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― 文学の輪郭 ― 中島 梓



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評論集というものを久しぶりに読んだ



彼女の言葉には



彼女の世界観



神聖なる世界観がはっきりと見受けられる



評論の評論をする訳ではないが



読み進めていくうちに



知らぬ間に彼女の世界へ導かれていってた気がする



評論とはいわば自分の考えなのだから



当たり前といってしまえばそうなのだが



だが それすら忘れてしまっていたのも確かだ






昨日 友人が訪ねてきた



久しぶりの訪問だったが



相変わらず仕事の愚痴を話していた




私は愚痴は嫌いだ




多少気が晴れるとしても



聞いている方にとっては



苦しみ以外何もない




しかもだ



その愚痴の内容が なんと稚拙すぎるのだろうか



友人とは言ったが



学生時代のである



社会人になってからは



とくに接点があまりない



私が本当に友人と言えるのであればそれは



あおいであろう



彼は無口だ



無口なところも私の気に入っているが



話すこともとても的を得ている




的確であり 意味深であり 色気がある


変な意味ではない



詩として 成り立っても良いくらい



あおいの言葉は  聞く者の心を惹く




だのに この友人にはそれが全く無い



騒がしく 幼稚で 社会人足るものなのかと



疑ってしまう程だ



愚痴の内容についても



その根本的から間違っている




例えばだが 彼は営業マンらしいが



物が売れないと嘆いているのである



自分は営業の才能が無いと



そこから大間違いである




営業をするものならば 営業とは何たるかを



理解せねばいけないのではと



素人の私でもわかるようなものだ




営業が下手とはなんなんだ



営業なんてものは 私は無いと思っている



売りたい相手に売りたいものを決断させるのが仕事ではないのか?




私がそんなことを言っても



自分しか見えておらぬ彼には



まったく届かなかったようだ




一体彼は何をしにここへきたのか。。。




それが謎である。。




ただ慰めて欲しかっただけなのだろうか




それならば余計にそんなことは絶対にしない


私のところへなぜ来たのだろうか。。。





久しぶりに人に振り回されてしまった日であった

















捨て去ったもの














私にはとうの昔に 捨て去った感情がある















誰かを愛するという感情だ

















私には忘れられぬ人がいる



















だがそれは絶対に叶わない



















だったらこんな感情など持っていても





仕方ないではないか



















使うことの無い感情を持っていても





ただ自分が哀れなだけだ





















それならば その感情を封じてしまえばいいだけの事























私は その人以外は愛することは出来ない























この先何十年経っても それだけは変わらない























本当ならば 生きていることさえ



意味の無いことかもしれない























だがあまりもの悲しみに



そんな気力さえ 起きないのだ





















もしも この文章を読んでいる読者がいたら



聞いて欲しい



















もしもこの先 





本当に愛すべき人を見つけたならば





何もかも捨て 





突き進んで欲しい





















決して迷ってはいけない























たった1度の人生だ























生まれたことさえ奇跡なのだ























その奇跡の中で





本当に愛すべき人を見つけられたら

























もう迷うことなど無い























まっすぐにその人のもとへ突き進むべきだ























まっすぐに





















決して迷わずに





















決して・・





































― Bruckner- symphony 8, adagio  ―








ここ最近  



文章を書いていて思うことがある



この紙の上に並ぶ文字



そして そこから生まれてくる物語



その中に登場する人物たち



たくさんの人間が色々な経験をしていく



自分で作っているはずなのに



私の意思に反して勝手に紙の上の人間が動くことがある



これは意識をもっているのだろうか




それとも私が無意識にその選択を選んでいるのだろうか




頭の中だけの創造を 紙に起こす




そうする事によって 私の頭の中の想像を

観て貰う事が出来る





だが 私が紙に起こさなければ

その内容は永遠に封印されてしまう




そして創造の大半はきっと現実的に出来るだろう




もしかしたら私の知らぬところで

同じような経験をしてるものもいるかもしれない




それならばこれは現実ということになり物語ではなくなる






あふれ出してくる想像


あふれ出してくる感情


想像というよりも湧き上がるという感覚




本当は実際にあったことを私が読み取っていたのか




ここ最近 考えること




繰り返し繰り返し




やはり部屋に缶詰というのは

精神的にも良くないようだ





今日は久しぶりに外出でもしてみよう