人は人の心を救えるか? | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

わたしは

人は誰かの心を救える

とは思っていません。

主語をわたしに置き換えると

わたしは
誰かの心を救える


思っていないということ。

これはちなみに
自己否定とかじゃないです。

ちなみついでに
わたしは
セラピストを名乗っている
人間なんですが

セラピストとしても
わたし個人としても

わたしは
誰かの心を救えると
思っていない。

最近
セラピストとか
わたし個人とか
肩書を
分けてないですけど

だから
心を救わないセラピストです笑
全然説得力ないね口笛

さすがにこれだと

あまりにわたしが
何を伝えたいのか
意味不明なので
補足すると

わたしは
人の心を救うって
どこか
エゴイスティックというか
上からだなという
イメージがあるのです。

そして実際。

人の心を救えると
思っていた頃のわたしは
エゴイスティックで
上からだったのです。

福祉の学びをし
大学時代は
特別養護老人ホームに
実習に行き
就職してからは
特別支援学校の教員として働き
どっちも特別がついてる!笑

それからは
セラピストとして
おうちでたまに仕事してる。

人とかかわるお仕事を
ずっと選んで来ていたのは

ずっと
誰かの心を
救えると思っていたから。

でも
実際は救えないんだ
というのを
自分が体感し

それが根深く残って
後味の悪さを感じていた。

あとから
気づいたけど

わたしはずっと

(わたしが思うとおりに)
誰かを救いたい

と思い
仕事していたわけ。

たとえばねぇ

身近に
笑顔になれない人がいたら
笑顔にしたいじゃないですか。

でも
笑顔になれない人を
こちらが力づくで
コントロールして
笑顔にすることは
できないのよ。

笑顔になるかならないかは
その人が決めること。

そんなことも
分からずに

わたしの思うように
イメージするように
誰かが救われると
満足するけど

わたしの思い通りに
イメージしたとおりに
ならない場合は
満足出来ないっていうのを
繰り返していたわけ。

もう
エゴまみれ!!!笑

さらに
コントロールと
超傲慢のコラボ笑

恥ずかしいです。

何様って感じだよね。

そんな頃のわたしを
紐解いていくと

わたしは
誰かの特別になりたかった。

のですよ。

特別養護老人ホーム
特別支援学校
無意識に選んでたのが

今思えば
すでに
フラグが立っていたのだね。

フラグを回収した
今となっては

自分が自分の特別に
なればいいし
なることができる爆笑

と思っているのだ。

結論。

自分の心を
救うことができるのは
自分だけです!

でもね。

人が人の存在により

勝手に救われる

のはあると思うよ爆笑

そういう意味では
人は人を救えると
言っていいと思うけど

あくまで
救われたと感じるのは
本人だからね。

わたしも今
超絶不調な夫と
暮らしています。
義父を亡くし
義母もこの前
検査中に
重篤なアレルギー反応が出て
あわやということになり
助かりましたけどね。

わたしに
夫を救うことができたらと
切に思うけれど

できないんだよなというのも
毎日感じてる。

だからわたしは

一緒に居て
心の変化を見守る。

夫の心が
救われるよう
祈りながら生きる。

そういうスタンスで
いようと思う。