令和3年11月19日(金) (大谷選手  MVP決定の日)

 

献血50回を達成 

休憩室で自撮り。献血後、珈琲を飲んでホッとしているところです。

奥に見えるのが採血の部屋。

そこは撮影禁止です。機器に影響が出るためでしょうか?

 

 

日赤から記念の品「若狭塗箸」をいただきました。

 

新型コロナの影響で、献血者は依然少ない状況が続いているようです。

 


 

 

1月4日(月)から、『一日二食』を始めました。

 

食事は昼食と夕食の2回です。

午前中は空腹のままで活動し、昼食は軽い目にとって、夕食をたっぷり食べて、食後はゆっくり休むようにします。

夜間に消化・吸収して体に栄養分を蓄え、蓄えた栄養分をエネルギーにして日中の活動をする体の使い方です。

夕食後、翌日の昼食までの約16時間はモノを食べません。しかし、水分はしっかりと取り、水以外にお茶かブラックコーヒーだけです。

多くの方がそうだと思うのですが、三度の食事が当たり前。私もこれまで、朝食抜きはよほどのことがない限りありませんでした。

 

では、何故『一日二食』を始めたのかというと・・・。

 

「オートファジー」をご存じでしょうか。

これは空腹で得られる最大のメリットではないかと思うのです。 

大隅良典氏が「オートファジー」の研究でノーベル賞を受賞されたことで知られています。

ギリシャ語でオートは「自分」、ファジーは「食べる」という意味。 体の古くなったたんぱく質を分解、再利用して新しい細胞に作り替える仕組みです。

体の不要物、老廃物を掃除してくれる、

細胞や組織の働きが活性化し、若々しい体を作る、

体内に侵入した病原菌を分解し、きれいにしてくれる、

等々のメリットがあるそうです。

ただし、オートファジーが活発になるための条件があって、

最後にモノを食べてから16時間以上経過しなければ活発にならない

のだそうです。

『一日二食』でオートファジーを活性化させることができることになります。

私の体にどんな変化がおきるのだろうか。

好奇心に駆られて、やってみることにしました。

 

ほんの少しの体験と数冊の本で勉強したことをもとに、予想できる疑問に答える形で、Q&Aにまとめてみました。

 

Q 朝食を抜くと、空腹が気になって活動できないのではないか?

いきなり朝食を抜くと、お腹が減ってフラフラします。

朝食を抜くまでに助走の期間を作って、習慣にしていきました。

まず、朝食の御飯量を約半分にし、次に味噌汁と納豆だけにし、朝食ナシに近づけます。

また、途中から土曜日だけ、朝食を抜くことも始めました。

そろそろ、朝食を抜いても大丈夫と思える頃があります。空腹感はそんなに気にならなくなりました。

 

Q 『一日二食』を始めたのは何故?

きっかけとなったのがこの本でした。

「空腹こそ最強のクスリ」青木厚著 2019.2

著者の青木医師は、平日は『二食(昼と夜)』で、週末は『一食(夜)』だそうです。

著書の中で、

「日に三度の食事は食べすぎになりやすく、胃腸の休まる時間がない。これが体調を崩す主な理由だ」

と主張されています。

我々は食べ物を食べたら終わりですが、消化器官は、その後消化・吸収の仕事が待っています。夜の間ずっと働き続け、やっとそれが終わるのは翌日の朝です。

朝食を摂ると、もう24時間働きっぱなしです。

『一日二食』は、夕食から翌日の正午までの約16時間は、固形物は食べません。

消化器官を休憩させる時間帯を作ることができます。

この時間帯というのは、体の老廃物を処理する時間とほぼ重なります。

血液は、体中を巡っていらないものを集めて回り、腎臓で処理をして老廃物を外に出します。

腸に溜まった食べ粕は、便となって排泄されます。

栄養を取り入れることと同じぐらい、いらないものを外に出すことは大切な働きです。

朝食を抜くことで、体は排泄処理活動に全集中できるわけです。

 

Q 『一日二食』を始めて、変化はあったのか?

1月4日から開始。いきなり5日と6日にお通じがどっさり。その後、通常に戻りました。

腸を元気にし、たまった宿便を一掃するということを知識で知っていたのですが、これが「宿便」だったのかどうかは分かりません。

慣れると空腹感は、ほとんどありません。午前中、頭はすっきりしています。血液を胃腸に送る必要はなく、その分脳や筋肉に送られますから。

 

Q お腹が減って、活動できないのではないか?

