「国の責任」と「油の民族」 | 今日ボクが見た風景Ⅲ  物置部屋

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埼玉県川口市に集住するトルコの少数民族クルド人の小中学生のうち、少なくとも約300人が経済状況の厳しい家庭を対象にした就学援助を受給していることが15日、市教委の推計で分かった。大半は難民認定申請中で入管施設への収容を一時的に解かれた仮放免者の子弟とみられる。市は最大で年間約2540万円を見込んでおり、国に財政支援を要望している。

 

就学援助は生活保護を受給する要保護世帯と、自治体が生活保護に近い状態と認定した準要保護世帯が対象。学用品代や給食費、修学旅行費などの義務教育に必要な経費を補助する。

 

市教委によると、川口市内では今年4月時点で、全小中学生約4万3千人のうち約6500人が受給。国籍が受給要件に含まれていないため、国別の状況は調査していない。

 

今回、難民認定申請中などのため住民登録がない受給者を抽出したところ、クルド系とみられる児童生徒が約300人いたという。保護者が難民認定申請中の場合、原則として就労は認められていない。

 

市教委によると、就学援助の全項目を支給した場合、年間約2540万円が見込まれる。ただ、クルド人の子供の中には宗教的な理由や、「口に合わない」などの理由で給食を食べない子供もおり、給食費を考慮に入れない場合の総額は約1120万円という。

 

関係者によると、給食を食べない場合、教師らが心配して弁当持参を勧めても持ってこないケースが多く、水を飲んで我慢したりしているという。

 

今回の概算は主に仮放免中の家庭だが、市内には難民認定申請中でも「特定活動」という在留資格を与えられているクルド人も相当数おり、受給者の全体像は明らかになっていない。「特定活動」の場合も原則就労できないが、一部認められる場合もあるという。

 

今月13日には、川口市内でクルド人が多く通う市立小などを国会議員や文部科学省職員らが視察。奥ノ木信夫市長は「就学援助費は大きな財政負担になっており、今後ますます増加が見込まれる。国が仮放免を認めている以上、責任を持ってバックアップしてほしい」と訴え、議員や文科省に対し財政支援を求めた。

 

外国籍の子供に就学義務はないが、「子どもの権利条約」などに基づき、希望すれば日本人と同等の教育が保障されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥ノ木 信夫 埼玉県川口市長
日本でもっとも安心して暮らせる多文化共生のまちづくりを推進

 

日本でもっとも安心して暮らせる多文化共生のまちづくりを推進 | 人民日報海外版日本月刊 (peoplemonthly.jp)

 

「本当に住みやすい街大賞2020」で堂々一位に輝いた川口市は在留外国人数が全国の自治体で3位である。これは単に観光地としてだけでなく、居心地の良い街として、外国人が感じる魅力があるということだ。川口市では、全国に先駆けて、日本人・外国人住民が共に安心して暮らせる地域の多文化共生を積極的に推進している。7月15日、川口市庁舎を訪れ、奥ノ木信夫市長に多文化共生のまちづくり、中国との交流の歴史、そして川口に住む中国人の市への貢献などについてお話を伺った。取材には、川口市在住のチャイナドレス日本総会の奥薩卓瑪(細川ヨリカ)会長も同席した。

 

多文化共生のまちづくりを

積極的に推進

—— 川口市の外国人住民は人口約60万人のうち約3万8000人で、全国でも3番目に多く、多文化共生社会の推進は必要不可欠と考えますが、どのような取り組みをされていますか。

奥ノ木 川口市に住む外国人では中国の方が一番多く、約2万3000人が住んでいます。特に県内有数のマンモス団地である芝園団地と西川口に多くの中国の方が住まわれています。最近では、再開発ビルに居住する人も多くなりました。

川口は荒川を越えると東京という立地にあり、ほぼ東京だという感覚があります。しかし東京は家賃も高く生活費も高い。川口は土地もマンションも安く、東京への通勤も便利で非常に住みやすい街だということで、今も人口は増え続けています。

そうした中で、本市は多文化共生のまちづくりを積極的に進めています。川口に住む外国人の中では、芝園団地に住む中国の方がもっとも割合が多いのですが、最初は正直言って、中国の方に関わらず外国の方はなかなか町会・自治会に加入してくれないのが悩みでした。

ただ、祭りの際などには大勢の外国の方が見に来てくれてにぎわうのですが、それだけではなかなか意思疎通が図れないのが悩みでした。芝園団地では地域住民の努力もあり、中国の方が徐々に自治会に加入し、地域のまちづくりに参加してくれるようになりました。

