橋本陽介『物語論 基礎と応用』第二章(ジュネット 『物語のディスクール』解説中心に)
物語論 基礎と応用 (講談社選書メチエ)1,836円Amazonさて、第二章。この章の前半はジュネット の『物語のディスクール』(フィギュール3に収録)の、1-3章までをざっと解説してくれるのでありがたい。 残念なことにフランス語での単語が書かれておらず、漢字(黙説法とか)なのが、玉に瑕(まあ入門書だからいっか)。 せっかくなので、フランス語原文での用語も添えて、要約していく。ジュネット に先立つロシア・フォルマリスムでは、「内容」と「形式」とに分け、後者を重視してきた。ジュネットはその二分割に変えて、三分割を提案する。「物語言説(形式)」récit,「物語内容」 histoire, 「物語行為」narrationがそれである。このnarrationはジュネット が影響を受けた言語学者バンヴェニストに由来する。彼は文の「形式」と「内容」に、「その文を発話する発話者と、その聞き手」を加え、言語学の分析をした。同じような物語でも「異なる物語言説」を用いれば、全く違うものとなる。この語り方を分析したのが、ジュネット の『物語のディスクール』。この書は「物語の時間」「誰が見るのか」「誰が語るのか」という点を扱ったが、橋本がここで解説するのは「物語の時間」、実際、ジュネットから引用されるのが一番多いのは、第一章から第三章までの時間を扱ったところだからいい選択だ。それは、「順序」「持続」「頻度」からなる。まず第1章の「順序」から、「物語内容の時間」と「物語言説の時間」のギャップが問題となる。起こった出来事をそのままの順番で語れば、それは一致するが、実際には「過去のことを話したり」ときには「後で起こることをあらかじめ示唆したり」する。語る順番を入れ替えることを「錯時法」と呼ぶ。錯時法は「後説法analepse」と「先説法prolepse」に分けられる。analepseは物語の基準点より過去のことを語ること『イーリアス』はトロイ戦争の終わりかけの場面から始まるが、そこまでに起こったことは、物語が始まってからおいおい、順々に遡るようにして語られる。映画『タイタニック』や夏目漱石『こころ』なども、おばあさんや「先生」と出会う場面から始まり、物語全体が丸々analepseとして語られる。という風に、analepseはかなりどこにでも見られる手法だ。(そして、それは一文やそれ以下のミクロレベルから、物語ほぼ全体というマクロレベルまで、様々) 一方、prolepseはちょっと珍しい。後で話す。 analepseとprolepse自体は以上のように単純明快なのだが、ジュネット のすごい、というかようやるなあと思うところは、徹底的に場合分けしていくこと。 「射程」と「振幅」。「射程」とは、どれだけ時間がとぶか。なんだけども、ここから橋本先生の要約が、う〜ん、かなり戦略的に単純化しているのかなあ。というかジュネットの細かすぎる分類を無視して、わかりやすく書いているのか(それとも僕の読解力不足か)。橋本先生は、「物語の基準点となるところを第一次物語言説と呼ぶ。これに対して、先説法や後説法によって語られている物語部分を第二次物語言説と呼ぶ。」とした上で、それらが「連続しているものを等質物語世界」と呼ぶとし、「違う世界の話を語ること」(例えば『高野聖』での上人の話)を「異質物語世界」と呼ぶとする。 このように、橋本先生は「異質物語世界」を「物語の中の物語(メタ物語)」として説明している。現実の物語でちょっとファンタジックな話入ってきたらそれは「異質物語世界」だと。 多分これって、HétérodiégétiqueとHomodiégétiqueのことを指していると思うんだけど。この説明ってどうなんかなあ。ジュネットがあげる例は、「物語に新しい登場人物(これまで筋には関わってこなかった)が現れ、彼(女)について説明する必要があるとき、そのひとの生い立ちなどについて語るときに後説法でhétérodiégétiqueなことを語る、という例が挙げられている。 フランス語での定義をネットで調べてみてもHomodiégétique(Narratologie) Dans un récit, désigne un personnage qui raconte un récit dans lequel il figure lui-même ; le personnage est un personnage de sa propre narration.Hétérodiégétique(Narratologie) Dans un récit, désigne un personnage qui raconte un récit dans lequel il ne figure pas lui-même ; le personnage est extérieur à sa propre narration.