忘れることは「悪いこと」? | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

今年のお盆は
義父の初盆で

夫の家族と(主に義母)
ずっと過ごしていました。

いつもは
夫のお盆休みに合わせて
どこか旅行に行くのが
例年の過ごし方でした。
お墓参りも
必ず行ってたけどね。

今年は旅行
行けないよなー
仕方ないよなーと
思っていたから
別に不満もなかったけど

お義母さんと
どっぷり過ごす時間は
正直しんどかったたぁ

それも
お盆前半の話で
お盆後半は
氣づきもたくさんあり
わりとスッキリしたけど爆笑

「わたし」が
またひとつ
明らかになったかな。

順を追って
振り返ってみることにします。

義母は
義父の死後あたりから
少しずつ
短期記憶が曖昧になってきて

今では軽度の
認知症じゃないかな?
(わたしは)思ってます。

で。

今回のお盆の前半

なんで
(お義母さんは)
こうなの?

腹が立った。
前半後半に分けてるのは
一度自宅に帰ったから。

人に対して腹を立てる

そんな自分を見るのは
久しぶりだったので
腹が立つまま
ちょっと俯瞰しつつ
自分にまかせてみました。

自分自身
認知症、というものへの
知識はある方だと思ってる。

社会福祉学科を卒業し
大学時代は
高齢者福祉が専門。

実習も行ったし
卒論も回想法について
がっつり学んで書いたし

全然活用してないけど
社会福祉士の資格を持っていて

認知症とは違うけど
特別支援学校で
自閉っ子ちゃんとも
長いこと関わっていたので

脳の障がいとされている方の
特徴などは
体感としてもわかる。

でも

あらためて

身内となると
また違う、
ということを
はじめて
体験させてもらった。

で。

わたしは
義母の何がそんなに
腹立たしいと
感じたかといえば

たとえば

◎冷蔵庫の中には
パンパンに
賞味期限切れの
出来合いのモノが
詰められてて
食べきれないお弁当の残りも
山と入ってる。
これは前からなんだけど
お盆前半は
特にひどかった。
(と、感じた)

◎自分で言ったことを
あっさり忘れる。
その日のことでも
忘れちゃう。

◎親戚の人の悪口を
何度も何度も繰り返し言う。

この日に限らず
わりと最近
義母はこんな感じなので

いつも
モヤっとはするけど
この日は特別に
腹立たしかったのよね。

知らずのうちに
モヤっとが
溜まってたのかも。

仮にも義母に対して
言い過ぎでしょって
自分でも思うくらいで

もうしばらくは
食糧を買わなくても
生活出来るって言ったのに
モノ買いすぎですよ!

とか

そこまで親戚に対して
悪口を言わなくても
いいんじゃない?

とか

書けないけど
あといろいろ。

自分でも意地悪?と感じ
お盆前半が終わり
自宅に帰ったときに
夫に心境をぶちまけた。

夫は
わたしが思っていたとおり

明らかに
義母に対して
わたしが言い過ぎ、
と感じていたことがわかった。

でも彼は
わたしを責めることはせず
わたしが
言い過ぎだと
自覚していたのもあったし
わたしの心情を
理解してくれたからだと思う。

あくまで
お義母さんに焦点を当て

あれこれ
お義母さんに対して
腹が立ったと
感じたとしても
母に対して
言い過ぎることは
母を混乱させるだけで
認知症を
より進ませることに
なると思う。

自分の見解を話してくれた。

それは
わたしもそう思うの。

頭では
めちゃめちゃ
よくわかってる‼️

でも
今わたしはこう思ってー!

なんてことを話す中で
泣けてきた。

こんなことは
なかなか久しぶり。

でも泣きながら
夫とじっくりと話す中で
次第にスッキリとし

お義母さんに対して
言いすぎずに
やっていけるかな、と
思えるようになった。

事実
お盆後半は
お義母さんに対して
スッキリした氣持ちで
関わることができました。

ココロの学びを始めた頃は

人に対して
ネガティブな感情を抱き
それを表現することは
よくないことだと

自分を責めることが
多かったけど

自分の身勝手さや
人間ぽいところを
認めてからは

人に対して
素直に腹を立ててもいいと
思えるようになった。

自分の言いたいことを
伝えてもいいと
思えるようになった。

でも。

腹を立てたまま
そのままでは
いいと思ってはいなくて
必ず自分を振り返る。

なぜ腹が立つのか
それがわたしが
生まれてきた意味と繋がる
大事なことだと
思ってるから。

そして

その答えは
自分の中にあり
外側には答えは無いと
それだけは実感してるので。

今回も
自分を振り返り
観察してみた。

他でも無い
わたし自身の中に

「忘れることは悪いこと」
「忘れることは
誰かに迷惑をかけるから
しちゃいけない」
という
思い込みがあったことに
氣がついた。

だから
お義母さんを見ると
腹が立って仕方がない、
ということに
繋がってるって氣付いた。

ほんと人は鏡。

この氣づきを
加速させてくれたのが
自分の行動なのだけど

このお盆中に

わたしも「忘れる」を
数回やらかしてるの。

◎お金をおろそうとして
お財布の中に
カードが無いことに氣づき
慌てる

◎カバンの中に
いつもある鍵がないことに
氣がつき慌てる

慌てたのは
外に出かけたときで

結局カードも鍵も
家の中に
あったのだけども

義母のことを
言えないくらい
自分も「忘れてる」わけ。

すべて完璧なタイミングで
やらかしてる自分が
すごいなー天才爆笑
って思った。

忘れる、ことに対しての
思い込みが
自分の中にある、って
氣づいただけで
まだ「ある」のだけど

この思い込みから
自由になれば
また楽になるのかなーって思う。

もともと
お義母さんは
こんなに
忘れる人ではなかった。

でも
義父の死や
他にもいろいろ
変化が大きすぎて
変わってしまった。

義母の変化に
ついていけないのも
あるんだよね。

それにしても
このお盆は
夫とじっくりゆっくり
話せてよかった。

こんなじっくり
話すことなんて

何年ぶり?
というくらいだった。

この機会を
頂けたことだけでも
良かったのかなぁって思う。