金毘羅山から南沢あじさい園・深沢家土蔵より武蔵五日市駅(写真は、深沢家土蔵) | 俳句とお星様と山歩き

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俳句は、日々の散歩の頂きものです。お星様の話は、今は中断中です。山歩きは、主に奥多摩周辺が主です。2006年1月6日に開設したヤフーブログから移転してきました。よろしくお願い申し上げます。

 

武蔵五日市の南沢あじさい園を久しぶりに訪ねようと、 友を誘って南沢あじさい園に金毘羅山と深沢家土蔵を加味した三点セットで巡ることにした。 友とは武蔵五日市の駅に九時に待ち合わせるが、 西武線が遅れたようで、 到着したのは九時二十五分で、 今日はこの武蔵五日市駅の賑わいは凄いもので、バスの列も長く、 武蔵五日市駅で下車する人の数も多く、見れば 駅前に小物の店が 何軒も軒を並べて、 催し物も今日は開催される雰囲気である。 さて、九時三十分には駅を出発で、駅前の地図を見れば、 観光案内のおじさんが道順を丁寧に教えてくれ、 街並みを街道の武蔵五日市の中心街の方へと向けて歩き、東町信号からも登山口に行けるが、 その二つほど先の信号を右手に曲がって、旧庁舎であろうか、 あきる野市役所出張所の前を通って行くと、右手に全くの偶然ではあるが、今日訪ねる予定の深沢家土蔵由来の五日市憲法草案の碑が ドカンと立っている。 全く 嬉しいこと限りがない。 大事なものを写真に収めるようにして収め、 登山口へと行く、道なりに山へと向く道を行けば、金毘羅山への道標があり、参道のような山道となり、すぐに虎ノ尾草を何輪か見る。風がくれば一斉に 草原を走り行くような感じの虎ノ尾草が出迎えてくれているのである。 山道をゆっくりと登って行こう。道々を白く彩っているのは南天の花の蕾である。 花開く前から緑蔭の中で妖精のように動いている。 もう一輪 二輪は開いているものもあるようである。 緩やかに 山道を登って行けば、 途中にベンチがあり、 五日市の盆地の全景が見えて、さらに青空の雲は暑くなった今日を象徴するかのように、熱き日の雲が夏空を自由に覆っている。 ふと見れば 道の辺にウツボグサが咲いている。高度を上げていけば、 展望台があり。 夏 あざみが美しい。 その展望台のところにもウツボグサが群落をなすように咲いている。山道の途中には山栗の花がふさふさと風に揺れているのがよく見える。展望が開けて、 関東平野も望むが霞が出ているのでせいぜい西武球場が日に白く輝いているぐらいであろうか。 展望台から琴平神社へと 参って、トイレのある四阿や、 ベンチもある開けた草原で一休みして、少し早いが昼食としよう。 すれ違う人が多いので、 このコースは何か雑誌とかに紹介されたのであろうか。 我々のコースは逆であるが、 南沢から来た人が多い。 登山道の途中にある大岩は磐座であろう。 巨大な磐座がいくつも一塊となって、天に聳えている感じがある。大樹が育ってはいない頃は圧倒的な存在感を持った磐座であったのではないかと思うばかりである。金毘羅山の山頂はその先にあり、展望はない。尾根の途中の高みのようなところである。 南沢あじさい園にはそこから林道へと一旦出て下山する感じがあるが、 急坂で階段状になっているので気をつけて転げないように下山しよう。そんな急な階段状のところを二箇所過ぎれば、 山腹を玉石のあるようなところを通過するので、 ここもまた滑らないようにしよう。 無事そこを通過すれば、 そこが南沢あじさい園の最上部となり、 一方通行と書いてあるので行けば 、左側は紫陽花の渓流であり、ひと谷を埋め尽くした圧倒的な姿に ただただ感嘆する他はない。 一生涯かけて南沢を埋め尽くした紫陽花の存在感はただものではない。 一旦渓谷の端へ通りて、そこから渓流の右側を行けば、 展望台があり、 そこから見れば、 山腹の紫陽花の無数のものが、夜空の星の如くに展望され、 これは他では得られない 感動を胸に抱かせてくれるものではないか。 しばし見とれていようではないか。 足元にはヘビイチゴが赤く熟して、ハキダメギクも見えている。南沢家の庭に立ち寄って見よう。 庭の池の錦鯉の色鮮やかさ 、そして見れば黄色い釣舟草がいっぱいに広がっている。雪の下ももう終わりであろうか。セッコクの花も咲いていたようだが、 これも終わっている。雪の下は家の裏に多いというので、奥様から案内してもらう。裏の石垣を美しく飾っている雪の下が美しい。キョウカノコのピンクが際立っているが、 これも終わり頃か。 紫の花はクロ ホオズキの花で、 ほおずきの実も育ちつつあるようである。十薬は八重咲きがあり、 ホタルブクロも咲いている。テイカカズラも咲いている。たっぷりと深沢の奥様に案内をして頂きありがたい限りである。 お礼を申し上げて、三内川の上流へと道を取り、 深沢家土蔵を訪ねる。ここからは一キロ以上、 上流にあるが、 途中の山栗の花や白いホタルブクロを見ながら行けば、深沢家 屋敷と到着する。 その長屋門の勝手口を背を低くして潜っていけば、 土蔵のみが残る青草の屋敷跡がある。この土蔵から色川大吉が 五日市憲法を発見したのである。 山の方を見上げれば、深沢家の墓が残り、この墓の中に五日市憲法草案を起草した一人である深沢 権八が眠っているのである。 しかるべき荘厳な雰囲気のするところではなかろうか。 五日市憲法草案の一端に触れたら、後は歩いて、 武蔵五日市駅まで帰ろう。十四時三十五分発の拝島行きにゆっくり 間に合い。 今日は五時間弱の山歩きでした。

 ありがとう、金毘羅山。

 ありがとう、友よ。