訳すと「(ナラトロジー)物語言説において、その内部に語り手自身が含まれる(含まれない)物語言説を語る人物を指す」となっている。ジュネットも、homodiégétiqueの例として、「語り手自身が経験したのに、故意に語り落としていた事件を、後になってから後説法で語る」というものを提示している。だから両者の違いは、語りて自身がその物語言説に含まれているかどうか、ということだと思う。(ちなみに「千一夜物語」のシェヘラザードは異質(だって自分は登場しないし)で、カミュの「異邦人」は同質(自分いるしね)だとネットの例文では。だから、Hétérodiégétiqueの説明としては、変だと思うから、多分別の箇所の説明をしているのだと思うが、僕が多分読み飛ばしたのだろう(手元に原文ないので)。それはともかく、「内的」後説法と「外的」後説法の区別について。 内的後説法とは、物語スタートの時間よりも後にまで遡ること。外的後説法とは、物語スタートの時点よりも前にまで遡ること。外的の例としては「こころ」や「タイタニック」などがわかりやすいし、物語的な必然性もよくわかる。 一方内的後説法は、なぜそんなものが必要なのか、考えなければならない。つまり「朝だ、コーンフレークを食おう。夜だ、カレー食っている。ところで昼、会社の食堂で食べたカレーは・・・」という風に、なんでそんなジグザグ進むねん、昼飯の話は夜飯の前にしろよっと突っ込みたくなるわけだ。 じゃあなんで「あえて」昼飯の話をしなかったのか、なぜ「語られなかったのか」という点こそが面白いわけだ。後で、語ることでより劇的な意味を付与する。エヴァンゲリオン、第2話を思い出してみよう。急に父親に呼び出され、急に目の前で血まみれの少女が倒れ、急に「帰れ」とか言われたシンジ君は訳もわからぬままに戦場に出る。で・・・・ 気がつくと「見知らぬ天井」。なんかしたっけ?視聴者は戦いがどうなったのか分からぬまま、とりあえずついて行く。なんだか「暴走」ってのをしたらしいぜ、後「街が破壊」されちまったようだ。視聴者はこの内的後説法によって、意識不明状態の暴走を追体験できる(いや見たの随分前だから間違いがあるかも)。 そういうわけで、これが「補完的」内的後説法。これを使うためには事前に「黙説法」が用いられる必要がある。黙説法とは、あえて今語らず、後で、タイミングを狙って語ること。「実は、お前のことずっと好きだったんだ」って卒業式に桜の下で告白する感じだ(ちがう)。黙説法とは「省略法」に対置しているのだけれども、省略法はただ単に重要でないから省略しているだけ。「今朝はトーストを二枚食べました」「はい、嘘ついたー、バターも塗ったでしょ」なんて言わないでしょ。こういった黙説法を前提として「補完的」内的後説法の他に、すでに一度語ったことをもう一度振り返るものがある。これは、同じ出来事に対し一度「ある解釈」を加えたのだが、後になって別の情報が加わることでその出来事に「新たな解釈」が加えられる、というような場合だ。「あ、クラスのマドンナの花子さんが大人っぽい人と親密そうに歩いている、ショック!」?「ハナちゃんってお兄さんと仲良いよね〜」「なんやて、良かった〜、大学生の彼氏なんていなかったんだ、そうだそうだ確かに顔似てたな、うん」的なやつだなちなみにジュネット が例文で出すプルーストでは、同じ場面が何度も繰り返されて、浮気の証拠だとか、同性愛の証拠だとか(いやその否定の徴だとか)何度も何度も解釈が塗り重ねられる。そして順序の次が「持続」時間の流れる速さのこと。これをジュネット は四つに分類する。休止法pause TR=n, TH=0情景法scène TR=TH要約法sommaire TR<TH省略法ellipse TR=0 TH=nここでは物語内容の時間がTH(temps d'histoire)、物語言説の時間がTRつまり、休止法では物語内部の時間は流れずに、風景を描写したりして、ページを使う。情景法は物語内容の時間とほぼ一致するように、行が進む。要約法は、「電車から降りると、タクシーに乗り、別荘まで向かった」のように、サーと進む省略法は「15年後、キングスクロス駅で」的なやつだそして「頻度」これを単記法(一度起こったことを一度語る)反復的単記法(一度起こったことを複数回語る)括複法(何度も起こったことを一回語る)の三通り示す。最もジュネットは「何度も起こったことを何度も語る」のを加えた四分割だった気がするんだけども、分類のための分類で実質的に意味がないから省いたってことかな。そして橋本先生は、この第二章の後半で、「物語現在は過去形で書かれていても過去じゃないぞ」ってことを説明する。