映画『ザ・プレデター』『ゴジラ』『空飛ぶタイヤ』
この間まで日本に一時帰国していて、また戻ってきた。飛行機が昼の便だったので、寝ないようにしようと思い、また窓際の人がずっとロシアの空を眺めていたせいで眠れなかったこともあり、4本も映画を見ることが出来た。簡単にメモしておく。GODZILLA ゴジラ[2014] Blu-ray2枚組3,606円Amazon 渡辺謙がゴジラ学の権威の日本人として出演。最初の30分くらいは以前見た気がしたので飛ばしたが、まあ問題はないだろう。このゴジラは、東日本大震災と原発事故を強く思い起こさせる。核エネルギーを餌にするムートー(羽ばたいて移動するキモい怪獣)は、古来ゴジラに寄生しその核エネルギーを利用していたが、現代ではもっと楽に利用できる餌(原発、核廃棄物処分場)があるので、そっちを狙って産卵する。ゴジラはそのムートー(オスは日本の原発、メスはアメリカの砂漠にある核廃棄物処分場にいてお互いを探し求めていた)を退治するために現れる。 ゴジラが人間にとっての脅威ではなく、「人間を助けてくれるいい奴」になってしまっていて、ゴジラが本来示している自然の圧倒的な脅威とそれを統制する存在としての「ゴジラ=神」ではなく、「人間に忠実な図体はでかいけど根は優しいクマ」みたいに見えてしまうのが難点。あと立ち上がった時のゴジラの動きがどう見ても、熊か着ぐるみにしか見えない。海を泳いでいるときは、クジラか山っぽくていいのに、いざ出てくると全然怖くない。空飛ぶタイヤ [DVD]3,068円Amazonこれタイトル悪いだろ、下町ロケット的なものかと思ったわ。英語では分かりやすく「リコール」としてあった。赤松運送の社長(長瀬智也)が、巨大な財閥傘下の自動車会社のリコール隠し問題と戦うドラマ。ある日、会社のトラックが事故を起こす。タイヤが急に外れ、宙を舞い、歩道にいた女性一人を殺してしまった。事故の原因として「整備不良」を疑われ、運送会社は倒産寸前にまで追い込まれる。永瀬は一度は整備担当の若者(若いジャニーズ)を怒鳴りクビにしたのだが、すぐに自分の誤りに気づく。この若者は人並み以上に詳しく整備記録をつけていた、これは整備不良ではなく、自動車の欠陥ではないか!? このトラックを製造したホープ自動車(財閥系、つまり三菱自動車ということか)は一貫して「整備不良」を主張し、赤松運送をクレーマー扱いするのだが、広報部など社内でも「もしかしたら品質管理部は何か隠しているのではないか」と内紛が発生。物語はとても勉強になる、池井戸潤の原作は面白いのだろう。でも映画としての制作費はほとんどキャスト集めなんだろうな。ザ・プレデター (字幕版)2,000円Amazon 「お、プレデター見れるんか、久しぶりに見てみようか」と思って見てみるが、いつまでたってもシュワちゃんが出てこない。おかしいなあと思って、制作年見てみると2018年、なんやn匹目のドジョウか。ポリティカル・コレクトネスとSF(あるいはアクション)って結構面白いテーマなのかもと思いながら、このクソ映画を見続ける。 筋骨隆々の白人男性が「人類を代表する一人」としてプレデターと一騎討ちをした時代は過ぎ去った。ここで出てくる「まともな白人男性」は、プレデターが目を覚ましたらすぐに、エルフェンリートみたいにポンポンポンって軽快に殺されていく。ヒロインと思われるちょっとアジアンな白人女性は、「銃を持たず、服も脱ぐ」ことでプレデターに見逃される。(その前の場面、プレデター実験室に入る時に、除菌室みたいなところを通るのだが、そこで全裸になる。それらのブースの間には半透明の仕切りがあるのだが、妙に低い(160cmくらい?)。絶対隣の人に見られるやん) で、そのヒロイン、白人男性がみんな殺された後、なぜかしょぼい麻酔銃を持ってプレデターを追いかける(そもそも部外者だから戦う義理はないだろうに)。でも、弱い(っていうか銃打つの下手)。そこで登場するのが、「負け組男性たちによる寄せ集めグループ!」。