「空腹感=エネルギー不足」ではありません。

空腹感と血糖値は連動しています。

血糖値とは、血液中のブドウ糖の量のことです。

血糖値が下がると、お腹が減ったと感じます。

さて、食事をすると血糖値が上ります。

血糖値は、その後一旦下がりますが、また上がります。

なぜか。

体はすぐに血液中のブドウ糖を取り込んで脂肪としてため込もうとします。

すると、血液中のブドウ糖量が減り血糖値が下がるので、また空腹感が起きます。

しかし、エネルギーは一番足りているときなのです。

我慢すれば蓄えた脂肪が再びブドウ糖になって血液中に戻ってきます。

すると、血糖値も戻って空腹感も解消されます。

これが上がり下がりの原因なのです。

 

Q 朝食を抜くと、午前中の活動のエネルギー不足にならないの?

人が活動するためのエネルギーを得る方法は二種類あります。

一つは食べ物のなかの炭水化物から得る方法です。

食べ物に含まれる炭水化物が消化されブドウ糖に変わります。

ブドウ糖は血液に取り込まれて全身の細胞に届けられます。これが活動のエネルギー源となります。

食べたらすぐにエネルギーに変わるので、即効性があります。

この食べ物から得る方法を、ここではエネルギー源①とします。

もう一つは、体内の脂肪からエネルギーを得る方法です。

食事で摂り込んだブドウ糖は、一旦脂肪に変えて脂肪細胞に蓄えられます。

体は、長い時間食べ物が得られないときは、体内の脂肪をブドウ糖に変えてエネルギーを作ります。

ここでは、エネルギー源②とします。

 

日本だけでなく、世界を見ても、もともと一日二食の時代が長かったのです。

もっと昔、狩猟生活のころは、獲物が取れるまで食事にはありつけませんでした。

二食どころか、何日も食べずに狩りに出かけることもありました。

いつでも食べたいときに食べられるのは、長い歴史の中でつい最近のことです。

そのためなのか、人の体は、空腹とか飢餓を前提にしてつくられています。

炭水化物を摂取し、消化してブドウ糖に変えます。ブドウ糖のままで蓄えると、1グラム4キロカロリーのエネルギーです。エネルギー源①です。

しかし、ブドウ糖を脂肪に変えて蓄えると、1グラム9キロカロリーのエネルギーが得られます。エネルギー源②です。

脂肪なら同じ量で倍のエネルギーが得られるのです。

一週間ほどは水だけでも十分活動できるようです。

じっとしているだけなら、3か月は生き続けることも可能だといいます。

 

エネルギー源②は誰でも使うことができるのですが、問題はそれを使う能力です。

繰り返しになりますが、脂肪をエネルギーとして使うときというのは、ある程度空腹に耐えて活動する必要があります。

血糖値が下がって空腹感を覚えるたびに食べると、脂肪が使われにくい体になります。

空腹を乗り越えると、脂肪をエネルギーとして使う道筋が出来て、空腹を感じなくなる体に変えることができるのです。

 

 

 

 

 ハルメク12月号の〔リレー連載〕が目に留まった。ウイルスは遺伝情報をやり取りするという中村桂子さんの文章だ。

 

 まず前段。

 ウイルスとは何者なのかの説明が分かりやすい。

≪ウイルスは生物ではありません。生物は遺伝子が入った細胞からなり、自分の力で増殖しています。ウイルスは細胞の中に入っている遺伝子そのものが殻を破って動いているのです。増殖するには、生物の細胞の中に入り込まなければなりません≫

 なるほど、細菌は栄養があればシャーレの中で増殖する。一方、ウイルスは人などの細胞内に入り込んで増える。宿主である人間が死ねば、ウイルスも死滅する。

≪遺伝子と聞くと、生き物の体内でじっとしているイメージをお持ちではないでしょうか。人間の遺伝子とか、私の遺伝子といって、生きものとは違うものだと思っていませんか。そうではありません。遺伝子は生きものたちの間を動いています。そしてウイルスは遺伝子を運ぶ役割をしています≫

 我々は、学校で、遺伝子は親から子へ、子から孫へと時間軸(縦方向)で伝えられることを学んだ。ウイルスは、種を超えて空間軸(横方向)の遺伝情報を交換し合う媒介となっているのである。

 

