うーん。読後時に評価が定まらないということは、たぶん傑作ではないのだと思う。一言でいうならば、自己模倣によって成り立つ終着点にして、頭でっかち化してしまった肉体の作家の作品、か。だからといって駄作と決めつけるのも気が進まない。だから、今回は、この小説がいかに頭でっかちで自己模倣に終始しているか、ということを批判することで、この作品の魅力に迫りたいと思う。
 この物語を要約すると。
ネタバレ注意


高名な日本画家(今はボケ老人で施設にいる)の館に住み始めた「私」。屋根裏部屋で「騎士団長殺し」と題された絵を発見。谷の向こう側に住んでいる総白髪のダンディー「免色」と知り合い、家の裏手に住む少女「まりえ」の肖像画を書くことになる。免色は「まりえ」が自分の子供ではないかと疑っている。
 「私」はといえばこの館に来る前、妻に逃げられ傷心旅行中、東北のファミレスで出会った女と一夜を共に、ホテルで首しめプレーに興じる(頼まれて)。その女を付けていた「白いフォレスターの男」が妙に気になる。
 夜中二時どこからともなく鈴の音が聞こえて来る(スプートニク)。それをたどって庭を掘り返すと、妙な「大きな井戸」のような石室が見つかる(スプートニク、ねじまき鳥)。その後、「騎士団長」の形をとった「イデア」が、私に現れる(海辺のカフカのジョニーウォーカー、カーネルサンダース)。
 そして大事件。「まりえ」が失踪。そして「私」は家主である日本画家を養護施設に尋ねる。そこで、「騎士団長殺し」の場面を再現する。私は彼を殺し、その場面を目撃した「顔なが」を捕まえることで黄泉下りの旅へ(ここはハードボイルドワンダーランドそのまま)。川に沿って歩くと渡し守、彼に「ペンギンのストラップ」を渡し賃として渡す(まりえの携帯ストラップ)。向こう岸では、13歳で死んだ「私」の妹「こみち」の励ましのもと「富士の風穴」の形をした小さな穴を通り抜ける(関節をぼきぼきに折りながら、出生の苦しみを追体験)。その先は、庭にある井戸のような穴の底。そこで鈴を鳴らして三日間暗闇の中で過ごす。
 日の当たる世界に戻って来ると、無事まりえは生還している。「私」は黄泉下りと再「出生」を経ることによって一人の少女(私が永遠に失った妹と同じ歳)を取り戻す。そして私は去っていった妻に電話し、よりを戻す、だって彼女の腹のなかの子は不倫相手の子供ではなく、「私」が夢の中で妻の中に注いだ精液によって受精したものだから(と仮定的に信じる)。
 


以上ネタバレ。
 という風に、1985年の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』からこれまでの春樹の作品を、全部桶の中に入れて、ぐっシャーってした後、大事なモチーフだけを取り出して、そのモチーフだけで物語を作ったような印象がある。総決算なのだろうけれども、あまりにも理路整然としていて、そしてダイジェスト的で、自己模倣に満ちている(自己模倣そのものは実は春樹の魅力の根幹をなしている、自己神話化の一種だから悪いことではないのだが)。
 春樹ももう歳なんだなと、思わざるを得ない。年上の肉体だけの恋人(1Q84みたいな)はなんかいつも以上に嘘くさいし印象が薄いし、「まりえ」はよく考えるとただの13歳のガキンチョであと3年もすると下品に笑いながらサーティーワンアイスクリームを食べているような少女で、根本的に神秘的な「フカエリ」とは違う。まりえが一種の超越性に、「私」と共に接していたのは、彼女が初潮を数ヶ月前に迎えたばかりの危うい綱渡りの時期にいたからに過ぎない。
 という風に、春樹はたぶん、自分が描く「マジックレアリスム」のマジックの部分を、本作ではかなり意図的に相対化している。その「不思議」に触れることが出来るのは、死ぬ間際のボケた老人と、妻に逃げられ絵画教室でバイトをしている画家と、13歳の少女だけだ。社会の真っ当な構成員から排除されているものにしか見えない「マジック」にいかなる価値があるだろうか、それはただ触れてはいけない、危険なだけのものだ。だから最終章では、「私」は芸術的野心を殺すかのように、何も考えずに日々の労働に励む職業肖像画になり、まりえは「なんか昔のことだから忘れちゃった、てへぺろ」なんていうバカな高校生になり、ボケた老人はとっくにこの世におさらばしているのだ。めでたしめでたし・・・・

で、いいんかい!ていうのがこの爽やかでみんなが救われた物語を読み終わった時に去来する思いだろう。でもそれでいいのかも知れない。「海辺のカフカ」は石をひっくり返し、大きな橋をまた渡ることで、ぽっかりと開いてしまった不可思議な世界との門をしっかりと閉めて終わった。スプートニクでも、私は現実の、日本の教師としての日常に戻り、万引き事件とかいうあほらしい些事に真剣に関わることで、エーゲ海のあの世とのギリギリの淵からしっかりと帰ってきた。この物語では、「お前ら、現実にちゃんと帰れよ、これ以上行ったら病気だぞ!」と、「マジック」に魅せられる読者を突き放しているのかも知れない。
 でもそれはそれで、「狂気すれすれで制作する天才画家!」ああ、あんな生活は常人には出来ないよ!なんていう陳腐な狂気=天才、の焼き直しにはならんだろうか?もうすぐ70だしなあ。