義母との最近の関係のことを書いてみようと思う。

義母は、妻の介護を一緒に乗り越えた戦友であり、感謝も尽きないが、現在はわずかにLINEをやり取りする以外、関係が断絶している。

妻を亡くして間もないうちに、彼女と付き合い始めた僕を、義母は許してはくれなかった。

義母との関係は大きな悩みであり、ブログでも時々、そのことに触れたくなる。しかし、義母のことを書くと決して良い話にならないので躊躇する。

過去の記事にも、お義母様を悪く言うのはどうかと思うといったコメントを幾つもいただいた。

しかし躊躇はあるものの、やはり一度書いてみようと思う。義母を非難するのが目的ではない。ブログは、ある程度事実を語らなければ、気持ちの肝心な部分を書けないものだと思うからだ。

一度状況を語っておくと、以後、その続きを書くことが出来るようになる。非難する目的ではないが、今後時々は、義母のことにも触れていきたい。

介護日記の頃も含め、これまでも負の内容をずいぶん書いているが、それも匿名ブログなればこそのことと思っている。

それでも不快に思われる方はみえると思うので、そういった方は、どうか以下を読み飛ばしていただくようお願いします。


今年の3月8日を最後に、義母はわが家に顔を出さなくなった。それ以来2か月強、義母とは顔を会わせていない。しかし、散発的に怒りのLINEが送られて来る。

くどくど説明するより雰囲気が伝わると思うので、どんなLINEが来ているか、コピペしようと思う。以下、義母のLINE、原文ママで、名前の部分だけをカッコ書きに置き換える。


『(ふた家)はやはり(妻)の事はどのように?病気でなくなったことで、母は許しません❗️こんな形で私に、(ふた)さんは酷い人間ですね。この病気は貴方のせいです、!(娘)は孫だけど私なりに頑張って来ました。誰もこの気持ちは分かって居ません❗️何時でも(妻)の側へ行きますから』


『今日は、(妻)の母母もう生きて、いく元気はありません❗貴方は本当に酷い人間ですね、さようなら!』


『(ふた)さん!私が貴方に何しましたか?そんなに酷いことしましたか?(妻)のもとに行きますから?恨みます❗理由無しは酷いよ‼』

『そんなに私は(妻)の母と話たくないならしっかりた理由教えて下さい。私はなっとき出来ません❗(妻)の母をバカにするのも許しません出るとこに出ます。私をバカにするのも❗許しません』


一方で、こんなメッセージも来る。割と最近のものだ。


『(娘)が元気で学校行ってる事が安心、(ふた)さんが元気で毎日過ごしていることも嬉しく思います!(娘)の事に忙しい頑張っていること誇りに思います!パパ頑張れ💥👊😃と応募するからね、(妻)の母より❗』


この豹変振りには、理由として思い当たるところがあるので、補足する。

この4月から、娘を夕方まで、学童保育にあずけることにした。しかし義母と断絶した後でそうしたので、義母には伝えていない。

ところがある日、その学童保育の場に、来るはずのない義母が現れた。娘も驚いたが、学童保育に預けられた児童の皆が、あれは誰の家族なのか?と驚き、騒然としたらしい。

後で分かったが、義母は、娘を通わせている習い事の教室に行って、先生から学童保育の場所を聞き出したらしい。

一月以上会っていなかったばあちゃんが突然現れて、最近のことをあれこれ聞かれたと、娘は僕に語った。その中で、今はパパと2人で暮らしており、彼女は同居していないことも話したと娘は言った。

その日、僕のところにLINEが入った。


『今晩は!久しぶりですね、元気にしてますか?(娘)に会って来ました。元気に友達と遊んで居ましたよ❗安心しました。』


直前まで、激しい怒りのLINEが来ていたのに、急に態度が軟化して驚いた。

根拠のない邪推だが、彼女が同居していないことを知ったために気を良くしたのかも知れない。

突然、学童保育の場に現れたことも、急激な態度の変化も、正直、少々怖く感じた。スティーブン・キングの「ミザリー」を思い出すと言ったら大袈裟かも知れないが、申し訳ないが、そういった不安感だ。

もともと義母のLINEは、怒りと軟化を激しく振幅していたが、最近は軟化方向で、比較的安定している。しかし、軟化してきたからと言って、以前の関係に戻れるかは自信がない。

2月から3月にかけて、どのくらいの言葉のやり取りをしたか、その後、どのくらいのLINEのやり取りがあったか。

僕だけでなく、彼女や、僕の実母にも、義母は相当な内容のLINEを送っているし、電話などもしている。それらを全て書き表わすことはできない。

今も、娘と彼女と僕の3人で、毎週のように遊んでいることを義母はどう思うのだろうか。一旦、あそこまで振り切った感情が、どのくらい安定するものだろうか。

一方で、妻の初盆や一周忌が今後ある際、義母にどう声を掛けるべきか。悩みは尽きない。

言葉というのは、気持ちや考えを全て代弁するものではないと思っている。真意を遥かに上回る言葉が発されることはあり、最大瞬間風速として発された言葉は、必ずしも真意ではない。

心の中に相反する気持ちがあって、葛藤し、振幅することも分かる。

しかし、それらを考えてもやはり悩む。

義母は、妻の介護を一緒に乗り越えた戦友だ。介護中は連帯感を強く持っていた。

戦友としての関係性を保ち続けるためには、妻を亡くした、同じ境遇に居続けなければいけなかったのか。それしか方法はなかったのかと思える。

最後に、介護日記の頃に書いた記事を2つリンクしておく。義母のLINE文の難解な文体について書いたものだ。