病理 | 今日ボクが見た風景Ⅲ  物置部屋

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行き行きて神軍の、 奥崎謙三

 

 

奥崎氏は兵役中も色々と問題があった人物で、

終戦後は金銭トラブルによる殺人も犯している。

 

 

ゆきゆきて神軍の最初の婚礼のシーンは凄かった。

にこやかな新郎新婦とは対照的に憮然とした表情の来賓の人達が印象的だった。

奥崎氏が左翼団体の会合に出席し先生と言われて

悦にいっているのを見ると意外と俗物なんだなあと思った。

 

 

 

 

 

 

戦争を生きて帰って、最後日本のサブカルの波にのまれた…。

のちにAV男優になったよね...

 

神戸市民にとっては、

ちと頭のお具合が察せられる自宅にお住まいの方でしたな…

山師でしたがある意味傑物ではありましたね奥崎謙三。

それにコロッと騙されて祀り上げる左派の体質は今も変わりません

 

今の若い人にこそ『ゆきゆきて、神軍』を観て欲しい

 日本の反権力の病理が全て詰まっている貴重なドキュメンタリー 

現在の左翼はすべて思想的に奥崎謙三の子供なのだ

 

 

 

ゆきゆきて神軍、映画館で観ました。

僕も含め途中で大爆笑が起こりました。

自己肯定の為に必死のパッチの人間の滑稽な姿は笑えますね。

奥さんが亡くなってからの人生がクズ過ぎて笑えません。

 

 

戦争で狂ったのか元々狂っていたのか。 

それとも世界は元々狂っていたのか。 

 

 

 

そんなことを考えさせらる人

 

 

 

 

 

 

都合が悪くとも事実は事実として学ぶべき

嘘を嘘と見抜く力になる

 

「悪魔の飽食」を ノンフィクションと思い込むような

醜態を晒さないで済む

 

 

悪魔の飽食(あくまのほうしょく)は、満州国で731部隊が行っていたという人体実験の実態を詳しく書いたとして、話題を呼んだ。 森村誠一(作家)が下里正樹(しんぶん赤旗の記者で当時共産党員)の取材で書いた本、彼らはノンフィクションと言っている。 日本共産党のしんぶん赤旗日曜版で1980年代に連載され、後に光文社より単行本として出版(1982年)され、これが大きな社会的問題となった。

 

 注射針で体液を吸い出してミイラにする(現代でも不可能)。 

真空室にほうり込み、内臓が口、肛門、耳、目などからはみ出し破れる様子を記録映画に撮る(現実はこうならない)。

 

など非現実な内容もさることながら、35枚中20枚の写真が偽写真だった事が判明し、結局これらの問題で、光文社は絶版とした(1983年に角川書店から、問題点を削除し加筆され再出版) 元隊員と称する匿名証言の情報提供者から、下里正樹(しんぶん赤旗の記者)が取材し、それを基に書いたので、森村誠一(作家)は、情報提供者との直接取材ではないと主張している。

 

数多の捏造を指摘され、匿名証言のみで信憑性が乏しく、ノンフィクションとは言い難いとする非難もなんのその、この作家は、こりもせず、混声合唱組曲 「悪魔の飽食」(全7章)(原詩:森村誠一 作曲:池辺晋一郎)を作詞し、全国縦断コンサート開催し、捏造侮日活動邁進中である。 

 

日本狂惨党と絶縁し、現在は、悪魔の飽食中国公演を開催し、中国狂惨党と蜜月中。

下里正樹(しんぶん赤旗の記者)と、この無検証貼り付け屋が捏造してから、中国狂惨党が日本国内の反日が騒ぎ出した。 満州731部隊(ななさんいちぶたい)(3000名)は、 1933年関東軍管轄区域内の各種流行性伝染病予防と、兵員用の飲料水の水質浄化を目的として、旧満州国の平房(ピョンファン)に設置された。

 

初代部隊長の石井四郎(1892年 - 1959年、陸軍軍医中将)なので石井部隊とも呼ばれる。 

陸軍軍医学校防疫研究室(または陸軍防疫給水部)が本部である。悪魔の飽食捏造後、人体実験細菌兵器部隊にされた。

1945年8月、ソ連軍が満州に侵攻すると、撤収作戦が実施され731部隊はその施設のほとんどを破壊して徹底的な証拠隠滅が図られた。と言われているが しかし、“完全破壊”されたはずの建物の大半は残り、修理が加えられた。 

 

石井部隊の本部棟は原型はそのままに、最近まで小学校として使用されていた。 

侵略戦争原爆空爆大虐殺60万人の負い目を持つアメリカは、払拭に匹敵する日本軍の悪行を、必死になって探していた。

 

731部隊の情報に当然米軍はとびついた。 人体実験や細菌兵器攻撃が事実なら、わずかな捏造で負い目払拭可能なので、石井四郎をはじめ731部隊の幹部を徹底的に調べた。結果は、捏造不可の真っ白だった。 