軍出身の彼らは、なんらかの理由で逮捕され囚人として護送中。退役後にPTSDに悩む軍人(USA!USA!を体現していたのに、今や社会のお荷物)が怪物と戦うってのは使い古されたネタではあるが、まあ定石は使っておいて損はないだろう。 「負け組男性(白人、黒人混成、軍出身だから)」と「アジアンな白人女性」がタッグを組み、怪物をやっつける!なのかと思いきや、やっぱりこいつら弱い。絶体絶命のピンチ!にそのプレデターは急に倒される。怪物(プレデター)と戦っていた!と思っていたのに、そのプレデターが、もっと強くてでかいプレデターにやっつけられる!どうやら今まで戦っていたちっこいプレデター(人の遺伝子を持つ)は、「宇宙人の侵略から人類を守ってあげるよ!」っていういいプレデターだったらしい、なんでや。 で、この最強プレデターと戦うのか!と思って戦闘シーンを待っているのだが、なかなかやってこない。ずっと人間同士の内輪揉めを見せられて、大プレデターも呆れ顔「君たちの喧嘩を見物するのは面白かったけど、僕もあんまり暇じゃないんで、さっさと終わらせるよ。人類を代表する奴はお前たちの中にいる、マッケネという名だ」。 なんだか、「人類最強の男」と一騎討ちをして勝敗を決めるらしい。お、シュワちゃんみたいに、このマッケネ(白人男性)が戦うのか!?と自他共に期待する。みんなはマッケネを支援しながら、プレデターを罠へと誘導する。その途上で即席の仲間たちは次々と死んでいく。そして「もう俺は逃げも隠れもしない、さあ一騎討ちだ!」とマッケネが満を辞してプレデターの前に飛び出す・・・ と、プレデター、「そこ邪魔だよ」とばかりにぽいっと横に叩く。え?英雄的な死すらも与えられず。 で、彼が摘んで行ったのは後ろで泣いていた息子。アスペルガーのこの子、パズルが得意なようで、父親が家に送ったプレデターの仮面で遊んで勝手にプレデター語を解読し、通信していた。「進化の次の世代よ」なんてヒロインが無責任に言うこの小マッケネこそが「人類を代表する男」だったのだ・・・え? で、当然無抵抗に連れて行かれ、なんか水槽みたいなところにぽいっと入れられる。「パパあ、助けてよお」。その後はおきまりの父が子供を助ける感動ラスト。最強のはずのプレデターはあまりにもしょうもなくやっつけられる。 成人男性はとにかく一貫して負け続ける。「まともな男」たちは、抵抗する時間すら与えられずぽいぽい殺されるし、「負け組たち」は軍経験を生かして奮闘するもそもそもかなうわけがなく、順次殺されていく。そこには世界を救う使命感のようなものはなく、後者はただ流れのままに戦い、そして人生の最後に有意義な死が訪れたことにむしろ安堵している。 アジアン白人女性は、とにかく意志の強さと知性、パワフルさが強調される。でも、銃は下手で、バイクを運転する主人公に助けられる場面はむやみにたおやかアピール(男に抱きつくように、前から乗る。なぜそう乗った)。『エイリアン』みたいにフェミニズム分析しても面白いのかもしれないが、この作品の場合は多分そもそもあんまり深く考えていない。 で、アスペルガーでいじめられっ子の少年が、「障害じゃなくて才能よ(むしろ進化した人類の姿よ)」という形でなんか知らん間にキーとなって(本人は戦わないが、知識、情報提供)いく。キューブみたいな活躍の仕方ならいいのだが、勝手に「新人類」扱いするとか引くわ。 社会的な強者たちが真っ先に怪物にやられて、最後に残った「弱者」だと思われていた人たちが勇敢に戦い、怪物に勝利を収めるというのはエイリアンものの伝統の一つでもあるだろう。でも本作では、芸術的要請以上に、政治的に正しくしようという意図があまりにも前面に出すぎていて、プレデターと「人類最強の一人」との種の存続をかけた一騎討ち(最後には純粋に肉体の力だけで)という、プレデター物語の真髄が完全にどっか行っている、というかプレデター的価値観そのものを「そんなの今時はやらねえよ」と反転させているように見える。じゃあ、この映画がプレデターという名を冠する意味はどこにあるのか?