今の問題は、せっかく地域に慣れ親しんできて皆と仲良くなった頃に帰国してしまうということです。ですから多くの中国人・外国人の方々に定住していただきたいというのが正直な気持ちです。

多文化共生を進めるにあたって、本市では中国籍の方を職員として採用しています。ごみの分別方法や様々なトラブル処理など、やはり同じ国の人が対応していただいた方がスムーズに進みますので3人の方にお願いしています。本日同席されています細川会長のチャイナドレス日本総会のイベントに参加してご挨拶させていただいた時なども通訳として活躍してくれています。

また本市には、県内初の取り組みとして公立の夜間中学(「川口市立芝西中学校陽春分校」)があります。2019年4月に開校しました。教室では日本語だけでなく外国語も飛び交っています。日本に10年以上住んでいても日本語があまり上手ではない人もいると思います。年齢制限がなく夜間に誰でも学べますので、活用していただきたいと思います。

 

中国を30回以上訪問

—— 市長は川口市日中友好協会の会長でもあります。市長自身、中国の歴史を学ぶことが好きで、中国を何度も訪問されています。これまで中国を訪問して印象に残っていることは何ですか。

奥ノ木 細川会長と知り合ってから、川口市総合文化センターで開催された第1回「2017年桜・旗袍チャイナドレスの盛宴」にお招きをいただいたのを機に、中国の方が主催するイベントには積極的に参加しています。もともと私は若い頃から、古代から近代まで中国の歴史が大好きでした。

市長になる前私は埼玉県議会議員でした。埼玉県と中国の山西省は姉妹都市協定を結んでいるのですが、そのころ県議会として、中国との姉妹都市交流を推進しました。私自身は山西省に10回ほど行っています。

現在、埼玉県立医科大学に中国の山西医科大学の留学生を毎年5人受け入れています。これは当時の県議会で提案して実現したものです。最初、山西医科大学を訪問した時は大変に歓迎されとても驚きました。赤じゅうたんを引かれて花束をいただくほどの熱烈歓迎でした。20人ほどで訪中したのですが、全員が驚いていました。

私は中国の歴史だけでなく、シルクロードが大好きでそこにも10回くらい行っています。敦煌には5回、奥地のカシュガルやホータンにまで行きました。タクラマカン砂漠も縦断しました。古代シルクロードの真珠と言われたキジル千仏洞にも行きました。これは中国で最も早く開かれた新疆随一の石窟で、西域では最大規模です。

残念に思うのは、今の中国ではそうした名所が近代博物館的に管理されていることです。保存するためにそうした形を取らざるを得ないのかもしれませんが、やはり兵馬俑にしろ、昔は降りて行って直に見ることができました。あの頃が懐かしいです。いずれにせよ中国には訪問・視察などで30回以上は行っています。

 

日本と中国の

歴史と文化を尊重する

—— 日本と中国の伝統文化の重要性をどのように考えていますか。

奥ノ木 以前に、前駐日中国大使の程永華夫人である汪婉参事官が安行の植木を見に来てくださったことがあります。安行の植木は国内外で高く評価されており、数々の盆栽園がございます。また、川口は吉永小百合さんの映画「キューポラのある街」の舞台で、古くからの鋳物の街としても有名です。これらの盆栽園や鋳物工場などに興味を持たれ見ていただきました。それぞれの国・地域には歴史があり文化があります。お互いに大切にしていかなくてはいけないと思います。

中国にも素晴らしい文化がたくさんあります。たとえば、中国の二大古城である雲南省の麗江古城と山西省の平遥古城にも行きましたが、明清時代の建築物が残っていますので、とても素晴らしく、また壮大なスケールを感じました。日本のまちづくりは中国のミニチュア版だとつくづく感じます。さらに、中国の歴史を勉強したいと思っています。

—— 現在、新型コロナの影響で日中間の往来は途絶えていますが、川口市は中国の地方都市と、どのような交流をしていますか。中国の都市と友好・姉妹都市を結ぶ考えはありますか。

奥ノ木 現在、中国山西省の省都である太原市との友好を深めていたところです。2019年10月、山西省人民政府外事弁公室の方とお会いしました。この方はこれまで何度も埼玉県を訪れ、川口にも来ていただいています。

しかし、残念ながら新型コロナウイルスの影響で、お互いに行き来が出来なくなっています。前回太原市を訪れた際、市長は全人代に参加していたため不在だったのですが、副市長と友好都市について意見交換しました。コロナが収束した後には再開したいと考えています。

 

