。

その祖母について
今まで
わたしも知らなかったことを
今回の帰省で聞きました。

病院に入ってすぐ
家族の同意なく
胃ろうにされたこと。

そして
病院中の都合で
手足も拘束されていたこと。

現在であれば
おそらく問題になるだろうけども
当時40年くらい前は
きっとそれが
当たり前だったんだろう。

でも
それを聞いて

わたしは
どうにも涙が
止まらなくなりました。

大好きな祖母だったから。

で、、、
いろいろ繋がったのです。

祖母が亡くなった後

なぜか強く
看護師になりたいと思ったこと。
人の役に立たねばと思ったこと。

看護師は
成績も良くなかったし
あっさり諦めましたが笑

なんで
あのときわたしが
人の役に立ちたいと
強く思ったのか

それは
祖母の想いを
わたしがキャッチしていたから
なのではないかと。

祖母の
助けてほしかった氣持ちや
きっと
無念も
やり残したことも
あったと思うんです。

まだ70代前半でしたから。

わたしはさらに
病院が嫌いで
できればかかりたくないと
思ってるけど

その病院嫌いも
病院に祖母を殺されたまでは
言い過ぎかもしれないけど
祖母が入院によって
死期が早まったと
無意識のうちに
キャッチしていたのかも。

祖母の死は
わたしの
人生の転機だったんだなぁ

しかも
もろに影響を受けているし
思ったより大きな
転機だったんだなぁって
あらためて思ったんです。

こんな大切なことを
母はなぜ
今まで
話してくれなかったのか
なんだけど

その当時は
病院の対応が
おかしなことだって
思ってなかったからかもしれない。

でも
その当時の
お祖母ちゃんの想いを
無念で悲しい氣持ちを
聞くことができてよかった。

たぶん
想いは時を超えて
まだ残り続けていて

わたしが
受け止める時期だったんだろうな

そう思います。

わたしが受け止めたら

お祖母ちゃんが
優しく微笑んで
そして消えていきました。

知ることができてよかった。

そういう意味では
非常にお正月らしい
お正月を過ごすことが
できたのかな。