自然とともに、生命としての「からだ」で生きよう♡ | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

朝恒例のお散歩に行ったら
暑い中にも
秋の気配を感じる。

洗濯物を干していても
いつもは聞こえてくる
蝉の声がもうしなくて
余計に秋感。
ま、暑いけどね(^◇^;)

自然って虹

地球って地球

ちゃんとわかっている。

こんなに人間が
好き放題やってきたにも
かかわらず

ちゃんと時期が来たら
「そうなる」ように
できている。

都会にいても
自然とは
つながっていることを
びしびしと感じました。

この自然の働きというのは
わたしたち
人間という生命体にも
同じく言えるのにも
かかわらず

わたしたち人間って
「しがみついている」
よねぇ。

思い込みや感情に。
物質的なものに。
人とのつながりに。

でもね
生命体としての人間は
(からだは)
この自然界のものと
同じように
瞬間瞬間
変わっていっているのだよね。

からだはどんどん
変わっていこうとするのに
心がしがみついて
変わらない!ってやってると

どんどん
心と体のバランスを
崩すのはそのため。

それが不調であり
病気なんだろうな。

だから私たちは

からだと同じように
変化していく必要が
あるのかなと
最近思うようになったよ。


わたしはこの前も
自分が所属していた
グループをやめる
ということをしたけど

昔に比べて
「しがみつく」が
どんどん
やめていけるように
なっているという感覚がある。

人との付き合いも

友達から
何かに誘われたら
応えなきゃって
思っていたけど
今はそれも
なくなってきたし

人に何か質問を
投げかけたりした時
それに対して
もし返答が返ってこなくても
今はタイミングではないのかな?
としばらく忘れてたり。

いい意味で
固執しなくなってきたと思う。

それは
からだが瞬間瞬間
変わっていくのに対して

自分の心も
呼応しているみたい。


昨日から
引き出しの片付けに
ハマっているのだけど

大阪に越してきてから
7年間一回も日の目を
見なかったものや
昔好きだったけど
今はいらないもの
人から頂いたものの
使わなかったものなど

すべてを捨ててみた。

ものには
想いがこもっているから
捨てられないのだと
聞いたことがあるけれど

たとえ良い思い出が
残っていたとしても
「今要らない」ものは
どんどん捨てられるように
なっていっている自分が
面白いなと思った。

たとえばね

自分が嫌な思いが
残っているものって
見たくないと
思ってるから
躊躇なく捨てられるのは
理解できる
と思うのだけど

自分の過去の栄光というか
楽しかった素敵な思い出が
残っているものって
もう使わなかったとしても
捨てるのに
躊躇したりしませんか?

でもわたしは

嫌な思い出だろうが
楽しい思い出だろうが
今必要なかったら
捨てられる。

思いは「今」
必要なかったら
ただ重いだけ。
想い=重い

想いに
いい悪いもないって
こういうことなのかもと
なんか腑に落ちた。

ラベルづけしてた日々よ
さようならバイバイ

わたしたちは
生まれた瞬間から
死の方向に向かっている。

死ぬときは
何も持っていけない。

どんどん
不要なものは手放して
自然と同化して
生きていきたいよね。