 

仕方なくアメリカは対アメリカ開戦4年前の南京掃討戦を、大虐殺と捏造した。

 

東京裁判で731部隊の関係者は1人も裁かれていない。 731部隊の情報を欲した米軍は、石井四郎をはじめ731部隊の幹部との間で、731部隊が行った人体実験のデータを提供する代りに、731部隊を法廷で裁くことを免除するよう取引をした。 との情報があるが、当時戦勝国は何でもできた。 

 

南京掃討戦を、大虐殺と捏造したではないか、東條を自殺と捏造したではないか、取引などしなくても何でもできたのが、戦勝国だ。 東京裁判で731部隊の関係者は1人も裁かれていないので、これは、捏造者が辻褄合わせのため流した、デマ情報なのだ。

 

 つまり731部隊は、汎神の米軍さえも捏造不可な程、真っ白だったと言える。 

 

 

 

 

『人間の証明』で得た資金を気前よく使って、三百万部を超える『悪魔の飽食』が生まれた。だが、続編のグラビア写真に、無関係な写真を誤用したために、グラビアが偽物であるから内容もインチキであろうと叩かれた。

『人間の証明』の後、証明シリーズ、十字架シリーズを経由し、一九八〇年代に入って「赤旗」に原発をテーマにした『死の器』を連載した。連載中、まだ当時は歴史の闇のヴェールに包まれていた細菌戦部隊関東軍第七三一部隊について触れた。

同部隊の生存者の一人から、「『死の器』に書かれている七三一部隊の実態は、あんなものではありません。もし実態を知りたければ取材に協力する」という連絡があった。最初に接触した元隊員の協力をきっかけに、世界的戦争犯罪アウシュビッツに匹敵する七三一部隊の恐るべき実態が次第に浮かび上がってきた。

当時「赤旗」の記者であった下里正樹氏の協力を得て、取材網を同部隊の本部があったハルビンまで拡げた。終戦に際して、七三一部隊が秘匿研究開発した生物兵器が当時のソ連に渡ることを恐れた米国は、七三一部隊の部隊長以下幹部をお咎めなしとして生物兵器を独占した。

『人間の証明』による収入を転用して、私は取材網を中国の長春(旧新京)、瀋陽(旧奉天)、北京および米国まで拡大した。こうして『悪魔の飽食』は発行部数三百万部に達した。

だが、元隊員から提供された第二部に使用した写真の中に、七三一部隊とは関係ない明治四十三(一九一〇)年から翌年にかけて中国東北部に流行したペストの惨状の写真が混入されていた。提供者は本物の資料と混ぜて提供したので、真贋見分けられなかったのである。

その後が凄まじかった。これまでなにも言わなかった右筋の街宣車の大行列が我が家の前に連日群集した。お経を唱え、最大ボリュームの拡声器で国賊、売国奴、非国民、日本から出て行け、と怒鳴り続けた。

 

電話は鳴りっぱなし、窓に投石され、玄関ドアに赤ペンキがぶちまけられた。地元の警察が朝九時から夕方五時までは警護してくれた。またご近所衆が総力を挙げて支援してくれた。抗議文や脅迫状は毎日、山のように配達され、メールボックスからはみ出した。右筋の団体は差出人名を明示したが、おおかたの脅迫状や抗議文は匿名であった。

腹に据えかねた私は、その半分以上を焼燬(しょうき)したが、半分は歴史の証言として価値があることに気づいて保存した。家人が嫌がるので玄関ドアの赤ペンキも消去したが、後日、せめて撮影しておけばよかったと臍(ほぞ)を噬(か)んだ。

「グラビア写真がインチキであるから、内容も噓にちがいない。筆者は筆を折るべきである」と著名な学者までがグラビアを見ただけで雷同した。写真は誤用したが、内容は真実であると、徹底的な取材を踏まえて私は自信があった。マスメディアも内容についてはほとんど言及しなかった。

その後、多くの学究や研究者によって、七三一部隊の実態は余すところなく追究され、世に露出されている。これを世界に恥をさらす自虐的行為だと言う者もいるが、日本が犯した非人道的戦争犯罪を、臭いものに蓋(ふた)をするように隠す行為こそ日本の恥をさらすものである。

凄まじい抗議、攻撃、バッシングの渦の中で、私はすでに第三部を書き始めていた。「森村誠一暗殺計画」を企画した右傾メディアもあった。バッシングに怖じ気づいて引き下がるようであれば、初めから筆を染めないほうがマシである。

全国から激励の声が集まった。折から神戸市役所センター合唱団長田中嘉治氏より、『悪魔の飽食』をぜひ歌いたい。ついては、その歌詞を作ってくれないか、という提案を受けた。