 いよいよ本論。 

≪ウイルスは、いろいろな生物たちの中に入ってあちこち動きながら、その生物に悪さもしますが、新しい性質を与えることもあるのです。例えば私達哺乳類には胎盤がありますでしょう。哺乳類は約一億五千万年前に生まれたのですが、ある遺伝子を持っていたウイルスが哺乳類の体内に入り込んで、胎盤作りの遺伝子になったのです。赤ちゃんがお母さんの体の中で血液や栄養分のやり取りができるようになったのは、ウイルスのおかげなのです

 ウイルスは、生物の進化に一役買っているというのだ。

ウイルスは、もともと体の細胞の中にある遺伝子が飛び出して、長い旅に出かける。旅の途中に、人間と人間、人間と他の生物との間を行き来して情報を交換しあい、またもとの古巣に戻ってきた後、遺伝子の書き換えをする。

 感染した人は進化する? もっと詳しく知りたい部分である。

 

 これも大切か。

 ウイルスとの付き合い方。

「このように生物とウイルスは長い間いろいろな関わりを持ってきました。コロナウイルスはコウモリの中で落ち着いていたのですが、たまたま出てきてしまった。エイズやエボラも、人間がアフリカの森を壊して入り込んでいったのが人間に感染するようになった原因の一つです。それまでは局所的に存在していたウイルスを人間が引っ張りだしてしまったともいえるでしょう。人間が勝手なことをし過ぎると、ウイルスも暴れることになるのは確かです

 

「ウイルスを封じ込める」「ウイルスに打ち勝つ」などは、報道番組でよく聞く言葉だ。

 自然を征服するとか、コントロールするとか、背後にそういう考え方が隠れている。

 人間も全ての生きもの同様に自然界の一部だ。

 ウイルスというものは、なくすことはできない。

 

 

「自分はまだ、ウイルスに感染していない」

「ずっとウイルスに感染したくない」 

こう思っている人必見のユーチューブです。 👇

松田政策研究所ch https://www.youtube.com/watch?v=hF0HBmIFWMs&t=1682s 

ゲスト 京都大学大学院医学研究科特定教授 上久保靖彦氏

 

日本は今、ウイルス対策で混乱しています。

これを何度も見て聞いて文字にすることで・・・

分かりました。専門家とはこういう人のことか、と。

 

以下、この内容を文字にしました。

専門過ぎて理解できないところは、省略しています。

 

【1】 集団免疫が達成されている

1 武漢発のウイルス

 昨年(2019年)12月、武漢から世界中に新型コロナウイルスが広がった。

 地域によって重症度がかなり異なっている。

 それはなぜか。

 まず、我々は、インフルエンザの流行曲線から、新型コロナウイルスがどのような形で日本に上陸したのかを解析した。 

 中国から弱毒型のウイルスが入って、その後武漢からのG型が入ってきた、それから欧米型の変異ウイルスが入ってきた。

 日本人は、この弱毒型ウイルスで免疫を獲得したことで、武漢からのG型に打ち勝った。

 

2 ウイルス干渉

 インフルエンザは毎年流行がある。

 インフルエンザは命に係わる重要なことなので、どの国でもどれだけ流行しているかをモニターしている。

 日本では、去年の12月からの流行が非常に抑制されていた。流行の山が小さかった。例年の半分から3分の1ほどだった。

 このインフルエンザの流行(2019.12.31~2020.1.6)と、コロナの流行(2020.3.20)が非常にきれいにマッチしている。 

 これをどのように考えたか。

 「ウイルス干渉」が起きたのだ。

 インフルエンザにかかると、インフルエンザに対していろんな免疫細胞(T細胞など)が活発化して、サイトカインが出る。そのサイトカインが反応してインフルエンザをやっつけようとする。そういう状況だとコロナが体内に入ってこられない。

 インフルエンザが入っているとコロナが入れない。反対にコロナに感染しているとインフルエンザが入ってこられない。これを「ウイルス干渉」という。

 

3 S型 K型、そして武漢G型

 インフルエンザの流行カーブを解析して分かったのが、今年はコロナがこのとき、たくさん日本に上陸して人々に感染していたということだ。

 まず、昨年の11月頃、中国でS型のウイルスが流行した。Sは“さきがけ”のS。このとき中国はまだ封鎖はしていない。

 日本には、去年の12月にS型が入り、その後に1月にK型が入った。

 コロナウイルスにはスパイクというとげのようなものがたくさん付いている。このとげが肺などの細胞の受容体というところにパカッとはまり込み感染する。このスパイクの変異が起こっている。これがSとかKとかの違いだ。