川口市に住む中国人の

市への貢献に感謝

—— 川口市に住む中国人は、川口市にどのような貢献をしていますか。

奥ノ木 本市には日本有数の大手百貨店があるのですが、そこの需要を大きく支えてくれているのが川口やその近辺にいる中国の方々です。デパートの人からもそう聞いています。これは本市にとってもありがたいことです。また、毎年、中国からの技能実習生が本市の鋳物産業を支えてくれるなど、大きく貢献してくださっています。長い年月を重ねて、本市と中国の方々とのお付き合いも深まりました。

また、新型コロナウイルスの影響によって、街中からマスクが無くなりました。そうした時に、細川会長のチャイナドレス日本総会をはじめ、他の団体からもご寄贈いただきました。

今ではようやくマスクも市場に出回るようになってきましたが、本市では災害に備えて備蓄していたマスクを医療機関などに配布していました。通常ならドラッグストア等でマスクを購入するのですが、それでマスク不足になっていた時に中国の方からマスクを頂いたことは本当に感謝してもし切れません。ありがたく使わせていただいております。

 

取材後記

これまで47都道府県の知事を取材してきたが、30回以上中国を訪問している地方自治体の首長にはお会いしたことがない。中国の歴史が好きだと「元気」に語る奥ノ木市長の強い中国愛を感じた。この「元気」な市長の下で、川口市はこれからも多文化共生のまちづくりがさらに進んでいくことを確信している。

 

 

 

 

『香飘飘』事件をご紹介いたします。  

 

2024年5月4日、大久保にある中華系スーパー「京和商店」で販売されている中国飲料メーカー『香飘飘』社の製品である清涼飲料水が、容器包装紙の上に『日本はなくてもいいが海はなくてはならない。日本の政治家よ核汚染水を飲み干してくれ』と印字された紙が巻かれた状態で商品棚に陳列されている動画が中国のネット上突然注目を浴びた。  

 

 

『日本でビジネス展開していながら、日本を厳しく批判した気骨のある中国企業だ!』と賞賛を浴び、同日同社のオフィシャルアカウントもつかさず『うちの従業員は素晴らしい』と従業員の愛国ぶりを褒め称えるコメントを投稿した。  

すると、人気がない状態が続き知名度もどんどん落ち、売り上げも小さな売店レベルにまで落ちていた同社は、株価急上昇し始めた。  

 

日本にいる従業員が日本人から危害を加えられないようにと称して同社は急遽帰国させることにしたと発表し、翌日同社代表取締役蒋氏が自ら空港に出迎えに行き、空港で『香飘飘の勇敢な戦士帰国歓迎』との幕を掲げる演出までした。  

 

更に、同社総裁は突如飛ぶように売れ始めた同社ライブ通販に登場し、愛国従業員に10万元を奨励として支給すると宣言。5月4日〜6日同社株価が10ヶ月ぶりの急激な高騰を迎えた。  

 

 

しかしネット民はやがて、一連の出来事はヤラセであり、株価吊り上げ・ライブ通販売り上げ向上のための愛国ビジネスだと気づき、一転して同社へのバッシングが起きた。5月8日同社株価急落。  

 

同事件を経て、反日愛国ビジネスに中国人は少し飽きてきたのではとの意見が広く見受けられる。)

 

 

 

「老王日本故事汇」に3日前に投稿された動画のフル版(03:24)をここに貼り、

この方のご発言を切り取らずに逐一全部和訳いたします。

 