私は驚いた。『悪魔の飽食』のような非人間的な戦争の実態を、果たして詩化できるものかどうか、ためらっていた私に、田中氏は食いついて離れなかった。

 

一方では国賊、売国奴と称ばれ、片方では戦時中の非人間化を繰り返してはならないという『悪魔の飽食』のアピールを支援、協賛する人びとも増えていたのである。こうして『悪魔の飽食』の原詩が生まれ、池辺晋一郎氏と神戸市役所センター合唱団により合唱用に編詩されて、池辺氏の作曲による混声合唱組曲「悪魔の飽食」が生まれたのであった。

だが、『悪魔の飽食』発刊後、三十余年後の今日に至っても、インターネット上に『悪魔の飽食』は贋作(がんさく)、模倣であるという書き込みが載っている。ネットの書き込みには署名がない。署名がない人間の言動や非難は、自分の言ったこと、行ったこと、書いたこと、他人の非難、中傷、妨害などについて一切責任を持たないということである。脅迫状の大半も匿名であった。

匿名や偽名で他人を攻撃する者は、無責任であると同時に卑怯である。戦時中の大本営発表も噓ばかりで、国民を騙しつづけていた。憲法九条の解釈改憲も欺瞞(ぎまん)の色が濃い。

「ここで引き下がっては、日本の民主主義は一歩退くことになる」と角川書店の社長が助け舟を出してくれた。こうして『悪魔の飽食』は書きつづけられ、第三部、最終巻が完成した。

『悪魔の飽食』が完結した後、角川書店の社難とも言うべき事件が発生した。事件の大要はマスメディアによって詳しく報道されており、角川書店創立以来最大の社難であった。

角川家三姉弟の長女・辺見じゅん氏(作家)の相談を受けて、角川書店支援の会を立ち上げた。大藪春彦、清水一行、高橋三千綱、中原誠名人(棋士)、田辺禮一(れいいち、紀伊国屋書店専務)、山村正夫などの各位が駆け付けて、「角川書店の将来を考える会」が発足した。また、多くの作家や海外から支援の言葉が寄せられた。紀伊国屋書店が当時の松原治社長の指揮の下、内外全店挙げて支援してくださったのは、角川書店や我々作家グループにとって強力な助っ人になった。

紀伊国屋書店と今日の角川歴彦会長のKADOKAWAグループは、(角川書店の)創立者角川源義氏時代からつづいている絆をより強固なものにしたのである。

 

引用:「国賊の証明」東京新聞2015年3月4日付、「悪魔の詩化」同年3月5日付、「卑怯な匿名」同年3月6日付

 

 

 

奥崎謙三 森村誠一

 

左翼は「謝ると死ぬ病」を患いがちである

嘘に嘘を重ね現実逃避の末の「鬱」

からの被害妄想そして自我の崩壊

 

 

 

森村誠一氏という人物は、共産党とタッグを組む「極左」の反日主義者です 

そして、フィクション小説「悪魔の飽食」で森村が引用した画像が、

「誤用」であったことも森村本人自身が認めていましたが

見つかりません | 森村誠一公式サイト (morimuraseiichi.com)

 

いけしゃあしゃあと削除してます。

 

 

↓ 捏造(誤用)された画像 中国人に虐殺された「日本人の検死写真」 

 

なお、戦争中一度でも中国やロシアの捕虜になり、 帰還した兵士は、

ほぼ全員が「敵国の洗脳」を受けています 敵国に忠誠を誓った人間から、

日本に帰れたのです 逆らえば、拷問か処刑を受け、命の保障すら無かったのです 

 

NHK チャイナ部 頑張りました!

 

ですから、ハバロフスク裁判における兵士らの証言も含め、 

帰還兵の証言というのは、信用に値しません 

=(シベリアなどで抑留された)帰還兵の証言は、

真実の証言として通用し難い 

 

731部隊を否定的に見解して初登場するのは、

 1,980年代(チャイナの文革)以降です 

日本の左翼らが、大日本帝国を貶める目的で、 

731部隊が悪いことでもしたかのように(本来の役割を伝えずに、 

ありもしないでっち上げだけを言い始めた、 

「悪魔の飽食」は悪質な捏造(=デマ、プロパガンダ、虚構)です

 

現在の医学部だって細菌やウイルスの研究はしてるし

今誰かの命を救う薬もこういう過程を経て完成する

 

人体実験が在っても不思議とは思わない

 

当時の先進国では当然のように行われていた

アメリカの原爆投下がそれであり

日本人による米国人捕虜への生体実験もあった。

 

 

 

これを題材にした映画

 

海と毒薬 (1986) ORIGINAL TRAILER

 

この映画の軍部のバカさを誇張した表現を除けば

人間の良心の呵責とか

戦争が狂わす人間性とか

現在にも続く利権やらなんやら

まぁ

色々考えさせられます