 S型もK型も肺炎を引き起こすような症状がでるウイルスではない。感染した人は、少し変わった症状が出る程度で、気づきもしなかったかもしれない。普通の風邪として扱われた。

 去年の11月から今年の3月にかけて、184万人の中国人が入国した。症状がほとんどないような風に人達だ。

 この2つのタイプが中国人の観光客などを介して日本にたくさん入ってきて、蔓延した。

 その後、入国制限にもなった武漢肺炎が流行してみんなびっくりした。これは変異したG型だ。Gはグローバル。

 S型とK型で出来た免疫で、G型を迎え撃つという形になった。

 さらに変異して欧米型のGが生まれた。これもSとKで獲得した免疫で迎え撃った。

 その後、YやHという変異ウイルスが見つかっている。

 

4 入国制限の遅れが幸いした

 欧米は、日本と違って多くの感染者や死亡者が出た。

 なぜか。

 欧米では、S型のウイルスは十分入っていた。しかし、K型は日本のように入らなかった。

 理由は早く入国制限をして閉めてしまったからだ。

 日本は3月9日まで中国からの渡航は制限せず、武漢だけ止めていた。だから、十分なK型の感染があった。

 1月23日に武漢が封鎖された。肺炎の症状が極めてひどかったからだ。

武漢市の人口は約1千万人。封鎖前に短期間に、ビジネスや観光などで500万人が武漢から出たことが分かっている。そのうち、成田に直行したのが9千人。さらに、1月20日から2月1日までに中国から武漢経由で34万人の人が日本に入国した。

 去年の11月から今年の3月にかけて、184万人の中国人が入国した。症状がほとんどないような風に人達だ。

 アメリカは、去年のインフルエンザの流行がひどかった。S型は十分に入りつつもK型の感染が出来ていなかった。

 S型は非常に弱く、ウイルスをやっつける抗体がほとんどできない。K型も弱毒だが、リンパ球のT細胞を活発にし、強い免疫を獲得できる。

 日本人は、K型で獲得したT細胞免疫で武漢からのG型、欧米からのG型を抑制することができた。

 中国の沿岸付近もK型が十分広がったので、日本と同じように死亡率が低い。

 

【2】 人とウイルスとの共生

1 獲得免疫

 免疫は感染することで獲得する。

 日本人はS型やK型に感染して免疫が出来た。

 1月頃少し変わった咳が続くとか 痰がよく出たということが多くの人にあった。多くの人が気ついていた。そういうものは実はK型の感染だった可能性が高い。それが本当の感染で、免疫を獲得していた。

 ウイルスというのは、年間を通じてずっと続く。Sが来て、Kが来て、武漢Gがきて、欧米Gが来るというふうに上陸するし、続いていくものだ。

 既感染(免疫を獲得)したところに、ウイルスが入って再暴露した。すると、獲得した免疫がウイルスを押し出そうとする。サイトカインが出て、半日から1日ぐらいちょっとした微熱を感じることもあるが、翌日には完全に熱が下がっている。悪化しない。

 

2 PCR検査 抗体検査  

 今、たくさんのPCR集団検査でたくさんの感染者があるということになっている。

 PCR検査のやり方が変わった。以前は症状のある人を検査していた。今は、ランダムに検査している。無症状の方を調べてそこで陽性が出ている。

 無症状の人というのは、既に免疫を獲得した人だ。

 ウイルスというのはそこら中にいくらでもいる。たまたまウイルスが体内に入った人、つまり再暴露したことでPCR検査をして陽性が出る。既に免疫は獲得しているので、悪化することはない。そういう人をカウントしているという状況だ。

免疫を持っているのでカウントしても意味がない。 調べれば調べるほど出てくる。症状がないのに集団検査をすれば、我々でも陽性が出るかもしれない。問題のないのに陽性が出てしまう人がいる。それで何日も休みなさいということになる。

 

 抗体があるのに検査はする必要はない。

 どうしても検査をするなら、抗体の検査、T細胞の検査が必要だ。

 抗体検査で、陽性か陰性かのラインを設定しているのは人だ。検査キットによっては、抗体の獲得値をめちゃくちゃ高くしているのがある。 すると、抗体があるのに陰性が出てしまう。そういうことで、免疫獲得率が0.1%とかいう数字が出ている。でも、本当は持っている。