「中国人を見下してるんだよ。お前らの食べ物なんてちっとも欲しくない。

いつかきっとお前ら日本人に俺の店で皿洗いをさせてやる。  

上海から来たんだけどまあ実際は浙江省出身で先祖は寧波だ。  

1988年に留学しに来た貧乏学生だった。

当時中国はまだ改革開放しておらず貧しくてね、

6000円の所持金それも借りてきたお金と

お米一袋のみで日本に来てね、バス降りたらびっくり。

プラカードを手に迎えに来てくれた学校の人が、

悪いがうちの学校は寮がいっぱいで住むところ提供できないので

ご自分で探してと言われた。どうしようと困ったわけ。

とりあえず中央公園という浮浪者が住んでいるところに行けばと言われた。

そこに行って隣の日本人のおっちゃんは言葉がわからなくても

近くに廃棄された食べ物の置き場があると教えてくれた、三ヶ月も食べたよ。  

一番しんどいバイトはマグロの解体だった。

マイナス40℃のところで切りまくる。血だらけだった。

学校も行き11時半頃まで授業でそしてバイト。  

最初は日本語がわからなくてバイトも見つからず仕方なく工事現場で働いた。

朝4時決まった場所に行き、選ばれるのを待つ。

選ばれたらついて行くけど選ばれなかったら無駄足なわけ。

空きっ腹でお家に帰り、夜は飲食店でお皿洗い。

一日四つバイトを掛け持ちしたこともある。睡眠時間は二、三時間。  

当時日本人は中国人を見下してる。中国は何もないと陰口いうし。

中国にも醤油あるの?豆腐あるの?と聞かれてね

醤油も豆腐も中国人が発明したもんだよ、そうだろ。聞いてて不快だよな。

みんなで美味しいものを一緒に食うとき

俺だけが別のところでご飯に醤油をかけて食べてたよ。

お前らの食うもの食ってやらねえよ。俺にはプライドがあるからね。

お前ら日本人には絶対負けないぞ。  

当時の中国人留学生に関する報道はネガティブなニュースばかり。

日本人にとって中国人は犯罪や不法入国ばかりでいいイメージなかったよな。

だから俺決心したんだ。いつかいい店を作って、

お前ら日本人にお皿洗いさせてやるんだと。

そして1995年赤坂に店を構えるようになった。  

本物の四川料理を最初に日本に出したのはすなわち俺の『陳家私菜』だったよ。  

毎年の紅白歌合戦もうちの店で打ち上げパーティをやるんだよ、

カーテンをしっかり閉めるのだ、芸能人だからね、外から見られないように。

これもヒットのきっかけだったな。  それから中国大使館。

うちの店に車を寄越して、出来上がった料理を運んで行くんだよ。

毒入ってないか厳しいチェック受けて。  

テレビもよく取り上げてくれて。今の日本の若者は辛い物に興味が増えて。

今は7店舗で従業員100名に近い。売り上げは月●●●●くらい。  

中国からスタッフを招へいする際のビザ申請手続き、

うちの店は入国管理局から見て信用度トップだ。

うちの店員は永住者が多い。お皿洗いも永住ビザ持ってる。

うちが出した書類を入国管理局が一目で陳家私菜と見ればすぐ許可を出すのだ。  

今年は更に2店舗増やす予定。銀座と東京駅でね。

向こうから声をかけてきたのだった。

日本の大手企業もたくさん会いにきて上場を勧めてくれてる。

何百億何千億でね。でも断った。中華飲食文化の真髄を守り続けていきたいだけだ。  

犯罪や不法入国などネガティヴ報道ばかりでね。

でも日本人には負けないぞ、お前ら日本人に皿洗いさせてやるからね。」

 

 

 

 

素晴らしい文化ですねー

 

 

 

作家の邱永漢は、中国人を「油の民族」と述べました。

うわべは澄んでいても、底には油が沈殿してて、

何かのきっかけでフワッと上がってくると。

 

店のHPはに書かれている事はその「上澄み」で、

シェフの言葉は「沈殿した油」。

 

日本文化的にはHPは「ハレ」、シェフの言葉は「ケ」ですね。 

本音はもちろん後者。中国SNSに溢れる外国に対する罵詈雑言も、

言わば「油」(ケ・本音)の世界。

 

だから「上澄み」で良いイメージを持たれたい中国政府は、

ケを外国語に翻訳して全世界に拡散する「#大翻訳運動」を、

国家反逆罪と同等にしているというわけで。

中国人、善し悪しはさておきこういう複雑な心情があります。

 

そして、慌てて謝罪していてもそれは「強きに媚びた」に過ぎず、

本音は「油」としてそのまま心の底に沈殿し続け、

また何かの折に出てきます。 

 

この人の失敗は、どす黒いヘドロと化した「油」を

映像として残してしまったこと。

謝罪も「ああまたいつもの『言い訳百万言』かよ」としか思えません。

 

ツイッターのシェフの「謝罪」など、

中国人を30年見続けてきた私から見たら、これにすぎません。 

日本人は「謝罪したからいいや」と水に流してしまいますが、

中国人からしたら

「日本人チョロっwwこれで済むなら百万回謝ってやるわwww」

とでも思ってるでしょうな。

 

中国人は「文」の文化なので、とにかく口八丁手八丁で

何かと言い訳を駆使する。そして決して反省しない。

それは防衛本能がなせる無意識の反応だが、

口八丁手八丁で煙幕を張ってその場を逃れるだけのあがきにすぎない。

あの中国人の百万言に圧倒される日本人は多いが、

なに、大したことは言ってないw

 

大昔「革命無罪」 

昔「賺錢無罪」(金儲け無罪) 

今「愛国無罪」 

 

この「無罪」ってところに中国人の昔からの我利我利亡者ぶりがわかる。

「無罪」って自分が何やってもいいっていう方便に過ぎないと。

 

 

ホント素晴らしい文化ですねー