 

3 ブースター効果

 ウイルスの抗体が出来ても下がってきてしまう。

 「ブースター効果」というのがある。

 既感染者の再暴露だ。すでに感染して免疫を持っている。 

 その人にまたウイルスが入ると、持っている抗体が感応して活発になる。つまりエンジンがかかる。このエンジンを定期的に掛けていく。このブースター効果で免疫を廃れないようにしていくことが必要だ。むしろ活動してウイルスにさらしている方がよい。

 ずっと閉鎖して暴露されないと廃れるのである。そうすることでむしろ第二波が来るという可能性がある。

 

4 コロナとの共生

 日本は清潔な生活環境にある。

 しかし、そこで手術しますか? 

 街中はウイルスが見えないレベルで一杯いる。病院で手術をするときの清潔という意味合いと、街中が清潔というのは全然違う。

 ウイルスというのは、見えないけれども机の上とか、いたるところに入る。満員電車のなかで、咳をすると四方に飛び散る。少し離れてもさほど差はない。

 集団免疫ができていれば、関係ない。

 欧米で起きていたことが日本でも起こるだろうと思ってしまった。

  三密や移動制限など、我々がしなければならないという対策のほとんどはしなくてよかったということだ。

  三密は必要ない。

 コロナの場合、感染しないという概念ではない。

 これまでも、絶えずウイルスが上陸して、暴露して、そこで免疫を作って、免疫を維持して、我々はずっとコロナとは共生してきた。

 ところが、絶対暴露しないという期間を作ってしまうと、免疫ができないということが起きてしまう。

 

以上です。

 

一定数の献血者は、常に必要です。
なぜなら、血液には生きている細胞が入っているので長期保存ができないから。
冬場の献血者は、他の季節に比べて少なくなります。
そこに追い打ちをかけたのが武漢ウイルスです。
このため、血液の不足が心配されました。

しかし、赤十字社や競泳の池江璃花子さんの呼びかけもあって献血者数は回復に向かいました。

 



献血は、社会貢献の一つであることに間違いはありません。
先月(2月)、私は二十数年ぶりに献血をしました。
といっても、日赤や池江さんの呼びかけに応じたのではありません。
『69歳まで献血ができる条件をつくっておこう』と思ったのです。

詳しく述べますね。
先ず、献血再開のきっかけは、斉藤一人さんの著書『楽しんだ人だけが成功する』でした。
こんなことが書いてありました。
≪今、献血ルームってすごく充実しているんだって。
献血をした人はジュースやお茶が飲み放題だったり、いろんなお菓子がもらえたり。
献血ルームによっては設備は様々だけど、なかにはおしゃれなカフェみたいなのもあったりして、ゆったりくつろげるんです≫

早速、日赤のHPを開いて献血のことを調べてみると、年齢制限の規定を発見・・・。
HPには、『献血が出来る年齢は69歳(70歳の誕生日の前日)まで』とあります。

しかし、この「69歳まで」というのには次の条件が付きます。
『65歳から69歳までの方は、60歳から64歳までに献血の経験がある方に限られます』
この『60歳から64歳までに献血の経験』というのが、私の献血再開の理由です。



1月の日曜日、飛び込みで血液センターに行きましたが予約で一杯です。献血ができません。
2月7日の予定で予約を入れて帰りました。
さて当日、二十数年ぶりなので、まったくの初心者扱いでした。
新規の献血カードを作り、心電図を取り、医師の健康チェックを受け、異常なしの確認をして、血液検査を受け、やっと採血室に入りました。
いくつかのコースの中から成分献血を選びました。
成分献血は体にやさしい。2週間後には体が回復して次の献血が出来るのです。
ちなみに、全血400mlの場合は12週間後から。(年齢や体重によって違いがあります)
献血後は、暖かい飲み物で水分補給をしたり、テレビや雑誌を見たりしながら30分ほど休憩し、お礼の品をいただいて帰りました。

また、キャンペーンもあり、期間中に3回献血をすると景品がもらえるなど、イベント関連も充実しています。



血液センターには、私の過去の献血の全記録が残されていました。
再開した2月7日は22回目の献血でした。
23回目は2月28日。
24回目は3月29日(今日)でした。
このペースで続ければ、100回目も夢ではなさそう。